星たちが集う学園
四月。満開の桜が舞う長い坂道を登りきると、そこに『それ』は佇んでいた。
白磁の壁とガラス張りのモダンな建築美。広大な敷地内には最新鋭のダンスアリーナ、TV撮影用スタジオ、プロ仕様の劇場、さらには生徒専用の寮やカフェテラスまで完備された巨大な要塞。
——私立星光芸能学園。
テレビや映画、音楽チャートの第一線で活躍するトップスターや有名クリエイターを毎年吐き出し続ける、国内最高峰にして最難関の超名門・芸能総合学校だ。
すれ違う生徒たちの佇まいからして、一般的な高校とは雰囲気がまるで異なる。
流れるような髪を揺らし、モデル顔負けのスタイルで歩く少女たち。一歩一歩の立ち姿や視線の配り方にまで「魅せる」意識が行き届いた少年たち。彼らの大半はすでに大手芸能事務所に所属し、現役で活動している「プロの卵」だった。
彼らの制服の胸元には、輝かしい黄金の星型のエンブレム——【スター養成系学科】の証が誇らしげに刻まれている。スター養成系学科にはいろいろあって、声優、俳優、アイドル、歌手等さまざまである。
一方、俺が着ている制服の胸元にあるのは、落ち着いた銀色の星型エンブレムだった。
「おい、見ろよあいつ……今年から新設されたっていう『サポート科』の生徒だろ?」
「へえ、本当に募集してたんだ。裏方専用のクラス」
「まあ、私たちを影から支えるマネージャー予備軍でしょ。関わることもなさそうだけど」
校門を潜る際、周囲の生徒たちから遠慮のないヒソヒソ声が向けられる。
そこに含まれるのは、明らかな優越感と、少しの興味本位。
実際にはマネージャーというより、アイドルや女優をプロデュースしたいという人向けであり、スターたちの雑用ではない。
だが、俺——久瀬湊は、ネクタイの首元を少し緩めながら、心の中で静かに呟いた。
(……これでいい。俺には、このくらいの日陰が丁度いい。バレてもめんどいし)
胸元の銀の星型エンブレムは、今年度から本格始動した【スターサポート科】の生徒である証だ。
演技指導、メンタルケア、演出分析、セルフプロデュース——表舞台に立つスターを完璧にバックアップする「裏方の専門家」を育てるために作られた学科。
大勢の大人に囲まれ、カメラのフラッシュを浴び、秒単位で「久瀬湊」という商品を演じ続けていた狂乱の日々に比べれば、見下される視線など心地よい春風のようなものだった。
かつて、俺は『国民的天才子役』と呼ばれていた。
――10年前。
当時6歳だった俺は、数々の映画や大河ドラマで主演を張り、大人顔負けの圧倒的な表現力で日本中を熱狂させた。
だが、世間が「半世紀年一人の逸材」と持て囃していた渦中――俺は突然、芸能界から姿を消した。
(10年も経てば、世間は俺のことなんて忘れる)
芸能界の消費スピードは早い。『あの伝説の子役』の記憶は今やノスタルジーの彼方だ。
『もう二度と、表舞台には立たない』
それは、10年前のあの日、俺が自分自身に課した固い誓いだった。
巨大なドーム状の大講堂は、新入生約三百名の発する熱気と緊張感で満ちていた。
客席の前列から中央を埋め尽くすのは、ゴールドのエンブレムを光らせる【スター候補生】たち。
そして一番後ろの端、わずか二十席ほどの薄暗い一画に配置されているのが、俺たち【スターサポート科】の生徒だった。
「——新入生代表宣誓。アイドル科、氷海 氷華」
司会のアナウンスが響くと同時に、講堂のメイン照明が落とされ、一筋の強いスポットライトがステージ中央を射抜いた。
会場の空気が、文字通り一瞬で凍りつく。
登壇したのは、一人の少女だった。
流れるような腰までの漆黒のロング髪。氷晶を思わせる冷徹で冷ややかなアイスブルーの瞳。一切の無駄を削ぎ落とした静謐な歩調——その立ち姿から放たれる圧倒的な威圧感に、周囲の新入生たちが息を呑む。
『氷海氷華』
大手事務所に所属し、すでにミリオンセラーを連発するアイドルグループ『Aisisu』の絶対的エース。
愛嬌や媚びを一切売らず、完璧なパフォーマンスだけで頂点に君臨することから、業界では『氷のアイドル』と恐れられている存在だ。
「——宣誓。私たちが目指すのは、慣れ合いの学園生活ではありません。妥協を排し、常に頂点であり続けることです」
ステージの中央で、彼女は冷たい声で短く言い切った。
笑顔の一つも見せないし、客席に手を振るような愛想もない。なのに、その圧倒的な顔の良さと堂々とした立ち振る舞いのせいで、会場全体が変なピリついた空気に包まれている。
周りの新入生たちは「かっこいい……」「これが氷のアイドルか……」なんて気呑まれているみたいだった。
(……よくやるよな、ホント)
一番後ろの席で、俺はあくびを噛み殺しながらその光景を眺めていた。
常に完璧で、常に冷たく、誰にも隙を見せない『氷のアイドル』。
舞台の上でもプライベートでもあの態度を崩さないらしいが……正直、見ているこっちが疲れてくる。
(あんな肩肘張って四六時中つっぱねて周りを威嚇して、疲れないのかな……)
俺なら三日どころか三時間で根をあげる。
まあ、向こうはプロで俺はただの無気力な高校生なのだから、価値観が違って当然なのだが。
「……はあ、早く終わんねえかな。腹減った」
俺がそんなことを呑気に考えていた、その時だった。
宣誓を終えた氷海氷華が、冷ややかな視線を会場に向けたままステージを降りる間際。
ふと彼女のアイスブルーの瞳が、講堂の最果ての影で思いっきり退屈そうにしていた俺と、コンマ数秒だけ目が合った。
氷華の眉が、ほんのわずかにピクッと動いた気がした。
(……げ。あくびしたのバレたか?)
俺はそっと視線を逸らし、ただの影になりきることにした。
目力だけで人を殺せそうだな…なんて、女の子と目が合った時の大不正解な回答を頭で考えてしまった。
式典が終わり、周囲の新入生たちがわちゃわちゃとクラスへ移動し始めた直後、担任に呼び止められた。
向かった先は、校舎の最上階にある「理事長室」。
ふかふかの絨毯を踏みしめ、重厚な扉を開ける。
部屋の奥、ガラス張りの窓から学園全体を見下ろす位置に座っていたのは、白髪を綺麗に整えた老紳士だった。
「ひさしぶりだな、湊」
「……お久しぶりです、大野監督。あ、今は理事長でしたっけ」
大野源一郎。
映画界の元巨匠で、10年前、幼少期の俺を子役として引っ張り出してくれた恩師だ。
「相変わらず死んだ魚のような目をしておるな。……約束通り、君の過去の経歴はデータベースから抹消しておいた。『久瀬湊』が10年前のあの子役だと知る者は、この学園では私とごく一部だけだ」
「助かります。俺、マジで静かに高校生活送りたいんで。目立たず、波風立てず、裏方として単位だけ取って穏やかに卒業するのが俺の夢なんで」
「ふむ。……だが湊、タダで君をこの学園に置くわけではないと言ったはずだ」
不穏な言葉とともに、理事長がデスクの上に一束の厚い資料を滑らせてきた。
「我が学園の基幹システム——『専属パートナー制度』だ。サポート科の生徒はスター候補生とペアを組み、オーディションや実技試験に二人三脚で挑む。パートナーの成績が、そのまま君の評価になる」
「……まあ、サポート科自体は聞いてますよ。数年前からテスト運用されてて、今年から正式に一般募集で本格稼働したって話ですよね」
「ほう、よく調べておるな。その通りだ」
資料をパラパラとめくった俺は、思わず「うわぁ……」と声を漏らした。
そこに載っていたのは、さっき壇上で冷たいオーラを放っていた『氷のアイドル』をはじめ、学園内でもトップクラスに有名どころの4人の名前だったからだ。
1. 氷海 氷華(アイドル科1年)
——『Aisis』の絶対的エース。通称『氷のアイドル』。
2. 天花寺 凛空(俳優科1年)
——「演技の天才」と呼ばれる孤高の若手女優。
3. 星乃宮 あずは(アイドル科1年)
——愛嬌抜群、人気急上昇中の新人アイドル。
4. 月詠 絢音(サポート科3年)
——テスト運用時代の特待生にして現役女優。
「……ねえ理事長。これ、記載ミスですよね? 担当候補が複数いるのもおかしいし、メンツが重すぎるんですけど。俺、ただの平平凡凡な新入生ですよ?」
「特例だ。彼女たちは才能の塊だが、誰も手を焼く問題を抱えておる。氷のように冷たく心を閉ざしたアイドル、他人の演技を認めない女優、笑顔の裏に闇を隠した新人……。このままでは潰れてしまう」
「へー、大変ですね。過去のテスト運用からいるサポート科の優秀な先輩たちに任せたらどうですか?」
「君でなければダメなのだ」
理事長は組み上げた手に顎を乗せ、意地悪い笑みを浮かべた。
「君が10年前、誰よりも現場で『演技の本質』と向き合ってきたからだ。演技をしろというわけではない。しかし君があの時期に得たものは演技力だけじゃないんだ。相手の限界を見抜き、魅力を100%引き出す裏方としての腕——それを持つのだ。」
「いやいや、10年前の話ですよ? 今の俺はただの高校生ですって」
「湊。断るなら——君が『あの久瀬湊』であることを全校生徒に公表する」
「……は?」
俺は思わず素で声が出た。
「ちょっと待ってください、職権乱用じゃないですかそれ! 卑怯すぎでしょ!」
何をぬかしてるんだこのジジイは。脅迫で訴えたら勝てるのではなかろうか。
「くくっ、何とでも言え。静かな学園生活を送りたいなら、彼女たちの専属サポートを引き受けろ。断れば明日から君は全校生徒とメディアの注目の的だ」
「……っ〜〜〜〜〜!」
頭を抱えた。
断ったら即座に平穏な高校生活終了。引き受けても面倒くさそうなトップアイドルたちの担当。
……詰んでるじゃねえか。
「……はあぁぁぁ……」
クソでかい溜息を部屋に響かせる。
「わかりましたよ……やればいいんでしょ、やれば。……ただし、俺のやり方でやらせてもらいますからね。文句言わないでくださいよ」
「ほう?……もちろん、好きにしろ」
理事長が満足そうに頷くのを見て、俺は心の底から嫌そうな顔で資料を引っつかんだ。
静かで目立たない裏方生活。
そんな俺の淡い理想は、入学初日にして早くも崩れ去った。
「……マジで辞めたくなってきた」
入学初日なのにそんなことをボヤきながら理事長室を後にする。
こうして、今は普通の高校生である元天才子役の、最高に面倒くさい「サポート生活」が幕を開けてしまったのだった。




