第12話:エルフの少女
境界の茨が焼き切られ、夜の森に油の匂いが漂っていた。
巨大な倒木の裏側でうずくまっていたのは、一人の少女だった。
腰まである長い銀髪は、泥と乾いた血にまみれている。
そして、長く尖った耳は一部が欠け、力なく垂れ下がっていた。
浅い呼吸を繰り返しており、その虚ろな瞳は空中を見つめている。
その細い彼女の体は限界を超えていた。
どうしたらこんな状態になるのだろう。
服はボロボロになり、体中から痛々しい傷跡が無数に覗いている。
だが、最も目に入ったのは、右肩に刺さっている一本の「矢」だった。
傷口からは出血し、周囲の肌はどす黒く変色している。
これは毒……?
こんな小さな少女に毒矢を!?
右手に持つ剪定鋏に力が入る。
どうする……?
助けてあげるべきだとは思うけど……明らかに向こうの人間達と敵対関係になるだろう……。
しかし、ここまで来て見て見ぬふりはできなかった。
大丈夫ですか、と声をかけたかったが、向こうにいる人間達に見つかるのを恐れ、黙ってその細い肩にそっと手をあてる。
―――冷たい。
レンがそう感じると同時に、彼女は眼を閉じ、気を失った。
この子を助けよう。
その思いに賛同するように、右手の紋章が熱くなる。
レンが彼女の肩から矢を引き抜こうと手を伸ばした、その時だった。
「おい!血の跡がこの倒木の裏へ続いているぞ!こっちだ!」
突如として森の静寂が切り裂かれた。男たちの怒鳴り声と無遠慮な足音が迫ってくる。
レンはマズイと思ったが、どうすることもできず、少女の前で屈んだまま息を潜めた。
その直後、松明の赤黒い光が巨木の裏側を乱暴に照らし出す。
現れたのは、ヴォルフ率いる人間諸国の調査隊、その先遣隊の男たちだ。
「な、なんだお前は!こんなところで何をしている!?」
彼らにしてみれば、こんな森の奥で少年が一人、隠れるように佇んでいることが不気味なのであろう。
「いや、あの……」
レンは何を言っていいかわからず、戸惑っていた。
一体どこから説明すればいいのか。
別の世界から来ました、と言って信用されるとは到底思えなかった。
「てめえ!その獲物は俺らのもんだ!!」
言葉に窮していると、突然その男達の一人にに蹴り飛ばされ、レンは地面を転がった。
口の中に泥が入る。
「うっ……え……?」
レンは痛みと恐怖で声が出なかった。
彼は突然の暴力にパニックになり、どうしてよいかわからなかったのである。
恐怖にとりつかれ、体が委縮して動かず、ただその状況に身を任せるしかなかった。
男達はレンの事などどうでもいいようであった。
「やっと捕まえたぞ! なんだ?気を失ってやがる」
「なんだよ、つまんねえな!逃げた罰にいたぶってやろうと思ってたのに」
「おいおい、ダメだよ。矢傷だけでも商品価値が下がっているんだ。これ以上傷つけるんじゃねえよ。」
なんだか物騒な会話がレンの耳に聞こえてくる。
商品だと?何を言っているんだ?こいつら。
レンの中に怒りとも言える感情が芽生え始めた。
右手の紋章が急激に熱くなる。
「じゃあ傷をつけなければいいんだな?」
「まあ……そうだな」
「よし、目を覚ましたらまずはその綺麗な銀髪を掴んで引きずり回してやる」
「おい、ほどほどにしとけよ? 」
「大丈夫だよ、生きてさえいれば『慰みもの』としての価値くらいはあるんだからな」
彼らの濁った瞳には、エルフに対する同じ生き物としての敬意は微塵も感じられなかった。
前世であれば、人権問題として大きく取り上げられるような話だ。
吐き気がするような言葉が、清浄だった森の空気を汚していく。
男たちの一人が、気を失って動けない彼女の背中を、重い軍靴で無造作に踏みつけた。
そして、次に彼女の顔を泥の中に押し付けた。
「なっ……」
その光景にレンは驚愕した。
こいつら、どこまで腐ってやがるんだ!
大人の男達数名で、無抵抗の少女にやることか!
ドクン。
レンの心臓が、激しく打ち鳴らされる。
どうする?
ここでこいつらを魔法を使って打ちのめす事も可能だが……。
しかし、昼間の猪とは違う。
相手は自分と同じ人間だ。
動物を捕まえるのとはわけが違う。
話をすればわかってもらえるかもしれない……。
レンは暴力で解決する気にはどうしてもなれなかった。
それでは目の前の男達と同じではないかという思いと、やはり力で解決することの怖さに抗えなかったのである。
だが……。
男の一人が、あろうことか、軍靴の裏で少女の肩口に刺さっている毒矢を押し込んだ。
なっ!?
気を失っている少女の体がビクンッと跳ね上がり痙攣する。
「ははっ!コイツおもしれえな!」
男達はその姿を見て非情にも笑っている。
レンから迷いはなくなっていた。
男たちの下品な笑い声を聞くたびに、胸が熱くなっていった。
ゆっくりと立ち上がり、剪定鋏をパチンと鳴らす。
「ん?なんだ、お前?まだいたのか」
「ガキは帰って母ちゃんのオッパイでも吸ってな!」
「はははははっ!」
レンは我慢の限界に達した。
「――その子から離れろ……」
低く、静かな声であった。
「あぁ? なんだてめえ!?」
「こいつも『ついで』に狩っちまうか? 良い顔してるぜ、上客の好みに合いそうだ」
男たちが、レンを見て笑いながら、ギラつく剣を抜く。
「その子から離れろって言ってるんだ!!」
初めて剣を向けられ、レンの中に恐怖がなかったかと言えばそんな事はなかった。
しかし、それ以上に男達を許す事ができなかった。
レンは彼らの足元に向け、右手の開拓者の万能剪定鋏を振り下ろした。
「暴れる蔓!!」
ズゴォォッ!
刹那、森が主の怒りに呼応して、凄まじい地鳴りを上げた。
男たちの足元から、レンの無尽蔵の魔力を受けた大きく太い蔓が狂暴な勢いで発芽したのだ。
まるで巨大な黒蛇の群れのように地中から次々と突き破って現れる。
あたかもレンの気持ちが伝わり、怒り狂っているようであった。
そして、彼らをすり鉢状に囲い込むようにうねり、彼ら全員を閉じ込める「檻」を瞬時に形成してした。
「な、なんだこれは!?」
「 地面から蔓が……うわぁぁぁ!」
レンは、パニックで叫んでいる男達を無視し、倒れている彼女の元へと駆け寄った。
彼女の細い手は、驚くほど冷たかった。
それを両手で包み込むように強く握りしめる。
彼女の小さな手のひらは傷だらけになっていた。
「もう大丈夫ですよ……」
レンは右手を、毒に侵された彼女の右肩の傷口に直接押し当てた。
『森の理』の力を最大限に使う。
紋章が呼応するように力強く輝いた。
彼は解毒作用のあるハーブを手の中に生み出し、そこから毒を分解する成分だけを抽出する。
そして、魔力と共に傷口から彼女の中に一気に流し込んだ。
「……頼む!」
淡いエメラルド色の光が、彼女の肩を優しく包み込む。
少しずつ、傷口の周囲の肌の色が、暖かみのある元の白い色へと戻っていった。
それに合わせて、彼女の浅かった呼吸が、少しだけではあるものの、確実に深くなった。
応急処置をひとまず終え、レンはふぅっと息を吐いた。
「てめえ何もんだ!」
「ここから出しやがれ!」
檻の中では、ヴォルフの部下たちが必死に剣を振るい、巨大な蔓を切り裂こうと足掻いている。
しかし、その黒い蔓は切るそばから瞬時に再生し、男達を檻の中に閉じ込めていた。
「すいません。一つだけお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
レンは丁寧に、しかし強い意志を込めて彼らに話しかけた。
その返事次第で今後の方針を決めるつもりである。
彼らと共存できる道を模索しようとしていた。
「彼女を捕まえてどうするつもりですか?」
いちるの望みをかけた問いかけであった。
しかし、その期待は無残にも打ち砕かれた。
「そんなの決まってんだろ。貴族どもに売るんだよ」
「ここから出してくれたら、お前にも山分けしてやるよ」
「俺たちを敵に回すとどうなるかわかっているのか?」
他人の事は省みない自分勝手な発想。
共犯者へのお誘い。
極めつけに脅迫。
レンは彼らとは仲間になれる気がしなかった。
もし、彼らが反省し、二度とこのようなことはしないと誓えるのであれば、すぐにでも距離を取って解放しようと思っていたが、その選択肢は想像以上に早く無くなった。
仕方ない……正直なところ敵を増やすような事はしたくないんだけど……。
前世の営業マン生活の中において、時には敵に塩を送ることで同じ市場の中ですみ分けを進め、共存をはかるという事もあったが、今回はそうはいかなかった。
そして、目の前の少女を見つめるうち、この子を助けたい、という気持ちが大きくなっていた。
前世で娘との時間をたくさんとってあげられなかった後悔もあるかもしれない。
しかし、それ以上に魂がこの子を見捨ててはいけないと感じていた。
「この子は私が保護します」
レンは、彼らに向かってそう言ったが、自分自身への宣言でもあった。
そして、彼女の細い体をそっと横抱きにした。
その体は驚くほど軽かった。
「その檻は夜明けまでそのままにしておきます。もし、明日になって私達の事を追いかけてくるようであれば、次はもっと酷い目にあうと思っていてください」
レンは彼女を大切に抱え直し、自らが作り上げた、森の家へと向かって歩き出した。
「駆けつけるのが遅くなってごめんね」
聞こえてはいないと思うが、謝罪の言葉を口にした。
それから家にたどり着くまで、後ろを振り返ることは、一度もしなかった。
それは、一人きりの隠居を望んだ臆病な少年が、一人の少女のために世界を敵に回す覚悟を決めた、運命の夜だった。




