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第13話:救急治療

深夜の森を、レンは少女を抱きかかえ、歩いていた。


木の根に躓かないように、慎重に一歩一歩、足を前に出す。


腕からは彼女の体温が伝わってくる。

蔓の魔法で少女と自分をしっかりと巻き付け、家に向かって歩き続けていた。


遠くの方から、聞いたことのない動物の鳴き声が聞こえてくる。


「一歩間違えれば、俺も危なかったかもしれないな……」


男たちの怒号と殺気が、背中にこびりついている。

思い出すと怖くなり、足元から力が抜けそうになる。


彼らはこちらに向かって剣を構えていた。

彼らは俺を殺す気だったのだろうか。

なんせエルフに毒矢を使う連中だ。


「落ち着け、今はこの子を家に連れて帰り、休ませるのが最優先だ」


頭の中で、かつての営業課長としての冷徹な回路を強引に起動させる。

たらればで過去を振り返ったところで、無駄にエネルギーを浪費するだけであった。


「はあっ……はあっ……」


息を切らしながらも、なんとか菜園や池が並ぶ自宅のテラスが見えるところまで戻ってきた。


「ふぅ……」


ほっと安堵の息が漏れる。


レンはそのまま家の中に入り、寝室に転がり込んだ。

彼がこだわりぬいて作ったソファに、彼女をそっと横たえた。


光るキノコ(ライト・マッシュ)の淡く優しい光の下、改めて彼女を見つめる。

その状態はあまりにも酷かった。


「信じられない……こんな事までするなんて……」


右肩に深く食い込んだ、禍々しい毒矢。

毒そのものはレンの魔法で解毒は済ませたものの、見るからに痛々しかった。


この矢を見ていると、少女への哀れみと、人間達への憎しみが沸き上がる。


さらに全身に目を移した。


「服もボロボロだな……」


露出した真っ白な肌には無数の切り傷が刻まれ、あちこちに乾いた血がこびりついている。


逃走中、追手から逃れる為であろうか、自ら強引に突き進んだであろう境界の茨(バウンダリー・ソーン)による深い裂傷が、幾重にも重なり合っていた。


特に彼女の両足は、目を覆いたくなるような惨状だった。


靴を脱がして見てみると、足の裏は皮が剥け、血が固まっていた。

足の爪の中は内出血で黒くなり、爪が死んでいた。


「……はぁ、っ、……ぁ……」


彼女はまるで悪夢にうなされているようだった。

いや、実際に悪夢ともいえる出来事に巻き込まれたのも事実であった。


なぜ彼女がたった一人で、あんな恐ろしい男たちに追われていたのか。

レンには知る由もない。


だが、逃走中の彼女は無意識に植物の伝言(ウィスパー・ネット)を通じてレンに訴えかけてきていたのだ。


……ひどい。この子が、一体何をしたっていうんだ……。


レンは人間達のしわざに憤りを覚えていた。


どんな理由があろうと、ここまでしていいという事は、絶対にない。


ここまでの凄惨な状態になるまでこの子が追い込まれていなければ、ここで迷いの一つもあったかもしれない。


ここで彼女を助けて匿えば、あの人間達との対立は決定的なものになるのだ。


今後の快適な人生を思えば、彼らとは仲良くし、共存するという選択肢もあった。

しかし、ここまでやってしまった手前、今さら引き返すわけにもいかない現実もあった。


だが、か弱いエルフの少女を相手に、男数人で、まるで森の動物を狩るように追い詰め、挙句の果てには自国の貴族に売ろうとしていた。


この状況で彼女を守らない理由はレンには見当たらなかった。


「……リスク管理の本質は、損失を避けることじゃない」


彼は、静かに呟いた。


「会社の根幹になる『資産』を、何としても守り抜くことだ」


レンは改めて彼女を救う決意を固めた。


そっと右手を彼女の矢傷に当てた。

紋章が淡く光り出す。


まずは薬草をその手の中に生成する。

その次に、そこから麻酔成分を抽出し、傷口から魔力と共に流し込んだ。


これ以上の苦痛を彼女に感じさせないためである。


呼吸する力が少し弱くなり、麻酔が効いたことを確認する。

そして、レンは彼女の肩に深く突き刺さった矢に、おそるおそる手を伸ばした。


「……少しだけ我慢してくれ」


意を決して震える両手でしっかりと握り、一気に引き抜いた。


ビクンと一瞬、彼女の体が震えた。

治療の為とは言え、気が進まない行為であった。


床の上に血の滴る矢を投げ捨てると、次の工程に入った。


「体をきれいにしていくよ」


傷口に泥が入ると病気になるかもしれない。

アルコール消毒液のようなものがあれば理想的だが、ここは異世界である。今手元にあるもので最大限の事をやるしかなかった。


レンは一度テラスに出て、清浄な水がたっぷりと溜まっている水受けを手に取り、再び寝室に戻る。


そして、魔法の力を使い、植物の繊維を再構成して柔らかいガーゼのような布を作り出した。


まずはその汚れにまみれた顔から拭っていく。


「こうしてよく見ると、美人だな……」


まだ子供のようにも見えるエルフであったが、その整った顔立ちに思わず胸がドキッとする。


いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。


レンは思い直し、作業を続けた。


衣類から出ている手足にこびりついている泥と血を丁寧に拭き上げていった。

すると、無数の傷があらわになった。


レンは静かに息を吸い、指先に淡い緑色の魔力を集める。


指先から滴る透明な樹液を、傷口に沿って這わせていった。


それは空気に触れると瞬時に粘度を増し、裂けた皮膚同士をピタリと引き寄せた。

ゴムの樹液の作用を魔法に応用したのだ。


レンは昼間に小動物たちにハーブをあげたのを思い出していた。


あの時と同じように、薬効のあるハーブを今度は手の中に作り出し、成分をギュッと濃縮して抽出する。


レンはそれを、傷口の一つ一つに魔力と共に流し込んでいった。


「一気に馴染ませる……うまくいってくれ」


レンが魔力を込めると、シュウ、と清らかな蒸気が立ち上った。


傷口が少しずつ修復を始める。

傷口の一つ一つからエメラルドの魔力が溢れ、エネルギーに満ちていた。


彼女の体からふっと力が抜けた。


「よかった……成功したみたいだ」


レンは今日初めて、肺の奥底から息を深く吐き出した。


「……っ、ふ……あ……」


彼女の口から再び小さな吐息が漏れる。


またしても彼女の手がレンの袖口を弱々しく、けれど絶対に離さないとすがりつくように握りしめた。


レンはその小さな手を見つめ、そっと自分の手を重ねる。

そのまま、自分の体温と少女の体温をゆっくりと合わせていった。


右手の紋章が淡く光っていた。


どうやら地獄のような痛みが引いたのだろう。

代わりに彼女を包み込んだのは、陽だまりのような温もりだった。


浅かった呼吸は安らかな寝息へと変わり、彼女は静かに眠り始めた。


すっかり落ち着いたその寝顔を確認し、レンは心から安堵した。

いつの間にか全身は、汗でびっしょりと濡れていた。


「……これで、いいんだ……」


助けに行こうと決める前には随分と葛藤したが、彼女の安らかな寝息を聞いた後ではもう後悔はなかった。


これは下手をするとこの世界での人間達を敵に回してしまった可能性もあるな。


まあ、でも今そんなことを考えても仕方ない。

後は野となれ山となれ、出たとこ勝負だ。


後悔しない生き方にレンは誇りを感じていた。


次はもっと酷い目にあいますよ、そうは言ったものの、それでも追手が来るかもしれないな。

それに、明日目覚めた彼女と、どう接すればいいのだろうか。


異世界も初めてなら、エルフだって初めてなのである。


「まあいいや、もう寝よう」


こうと決まれば腹を括って突き進むだけであった。


あまりにも長い一日であった。


レンは不安を感じながらも問題を先送りにし、一旦は自身も休息をとる。


しかし、この少女を助けたという行為が、これから先に様々なトラブルを引き寄せるのであった。

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