聖地
「ただいまより、日本高校野球総合野球連盟、朝陽新聞社主催、第111回全国高等学校野球選手権大会、開会式を行います――」
その声が、聖地に響いた。
一瞬の静寂。
そして――。
甲子園球場に、開会式のファンファーレが鳴り響いた。
満員のスタンドから、大きな拍手が湧き起こる。
「選手が入場します――」
行進曲が始まった。
だが――。
今年、最初に姿を現したのは、第111回大会の代表校ではなかった。
二枚のプラカードを持った女子生徒が、堂々とグラウンドへ足を踏み入れた。
一枚目には、
『第33回全国高等学校女子硬式野球選手権大会 優勝』
そして二枚目には――
『神戸ミネルヴァ学院』
場内がどよめいた。
その後ろから、優勝旗を手にした主将・須崎春香を先頭に、神戸ミネルヴァ学院女子野球部が姿を現した。
今年から女子選手にも、この全国高等学校野球選手権大会への道が開かれた。
しかし彼女たちは、女子高校野球の頂点を目指す道を選んだ。
そして――勝った。
全国の女子高校球児の頂点に立った、王者だった。
場内アナウンスが響く。
「第33回全国高等学校女子硬式野球選手権大会優勝、神戸ミネルヴァ学院。今大会より、女子高校野球全国大会優勝校も、全国王者として開会式の入場行進に参加します」
大歓声。
泣いている選手がいた。
それでも胸を張り、前を向いて歩いた。
実況席から藤崎浩平アナウンサーが伝える。
「素晴らしい光景です。泣きながら行進している女子選手も見受けられます。夢にまで見た甲子園で決勝を戦い、全国の頂点に立った選手たち。そして今、その甲子園で入場行進の先頭を見事に務めています」
解説の片桐修一がうなずいた。
「素晴らしいですね。野球に垣根はありません。満員の甲子園からこれだけの拍手を受けて歩く。これは彼女たちにとって一生の思い出になるでしょう」
「いやあ、最初から驚く開会式になりました」
二枚のプラカードを持つのは、西宮市立甲陽高校の女子生徒。
神戸ミネルヴァ学院の選手たちは、大歓声の中を進んでいった。
男子でも、女子でもなかった。
高校野球の、王者だった。
◇
藤崎アナウンサーが続けた。
「そして片桐さん、第111回大会では、いくつか大きな変更があります」
「はい」
「まず選手の健康管理、安全面を考慮し、ベンチ入りできる登録選手が従来より2名増え、22名となりました」
「夏の大会です。選手の身体を守る意味でも非常に大きな変更ですね」
「さらに監督に加え、2名のコーチがベンチに入ることも認められました」
「監督が試合全体を見る。コーチが選手の状態を見る。役割を分担できます。勝つためだけではなく、選手を守るためのベンチという考え方ですね」
「そして、もう一つあります」
藤崎は資料をめくった。
「これまでチームを支えてきたマネージャーについても、本大会から各校1名に限り、入場行進への参加が認められました」
「試合への出場資格はありませんが、特別登録として――背番号23をつけ、選手たちとともに甲子園を行進します」
片桐が微笑んだ。
「いいですねえ」
「片桐さん、うれしそうですね」
「だってそうでしょう。毎日の練習を支え、記録を取り、選手の一番近くで喜びも悔しさも見てきた。試合に出られなくても、その人も同じ夏を戦った仲間です」
そして、少し笑った。
「行進するときくらい、一緒に甲子園を歩いていいじゃないですか」
「まさに、チーム全員でつかんだ甲子園です」
◇
そして今年、もう一つ。
甲子園の開会式に、新しい試みが導入された。
「代表校の学校名が紹介されますと、甲子園の大型ビジョンには、その学校が地方大会を勝ち抜いた激戦の模様がダイジェストで映し出されます」
大型ビジョンに、第111回大会のシンボルマークが浮かんだ。
「甲子園に来た学校だけでなく、その学校がどのような戦いを乗り越えてここへ来たのか。観客の皆さんにも、代表校それぞれの夏を知っていただこうという試みです」
片桐がビジョンを見上げた。
「これは意味がありますよ。甲子園だけ見れば、今日が夏の始まりに見えます。でも選手たちの夏は、もう始まっている。何度も負ければ終わりという試合を戦って、ここまで来たんです」
そして付け加えた。
「そこには当然、敗れた学校も映ります」
「なるほど」
「代表校だけで作った夏ではありません。戦った相手がいたから、ここに立てる。そこまで映してくれたら、私はうれしいですね」
「甲子園に来られなかった高校球児たちの夏も、この大型ビジョンを通して聖地へやって来る――」
「ええ。そういうことだと思います」
そのとき――。
場内アナウンスが響いた。
「続いて、第111回全国高等学校野球選手権大会、代表校の入場です」
拍手。
「先頭は、前年度優勝校――大阪代表、浪速桐蔭高校」
甲子園が沸いた。
大型ビジョンが切り替わる。
大阪大会決勝。
九回、一点差。
最後の打球を遊撃手が処理する。
一塁――アウト。
マウンドへ駆け寄る浪速桐蔭の選手たち。
その一方で、ベンチ前には涙を流す相手校の選手たち。
最後に、
『大阪代表 浪速桐蔭高校』
の文字が映し出された。
「前年度全国優勝、浪速桐蔭高校。今年も投打ともに全国屈指の戦力を誇ります。大阪大会でも強力打線は健在。4番・真田剛を中心とした打線に加え、複数の投手をそろえる投手層の厚さも大きな武器です」
片桐が言った。
「連覇を狙える戦力でしょう。ただ、追われる立場で戦う難しさもあります。今年の浪速桐蔭が、そこをどう乗り越えるか楽しみですね」
「今の拍手、浪速桐蔭だけに送られているものではないようにも聞こえます」
「ええ。大阪大会で戦ったすべての高校球児への拍手でもあると思います」
◇
それから――。
全国の代表校が、次々と聖地へ姿を現した。
北北海道代表、旭嶺高校。
8年ぶり6回目。
大型ビジョンには、最速148キロのエース黒川蒼が最後の打者を三振に仕留める姿。
南北海道代表、札幌北星学院。
3年連続12回目。
高校通算38本塁打、走攻守の中心・高梨陸。
「北の大地から、今年も全国制覇を狙えるチームがやってきました」
青森代表、八戸蒼陵。
岩手代表――花巻高校。
ここで藤崎の声が一段高くなった。
「4年連続15回目。二刀流・佐々木湊。投げて最速150キロ、打って高校通算32本塁打。今大会屈指の注目選手です」
「優勝候補の一角でしょう」
片桐が答える。
「そしてこの花巻高校――大会初日の第一試合に登場します」
秋田代表、秋田白神高校。
41年ぶり3回目。
ビジョンに優勝を決めた瞬間が映ると、スタンドで涙を流す卒業生の姿があった。
「41年ぶりです」
「今歩いている選手たちが生まれる、ずっと前ですね。学校と地域が待ち続けた甲子園でしょう」
山形代表、庄内学院。
春夏通じて初出場。
宮城代表、仙台青葉学院。
5年連続21回目。最速151キロの伊達翔を擁する優勝候補。
福島代表、磐城光英。
福島大会6試合無失策。
茨城代表、常陸学院。
3試合を逆転で勝ち上がった粘りのチーム。
栃木代表、下野中央。
初出場。
群馬代表、上州健成。
県大会6試合58得点。
埼玉代表、武蔵栄徳。
千葉代表、房総総合。
12年ぶりに戻ってきた古豪。
東東京代表、帝都成明。
高校通算44本塁打の神崎龍。
西東京代表、西都早慶学院。
神奈川代表、横浜学院。
「激戦区神奈川を2年連続で制しました。走攻守三拍子そろった遊撃手・牧野瞬。全国から注目される優勝候補です」
山梨代表、甲斐航空学院。
新潟代表、越後文星。
長野代表、信州松陵。
33回目の夏。
富山代表、立山商業。
石川代表、加賀星稜学院。
最速150キロ、前田昴。
福井代表、越前北陸学院。
静岡代表、駿河菊川高校。
愛知代表、尾張中京学院。
31回目の出場を誇る伝統校。
岐阜代表――飛騨清流高校。
「初出場です。そして片桐さん、この学校の野球部員は――23人です」
大型ビジョンには、県大会優勝を決め、ベンチから全員が飛び出していく姿。
「23人全員でつかんだ甲子園ですね」
「ええ。人数ではありません。23人にしか作れないチームもあるんです」
三重代表、伊勢海星学院。
滋賀代表、近江湖東学院。
京都代表、洛陽国際学院。
兵庫代表、播磨報徳学院。
地元代表の登場に、甲子園からひときわ大きな拍手が起こった。
奈良代表、大和誠心高校。
和歌山代表、紀州和歌山高校。
地方大会5本塁打、4番・熊野雄大。
大型ビジョンには、豪快な本塁打が映し出された。
そして――。
中国地方へ入った。
岡山代表、吉備学芸学院。
機動力で勝ち抜いた4年ぶり6回目の夏。
広島代表、安芸陵高校。
3年連続26回目。
エース宮島龍を中心に投打のバランスが取れた、今大会の優勝候補。
鳥取代表、伯耆城北高校。
2年ぶり7回目。
一点差をものにする勝負強さで、鳥取大会を勝ち抜いた。
そして――。
藤崎アナウンサーが、資料から顔を上げた。
「片桐さん」
「はい」
「間もなく――島根代表が、この甲子園に姿を現します」
片桐の表情が変わった。
「……来ますね」
「高校野球.COMで全国の人々を熱中させた、あの島根大会決勝」
「私も釘付けになりました」
片桐は、はっきりと言った。
「感動しました」
大型ビジョンには、まだ第111回大会のマークが映っている。
藤崎がグラウンドを見つめる。
「全国の高校野球ファンが見守った、あの激闘。その勝者が――いよいよ聖地へやって来ます」
入場口から、次のプラカードが現れた。
藤崎が息を吸った。
「さあ、間もなく島根代表が聖地にやってまいります」
そして――。
場内アナウンス。
「島根県代表――」
ほんの一瞬。
時間が止まった。
「島根大学付属松江高等学校」
――次の瞬間。
甲子園が、
爆発した。
拍手。
歓声。
また拍手。
入場口から姿を現した島大松江高校の選手たちは、校名が告げられた、その瞬間――。
行進しながら一斉に帽子を取った。
そして、
満員の甲子園へ向かって――
一礼。
さらに大きな拍手が降ってきた。
「これは……!」
藤崎も思わず声を上げた。
その先頭には――二人いた。
主将、
竹内さおり。
副主将、
石川こなつ。
二人が並び、
島根大会の優勝旗を、二人で持っていた。
どちらか一人ではない。
二人で。
その後ろを、島大松江高校の選手たちが歩く。
その瞬間――。
甲子園の大型ビジョンが切り替わった。
映し出されたのは、
島根大会決勝、延長十回裏。
星承高校、水木の打球が右中間へ伸びる。
竹下大和が追う。
ジャンプ。
グラブに当たった。
弾かれた白球――。
その後ろから、
石川こなつ。
滑り込む。
捕った。
甲子園から、どよめきが起こった。
映像の中で、こなつが立ち上がる。
大和へボールを託す。
三塁走者が生還。
そして二塁走者・瀧本が三塁を蹴った。
ホームへ――。
竹下大和が、投げた。
白球が、
甲子園の巨大なスクリーンを横切った。
あの日、島根県中を震わせた――
伝説のバックホーム。
再び、
甲子園から大きな拍手が起こった。
結果を知っているはずの観客たちが、
もう一度、
あの一球を見つめていた。
藤崎はしばらく何も言わなかった。
拍手を消したくなかった。
やがて片桐が、静かに口を開いた。
「藤崎さん」
「はい」
「このチームを、改めて紹介するつもりはありません」
「……はい」
「全国の多くの方が、もう知っていますから」
片桐は行進する選手たちを見つめた。
そして――。
「一つだけ言えることがあります」
藤崎が待った。
「このチームは――無限です」
藤崎が笑った。
「さあ、その島大松江高校。実は休んでいる時間はあまりありません」
「そうなんですよ」
「このあと大会第一試合。いきなり優勝候補の一角――岩手代表・花巻高校と相まみえます」
「佐々木湊選手を擁する花巻高校ですからね。これは初日から大変な試合になりました」
「楽しみで仕方ありません」
大型ビジョンには、島大松江の選手たちが次々と映し出されていく。
そして藤崎が、一人の選手に触れた。
「ライトを守る竹下大和選手。守備位置はライトですが、背番号は3をつけています」
片桐がうなずく。
「これは、お兄さんの大樹さんが当時着ていたユニホーム。その背番号を受け継ぎたいという思いを鈴木監督が受け止め、登録したものだそうですね」
「そしてファーストの山内隆一選手は、背番号9です」
その山内が――。
泣いていた。
いや。
泣いている、という程度ではなかった。
ぼろぼろだった。
隣を歩く太一が、小さな声で囁いた。
「山内先輩……泣きすぎですよ」
「だ、だってよぉ……」
「今年から全世界にLIVE中継されてるんですよ。山内先輩の顔、世界中に映ってますよ」
山内は涙を拭いた。
しかし、また溢れた。
「だって……しょうがないじゃないか」
声を震わせる。
「母ちゃんや、弟のことを思うと……涙が止まらないんだよ」
太一が少しだけ笑った。
「……では、思う存分泣いてください」
すると後ろから――。
ひまわりが顔を出した。
その胸には、
23。
「山内先輩」
「なんだよ……」
「泣くのは構いませんけど」
にっこり。
「泣きすぎるとエネルギー使いすぎますから、第一試合、外されますよ」
「えっ!?」
「健康管理です」
「そこまで管理するのかよ!」
太一が吹き出した。
ひまわりも笑った。
山内も――
泣きながら、笑った。
さおりが歩く。
こなつが歩く。
大和が歩く。
山内が泣きながら歩く。
太一が笑う。
背番号23のひまわりが、その仲間たちと同じ甲子園の土を踏んでいる。
その後ろには――
ここへ来ることのできなかった者たちの思いもあった。
星承高校。
水木。
川口。
瀧本。
そして、あの決勝を戦ったすべての選手たち。
大型ビジョンには最後に、
試合終了後――
互いを称える両校の姿が映し出された。
満員の甲子園から、
もう一度、
大きな拍手が送られた。
それは勝者だけに向けられた拍手ではなかった。
あの夏を戦った、
すべての高校球児へ送られた拍手だった。
島大松江高校は、
一歩。
また一歩。
聖地を進んでいく。
三年前――。
まだ甲子園を夢見ることしかできなかった少女たちがいた。
女子だから。
前例がないから。
無理だと言われたこともあった。
それでも――。
歩みを止めなかった。
仲間を信じた。
託した。
託された。
そして今日。
竹内さおりと石川こなつは、
二人で優勝旗を握り、
胸を張って――
甲子園を歩いていた。
藤崎アナウンサーが、静かに伝えた。
「島根県代表――島根大学付属松江高等学校」
「今――聖地、甲子園に参上です」
万雷の拍手が、
いつまでも、
いつまでも――
鳴り響いていた。




