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栄冠は君に輝く  作者: konatsu


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インフィニティ

山内隆一は、手のひらに乗せた御守りを見つめた。

少し色褪せた、小さな御守り。

さおりも、玉木も、太一も、慎之介も何も言わない。

ただ、山内の言葉を待っていた。

山内は一度、息を吸った。

「僕には――二人の母ちゃんがいる」

さおりの表情がわずかに変わった。

「一人は、僕を産んでくれた母ちゃん。もう一人は、僕を育ててくれている母ちゃん」

山内はスタンドへ目を向ける。

「今、あそこで応援してくれているのは、僕を育ててくれた母ちゃん」

そして、もう一度御守りを見た。

「産んでくれた母ちゃんは、僕が三歳の時に亡くなった」

誰も言葉を挟まない。

「昨日ね。今の母ちゃんが、突然一本のDVDと、この御守りを渡してくれたんだ」

山内は御守りを仲間へ見せた。

「DVDには――」

少し笑った。

「『18歳の隆一君へ』って書いてあった」

「18歳?」

太一が聞いた。

「うん。僕、二週間前に18歳になったんだ」

そして――。

山内の目に、昨夜の映像が蘇った。

テレビ画面に映っていたのは、病室だった。

白い壁。

窓から入る、柔らかな光。

ベッドの上には、一人の女性。

病気で痩せていた。

撮影する父親に身体を支えられながら、それでも笑っていた。

「隆ちゃん」

山内は、テレビの前から動けなかった。

ほとんど記憶に残っていない母の声。

「18歳のお誕生日、おめでとう」

母は少し息を整えた。

「元気かな?」

そして笑った。

「できたら、この映像なんか見ないで、一緒にお誕生日を祝えているといいなって思っています」

一度、目を伏せる。

「そう信じています」

再びカメラを見た。

「でも、もし私がそこにいないのなら……今、隆ちゃんはこの映像を見ているんだね」

山内の目から涙が落ちた。

「隆一君」

母は、未来の息子を見つめるように言った。

「愛してるよ」

その一言だけで――。

十八年間、届かなかったものが一気に胸へ入ってきた。

「今の隆ちゃんには、きっと大切な仲間がいると思います」

「その人たちを大事にしなさい」

「あなたを愛してくれている、お父さんがいる」

そして――。

母は少し笑った。

「それから、きっとあなたを大事にしてくれているお母さんもいる」

テレビの前で、山内は息を呑んだ。

「そのお母さんに、いっぱい感謝してください」

「きっとその人も、私と同じくらい隆ちゃんを愛してくれているから」

母の声が、わずかに震えた。

「悩んだり、苦しんだりしながら、それでも笑って、一生懸命あなたを育ててくれていると思います」

そして。

母は手元から、小さな御守りを取り出した。

山内が今持っている――。

その御守り。

「これはね」

母は両手で包んだ。

「隆ちゃんが無事に生まれてきますようにって、私が作った御守りです」

胸元へ寄せる。

「18歳になったあなたへの、私からの贈り物」

山内は泣いていた。

「きっと、この御守りは隆ちゃんの夢を叶えてくれる」

母は最後まで笑っていた。

「もし私がいなくても、あなたにはたくさんの人が寄り添ってくれる」

「だから、一人じゃないよ」

そして――。

「隆ちゃん」

画面へ向かって、小さく手を振った。

「いっぱいいっぱい、愛してるよ」

最後に――。

『母より』

映像は、そこで終わった。

マウンド。

山内は御守りを握った。

「嬉しかった」

声が少し震えた。

「亡くなった母ちゃんが、ずっと僕を守ってくれていた」

そして、仲間たちを見る。

「母ちゃんの言った通りだったよ」

一人。

また一人。

目を合わせていく。

「僕には今――最高の仲間がいる」

誰も笑わなかった。

誰も泣いていることを隠そうとしなかった。

山内は御守りを持ち上げる。

「それに、この御守りは僕の夢を叶えてくれる」

一度、間を置いた。

「でもね」

「ん?」

「僕には、もう一つ御守りがあるんだ」

山内は――。

スタンドを指差した。

「あそこに」

「母ちゃん!」

小学生の弟が声を上げた。

「兄ちゃんがこっち指さしてる!」

「え?」

「母ちゃんのことだよ。絶対」

母親は、自分の手の中を見た。

そこには――。

自分が作った御守り。

渡せなかった御守り。

そっと胸へ抱いた。

「僕、知ってたんだ」

山内は続けた。

「今の母ちゃんも、僕のために御守りを作ってくれてたこと」

「じゃあ、どうして持ってこなかったんだ?」

玉木が尋ねる。

山内は首を振った。

「僕には渡さなかった」

御守りを見る。

「たぶん――産んでくれた母ちゃんに敬意を払ってくれたんだと思う」

山内は少し笑った。

「でも、気持ちは一緒だよ」

スタンドを見る。

「二人とも僕を愛してくれている」

そして。

仲間たちへ視線を戻した。

「僕らも――似てると思わない?」

「俺たちが?」

「うん」

山内はゆっくり頷いた。

「いっぱい泣いた」

「いっぱい笑った」

「ケンカもした」

慎之介が少し笑った。

「でも――同じ夢を追いかけてきた」

山内は、幼い頃から何度も聞いてきた言葉を思い出した。

「今の母ちゃんがね、小さい頃から言ってたんだ」

一拍。

「泣けば泣いただけ、人は強くなれる」

「笑えば笑っただけ、人に優しくなれる」

そして。

「願えば願うほど――夢を叶える機会が増える」

山内はマウンドを見る。

「僕ら、いっぱい泣いたよね」

「……ああ」

「いっぱい笑ったよね」

さおりが頷いた。

「そして――ずっと願ってきた」

山内はしゃがみ込んだ。

人差し指を伸ばす。

マウンドの土へ――。

ゆっくりと文字を書いた。

一画。

もう一画。

玉木たちが、その指先を見つめる。

書かれた二文字。

無限

山内が立ち上がった。

「今、その夢を叶える機会が――目の前にある」

そして。

「だから、きっと」

さおりが山内の肩へ腕を回した。

「みんな、集まろう」

玉木。

太一。

慎之介。

山内。

マウンドに書かれた――。

無限。

その二文字を囲んで円陣を組んだ。

山内が言った。

「もう一つだけ」

全員が顔を上げる。

「DVDの裏に、母ちゃんの字で言葉が書いてあった」

声が静かになる。

「すごく弱い字だった」

「たぶん――最後の力で書いたんだと思う」

山内は、その言葉を仲間へ渡した。

「人は信ずれば、無限の力となる」

その瞬間。

遠くから聞こえていた両校の演奏が――。

不思議なほど鮮明に聞こえた。

さおりが笑った。

「隆ちゃん」

「ん?」

「最高の伝令だよ」

山内も笑った。

さおりは全員を見た。

「みんな」

一度だけ――。

マウンドの「無限」を見る。

「夢を叶えるよ」

「おう!」

「甲子園で――試合をしよう」

そして。

声を張った。

「そのために、今、この試練を超えるんだ!」

「おおおおおっ!」

声が弾けた。

センター付近。

その光景を、こなつたちが見ていた。

こなつ。

芦田。

大和。

「私たちも」

こなつが手を差し出した。

芦田が握る。

大和も――。

その手を握った。

三人は空を見上げる。

大和が目を閉じた。

「兄ちゃん……」

胸の奥。

火が――。

静かに、強く燃えた。

「なんというチームでしょう!」

実況席の神谷が声を上げた。

「島大松江高校! マウンドでは円陣! そして外野では三人が手をつないでいます!」

その時。

桑原が身を乗り出した。

「神谷さん――」

「はい?」

「あれを」

カメラが星承高校ベンチへ向いた。

次打者――川口智也。

そのバットを、一人の選手が握っている。

そして。

隣へ渡す。

一人。

また一人。

言葉はない。

一本のバットに――。

それぞれの想いだけを込めていく。

最後に。

バットは石川監督へ渡った。

石川は両手で握る。

一瞬――。

目を閉じた。

そして。

川口へ差し出した。

川口は、両手で受け取った。

神谷の声が小さくなった。

「星承高校も……」

一度、言葉を切る。

「川口君のバットに、一人一人が想いを託しています」

桑原も、しばらく言葉を探した。

「……神谷さん」

「はい」

「もう、どちらが主人公なのか分かりませんね」

神谷は答えなかった。

答えられなかった。

「……すみません」

声が震えていた。

「私――」

一度、息を整えようとする。

「今は、実況ができません」

マイクから少し離れた。

「桑原さん……お願いします」

しかし――。

桑原も、何も言えなかった。

画面から声が消えた。

一秒。

五秒。

十秒。

映っているのは――。

マウンドを離れていく山内。

そして。

仲間の想いを込めたバットを胸に抱く川口。

二十秒。

三十秒。

三十五秒。

誰も――。

話さなかった。

そして球場から。

大きな拍手が起こった。

山内へ。

川口へ。

島大松江へ。

星承へ。

誰か一人ではなく――。

この試合そのものへ向けられた拍手だった。

島崎は涙を流しながら指揮をしていた。

反対側。

鬼塚も泣いている。

だが――。

二人とも腕を止めない。

二つの応援席から、一つの音が流れていた。

島根県議会。

大型モニターを見ていた議員たちが立ち上がった。

竹内知事。

川口県議。

高場議長。

誰からともなく拍手が始まり――。

議場全体へ広がった。

『高校野球.COM』

チャット欄が猛烈な速度で流れていく。

《神試合超えてる》

《仏試合だろこれ》

《涙止まらん》

《この曲ここで使うの反則》

《インフィニティ=無限》

《両校とも甲子園行かせろ》

その中には――。

《さすがに熱すぎ》

《シナリオあるだろ》

《俺は逆に冷めた》

そんな書き込みもあった。

だが。

賛否さえ飲み込みながら――。

試合は続いている。

山内がベンチへ戻った。

その瞬間――。

拍手。

「隆一!」

八雲が抱きつく。

「うわっ!」

そこへ出雲まで加わった。

「ちょっと待って! 苦しい!」

ベンチに笑いが起きた。

そして。

鈴木監督も立ち上がっていた。

拍手を送っている。

「隆一」

「はい」

鈴木は真っすぐ山内を見た。

「見事な伝令だった」

山内の表情が変わる。

「監督として――感謝する」

そして。

「お前には、人を動かす力がある」

鈴木は言った。

「打率にも球速にも出ない力だ」

山内の目に、再び涙が浮かんだ。

「お前は――立派な選手だ」

山内は深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

八雲が、また肩を抱く。

「隆一!」

「だから苦しいって!」

笑いが起こる。

しかし――。

「ちょっと!」

山内が突然、大声を出した。

全員が止まった。

「試合は続いてるんだよ!」

そして笑った。

「僕らの夢も、まだ続いてる!」

全員の表情が変わった。

ひまわりが腕を組む。

「その通りです」

そしてグラウンドを指差した。

「皆さん」

少し呆れたように。

「今、ノーアウト満塁なの忘れてませんよね?」

「…………」

ベンチに苦笑が広がった。

ひまわりは表情を戻す。

「だから――」

グラウンドを見る。

「信じましょう」

一拍。

「みんなを」

誰も答えなかった。

ただ――。

全員が頷いた。

マウンド。

玉木は足元を見た。

無限。

山内が残した文字。

白球を握る。

強く。

そして――。

ホームを見る。

さおりが腰を下ろしかけて、ふと止まった。

ホームベースの後ろ。

人差し指を土へ伸ばした。

玉木が見ている。

さおりが書いた文字。

同じ二文字。

無限。

マウンドに――無限。

ホームに――無限。

その間を。

一本の白線のように――。

玉木とさおりの視線がつないだ。

星承高校。

川口智也は、バットを持ってベンチ前で立ち止まった。

そして。

深く一礼した。

(絶対、打つ)

顔を上げる。

マウンドには玉木。

ホームにはさおり。

(島大松江は、逃げない)

川口は少し笑った。

(正面から来る)

こんな場面で。

不思議と恐怖はなかった。

むしろ――。

胸が高鳴っていた。

(今までの野球人生で――)

バットを握る。

(一番クールだ)

ケガで試合に出られなかった時。

石川監督は、それでもセンバツのメンバーに自分を入れてくれた。

仲間も待ってくれた。

だから――。

川口は星承ベンチを見る。

(今度は僕が――)

強く、バットを握った。

(恩返しする)

そして。

バッターボックスへ入った。

実況席。

三十五秒の沈黙を終え――。

神谷が目元を拭った。

深呼吸。

「……失礼いたしました」

まだ少し声は震えている。

「実況へ戻ります」

スコアボードを見る。

「現在、7対5。島大松江高校が二点リード」

そして――。

グラウンドへ。

「十回裏、ノーアウト満塁」

川口が構える。

「星承高校――二番、川口君」

球場を包む音が大きくなる。

神谷が言った。

「両校の応援が――さらに高まってきました」

玉木が足元を見る。

無限。

さおりがミットを構える。

その後ろにも――。

無限。

島大松江ベンチ。

全員が玉木を見る。

星承ベンチ。

全員が川口を見る。

二つの学校。

二つの夢。

そして――。

一つの白球。

さおりがサインを出した。

玉木が見る。

一度だけ――。

頷く。

神谷の声が戻った。

「竹内さんのサインに――玉木君、頷きました!」

玉木が左足を上げる。

川口がバットを構える。

両校の演奏が――。

一つになった。

その曲の名は。

『インフィニティ』。

日本語では――。

無限。

「玉木君――」

白球を握った腕が振り下ろされる。

「投げました!」

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