第18話:蔓に込めた願い
ヴォルフ隊の先遣隊を退けた後の夜の森は、深い静寂で包まれていた。
テラスは木々の隙間から漏れる月光に照らされ、幻想的に輝いている。
リィネの身に着けている純白の花のドレスは、夜の森の冷気から彼女の身を守っていた。
彼女の月光銀の髪には、緑の蔓が優しく編み込まれ、微かな燐光を放っている。
「……っ!!……この神秘的なスープは一体なんですか!?」
リィネはスープ・メロンを一口飲むと、目を丸くして驚いていた。
「色々な野菜の旨味がギュギュっと濃縮され、温まるだけでなく、森の英知まで体に入ってくるようです!」
「そ、それは良かった。そんなに喜んでもらえると、僕も嬉しいよ」
レンは自然と笑顔になり、美味しそうに食べるリィネを見つめている。
一心不乱にスープ・メロンを頬張る彼女の姿に、親心ともいえる愛おしさを感じていた。
「レン様、できれば、その……もう一ついただいてもよろしいでしょうか?」
よほど美味しかったのだろう、リィネは二個目も食べ始めていた。
うん、育ち盛りの子はこれくらいじゃないと。
レンは一人で納得した。
二人はテラスに置かれたテーブルにつき、夕食をとっていた。
メロンの果肉とスープが体に入るたび、リィネの凍えていた体がポカポカと温まっていく。
すると、食事の匂いに誘われたのか、ガサガサとテラスの隅の茂みが揺れた。
「あっ……」
ひょっこりと顔を出したのは、隠れていた小動物たちである。
人間達が押し寄せてきた時、森の奥へと避難していたのだ。
「あ、戻ってきたんだね。こっちおいで」
レンは彼らを見つけると、やさしく声をかける。
そして、リィネに小動物たちを助けたいきさつを話した。
「レン様。ああ……なんと慈悲深いのでしょう。このような弱小で私達の糧でしかないような小さなものにも心を開き、全てをお許しになるなんて……」
リィネは何か壮大な受け止め方をし、うっとりとレンを見つめる。
やはり森の守護者様は神のごときお方、私達とはものの見方が違いますね、とでも言いそうだ。
「いやいや、そんなんじゃないよ!ただ可愛かっただけだから。ほら、リィネさんも良かったらこのエナジー・ベリーを彼らにあげてもいいよ」
レンは両手を前に出して慌てて否定し、話題を強引に変えた。
リィネはそっと手のひらにエナジー・ベリーの果肉を乗せて差し出した。
すると、小動物たちはトコトコと近づき、彼女の白い指先から直接それをついばんだ。
「ふふっ……くすぐったいです」
リスのヒゲが手のひらをくすぐり、リィネの口から自然と笑い声がこぼれる。
それは、年相応の無邪気な笑顔だった。
「森の奥の動物たちは凶暴だと聞いていましたが、こんなに愛らしい子たちもいるのですね」
「この敷地内では争う必要がないからかもしれませんね。……よかったら、そっちの木の実もあげてみてください」
「はいっ」
レンは動物たちと戯れるリィネを見つめる。手元のマグカップを傾け、心の底からホッと息を吐き出した。
前世では、毎日クレーム対応や納期に追われていた。
だが今、目の前にあるのは、自分の力で守り抜いた静かな森と、無邪気に笑う一人の少女の姿だ。
……ああ。なんか、こういう時間っていいな。
彼女の笑顔を見ているだけで、レンの心は足りないものが埋められていくようであった。
その笑顔が彼に前世に残してきた娘を思い出させる。
元気にしているだろうか……。
―――リィネさん、ありがとう。
ふと、レンは彼女に感謝した。
この異世界に転生してきて数日間ではあったが、孤独から救い出してくれたのだ。
こんな時間がいつまで続くかはわからないけど、前世のような後悔はもうしたくなかった。
静かで冷たい夜の森の中で、穏やかで温かい空気が流れていた。
だが……。
小動物たちは満腹になったのか、テラスに作った彼らのベッドに横になり始めた。
森に再び静けさが訪れた時、リィネの心に、ふと冷たい風が吹き込んだ。
(私のような存在が……本当に、こんなに優しくされていいのだろうか)
リィネは、純白のドレスを見つめ、両手で胸元をギュッと強く握りしめた。
幸福感の反動のようにやってきたのは、あまりにも巨大な「不安」だった。
(―――私には、レン様に隠している『秘密』がある)
(もし、私が一族から追放された身であること、そして、その理由である『不吉な呪い』を知ってしまったら、どう思うだろう。あっという間に追い出され、またしても一人で森を彷徨う事になるのだろうか……)
(あの同胞たちと同じように、レン様もいつか私を不気味に思い、軽蔑するのではないか。
そして、仕立ててもらったこのドレスを脱ぎ捨てろと命じるのではないか)
彼女は失う事が怖かった。
一度この温もりを知ってしまったからこそ、それを奪われる恐怖は、以前の孤独よりもずっと恐ろしいものとなっていたのだ。
気が付けば先ほどまでの笑顔が消え失せたリィネ。
彼女は急激な恐怖に襲われ、ガタガタと小刻みに震え始めた。
「……リィネさん、大丈夫? もしかして寒い? それとも、どこか痛い?」
レンは椅子から立ち上がり、心配そうな顔でゆっくりとリィネの前で身をかがめた。
彼女の顔を見ると、何かに怯えているように瞳が揺れている。
そのやりきれない表情を見た瞬間、レンは、寒さや痛さといった些細な問題ではないことをはっきりと悟った。
「……レン様」
リィネのか細い声が、夜の静寂に響いた。
「私には……レン様に隠していることがあるのです」
「秘密……?」
目を合わせることができず、斜め下に視線を移しながら小さな声で呟くように吐き出すリィネ。
その声は震え、瞳は泣き出しそうに潤んでいる。
レンはその表情には見覚えがあった。
恐怖に支配されている時の自分と同じであった。
思わず息を呑んだ。
つい先ほどまで楽しそうに小動物たちと戯れて笑っていたのに、今度はこんなにも怯えて震えている。
一体どんな秘密を抱えているのか、想像もつかない。
気の利いた言葉がすぐに出るほど器用ではなかった。
だが、どんな秘密があろうと、彼女を裏切る事はない。
その気持ちには一切の嘘はなかった。
「こんな時……なんて言っていいのかわからないけど……」
レンは指を小刻みに震わせながら、ゆっくりとリィネの銀髪に、編み込んだ緑の蔓へと指先を伸ばす。
「……もう一度だけ言わせて」
レンの震える指が、冷たい銀髪と、温かい魔力を帯びた蔓に触れる。
「この蔓はね、僕の魔力と繋がっているんだ。僕が君を守る。この蔓に誓ってね」
緊張して声が震えるレン。
しかし、揺らぐことのない、力強い言葉であった。
一人の人間としての、純粋で真っ直ぐな想いだけが込められていた。
「もし不安になったら僕に何でも言ってほしい……もし、君が話したくないなら、秘密のままでも構わない。でも、僕は君の事を裏切らない……これだけは信じて」
リィネは、その真摯な呟きを聞いて、大きく目を見開いた。
彼女は恐る恐るレンを見つめ返した。その瞳には、打算も、憐れみも一切なかった。
そこにあったのは、優しく温かい眼差しだけだった。
レンの服の袖をそっと、けれど絶対に離さないように力強く握りしめるリィネ。
安心する気持ち、感謝の気持ち、頼りたい気持ち、すがりたい気持ち、様々な気持ちが渦巻き、言葉にすることができなかった。
「うん……」
レンはただ頷いて、リィネの気持ちを受け止めた。
流ちょうな言葉は交わさずとも、確かな信頼だけは伝わっていた。
(……この御方になら)
リィネは心の中で一つの決意を固める。
(私を縛り付けてきた、忌まわしい呪い。不吉な秘密……)
「レン様……。聞いて、いただけますか。私の……秘密を」
夜の深い樹海の中。
二人の間を吹き抜ける風は、どこまでも優しく、そして温かかった。




