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栄冠は君に輝く  作者: konatsu


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58/65

島大松江高校の盛夏(せいか)

「ツーアウト、ランナー三塁、一塁。そして打席には――島大松江高校主将、竹内選手です」


神谷誠一アナウンサーの声が、真夏の球場に響いた。


スコアは5対5。


延長十回表。


三塁には太一。


一塁には、十球粘って四球をもぎ取ったこなつ。


そして右打席には、主将・竹内さおり。


両校の応援席からは、同じ『栄冠は君に輝く』の旋律が鳴り響いている。


神谷が続ける。


「桑原さん。この場面、竹内選手はどう攻めるべきでしょうか」


解説の桑原修司は、しばらくグラウンドを見つめた。


「右打者の竹内さんですが、無理に引っ張らず、右方向を狙うのも一つだと思います。強引に振りにいっても、今の川口君を正面から攻略するのは相当難しい」


「やはり、川口君の球威ですか」


「ええ。それから、可能性としてはセーフティーバントもあります」


「ツーアウトでもですか?」


「竹内さんも足がありますからね。そして三塁の鈴木君、一塁の石川さん。二人とも俊足です。野手の間へゴロを転がせれば、内野安打になる可能性もある」


桑原は捕手の石破へ視線を移した。


「だからこそ、川口君と石破君のバッテリーは、できればバットに当てさせたくない。三振を取りにくる配球になると思います」


「となると、初球ですか」


「非常に大事です。竹内さんとしては狙いたい。川口君としては、まずストライクを取って優位に立ちたい。ここからは技術だけじゃない。完全な駆け引きですよ」


神谷が一塁を見る。


「石川選手の動きも気になります」


「もちろんです。盗塁を仕掛けて二死二、三塁にすれば、さらに川口君へプレッシャーをかけられる。また、石破君が二塁へ送球すれば、三塁の鈴木君が本塁を狙う可能性もある」


一塁のこなつ。


三塁の太一。


二人とも、静かに川口を見ていた。


「ただし――」


桑原の声が少し低くなった。


「島大松江は、ここで無得点に終わると相当厳しいですよ」


「十回裏があります」


「星承高校は無死一、二塁から、一番・岡本君。そして故障前には四番を打っていた川口君。三番・水木君、四番・小林君。そして九回裏に同点ホームランを放った石破君まで続きます」


桑原はゆっくり息を吐いた。


「是が非でも一点。できれば、それ以上欲しい場面です」


川口がセットポジションに入った。


石破がミットを構える。


「さあ注目の初球――投げました!」


外角。


ストレート。


ミットが鋭い音を立てる。


「ストライク!」


球審・岡野の右手が上がった。


「外角いっぱい! 竹内選手、微動だにしませんでした」


桑原が首をかしげる。


「今の球は狙ってもいい球でしたね」


「見送った理由があるのでしょうか」


「そこなんですよ。迷って見逃したという感じではありません。最初から振る気がなかったように見えました」


さおりは川口を見ていた。


球筋ではない。


球速でもない。


フォームそのものでもない。


――間。


(分かった)


初球だけで、さおりには十分だった。


(このリズム。この投球間隔のまま160キロ近い球を投げられたら、今の私じゃ当てるだけで精いっぱい)


だが。


ほんの少しなら。


ほんのコンマ何秒だけなら。


(ずらせる)


川口が気持ちよく腕を振る、その時間。


そこに、ごく小さな狂いを作る。


(そのコンマ何秒を、私たちで作る)


さおりはバットを握り直した。


(次はカーブかスライダー)


石破なら、初球の速球を見せたあと、変化球を挟む。


そして――。


(三球目)


渾身のストレート。


そこで仕留める。


いや。


空振りを奪う。


川口が最も投げやすい流れを、石破は作ってくる。


(なら――)


さおりの目が細くなる。


(その流れを壊せばいい)


「さあ二球目。川口君、投げた!」


カーブ。


外から曲がり込んでくる。


さおりは動かない。


バシッ。


「ストライク!」


再び岡野の右手が上がった。


「竹内選手、これも見逃しました! 二球で追い込まれます!」


桑原が腕を組んだ。


「うーん……読めませんねえ」


「何を狙っているのでしょうか」


「分かりません。ただ、一塁ランナーの石川さんも何も仕掛けてこない。そこも不気味なんですよ」


カウントは0ボール2ストライク。


川口が圧倒的に有利。


「とはいえ、この土壇場でできることは限られています。竹内さんとしては、相当苦しいカウントになりました」


だが――。


さおりは確信していた。


(来る)


間違いない。


(三球目。今日一番のストレート)


川口は絶対にここで決めにくる。


(それを――打つ)


さおりは三塁ベンチを見た。


鈴木監督。


何も言わない。


ただ――。


小さく頷いた。


(了解)


次に三塁を見る。


太一。


さっきより、わずかにリードが広い。


最後に一塁。


こなつ。


目が合った。


ほんの一瞬。


それだけだった。


だが、三年間一緒に野球をしてきた二人には十分だった。


こなつが、かすかに笑う。


――行くよ。


そう言っている。


さおりも小さく頷いた。


(行こう)


川口がセットに入る。


球場の音が遠くなる。


石破がミットを構えた。


「さあ、追い込んだ川口君――」


川口が投球動作へ入る。


「第三球――」


その瞬間。


こなつが走った。


同時に――。


太一も三塁を蹴った。


「走った!」


神谷が叫ぶ。


「一塁ランナー石川選手! いや、三塁の鈴木君もスタートしています!」


川口の視界の端へ、一塁から飛び出したこなつが入った。


さらに三塁側から声が飛ぶ。


太一も動いている。


ほんの一瞬。


本当に、ほんの一瞬だけ。


川口の意識が分散した。


呼吸。


足の運び。


そして投球へ入る――間。


コンマ何秒。


ずれた。


(今!)


さおりがバントの構えを見せた。


神谷が絶叫する。


「竹内選手、バントの構え! セーフティバントか!」


三塁手・瀧本が前へ。


一塁手・水木も反応した。


その瞬間。


さおりがバットを引いた。


右足を踏み込む。


構え直す。


「いや! 打ちにいく!」


瀧本の重心は前へ移っている。


水木も一歩を踏み出していた。


そして川口。


投げた。


157キロ。


真ん中高め。


さおりには見えていた。


さっきまでとは違った。


いや――。


球そのものは速い。


恐ろしく速い。


だが。


(間に合う!)


三人で作った。


コンマ何秒。


さおりのバットが振り抜かれた。


カァァン!


球場に、乾いた打球音が響き渡った。


「打ったぁぁぁ!」


神谷が立ち上がる。


「捉えた! 竹内選手、捉えました!」


痛烈なライナー。


三塁手・瀧本の頭上。


瀧本が反応する。


しかし、一歩前へ動いていた。


跳ぶ。


届かない。


「越えたぁ!」


白球が左翼線へ飛んでいく。


レフトが追う。


間に合わない。


打球がフェンスに当たって跳ね返ってくる!


「三塁ランナー鈴木君、ホームイン!」


太一が本塁を駆け抜ける。


6対5。


島大松江、勝ち越し。


ベンチが爆発する。


だが――。


桑原が叫んだ。


「一塁ランナーを見てください!」


こなつだ。


投球と同時にスタートを切っていた。


すでに二塁を蹴っている。


三塁へ。


止まらない。


三塁コーチを見る。


腕が回る。


「石川選手、三塁を蹴った!」


神谷の声が裏返る。


「ホームへ来る! 石川選手、ホームへ向かってきます!」


左翼手がフェンス際で白球を拾った。


中継へ。


素早い返球。


桑原が叫ぶ。


「これはさすがに無謀じゃないですか!」


こなつは止まらない。


(行ける!)


三塁から本塁へ。


全速力。


石破がホーム前に構える。


返球が来る。


こなつが一気に身体を沈めた。


「送球が帰ってきた!」


石破がタッチへ。


こなつが身体を捻る。


ミットをかわす。


右手を伸ばす。


ヘッドスライディング!


砂煙。


球場が静止した。


一瞬。


誰にも分からない。


球審・岡野が位置を変え、プレーを確認する。


そして――。


両腕を大きく広げた。


「セーフ!」


一拍遅れて――。


球場が爆発した。


「セーフ! セーフです!」


神谷の絶叫。


「石川選手、帰ってきました! 一塁から一気にホームイン!」


こなつが地面を叩いた。


「っしゃあ!」


7対5。


島大松江高校。


十回表――二点。


スタンドが揺れる。


三塁ベンチ。


誰も座っていない。


山内が飛び跳ねる。


八雲が両腕を突き上げる。


慎之介が叫ぶ。


ひまわりも泣きながら笑っている。


美佐子は口元を押さえた。


鈴木監督だけは腕を組んでいた。


だが――。


その口元は、わずかに上がっていた。


桑原は興奮を抑えきれない。


「いやあ……驚きました」


神谷も息を整える。


「何が起きたのか、整理しましょう」


リプレーが映る。


桑原が画面を指す。


「形としてはバスターです。ただ、普通のバスターとは狙いが違います」


映像。


こなつがスタート。


太一も同時に動く。


さおりがバントの構え。


瀧本と水木が前へ。


そして一瞬後。


強振。


「一塁、三塁の走者を同時に動かした。さらに竹内さんがセーフティを思わせるバントの構えを見せた」


「それぞれに違うプレッシャーを与えたと」


「そうです。一塁走者。三塁走者。バント。川口君と石破君、そしてコーナーの内野手へ、一瞬ずつ別の情報を与えた」


画面が川口のフォームを映す。


「その結果、川口君の投球に入るタイミングが、ほんのわずかにずれた」


「ほんのわずかですね」


「コンマ何秒でしょう」


桑原は頷く。


「でも、竹内さんにとって必要だったのは、そのコンマ何秒だったんです」


映像。


157キロのストレート。


さおりのバット。


ジャストミート。


「球は素晴らしいですよ。157キロ。しかも真ん中高め。力のある球です」


「それを打ち返しました」


「竹内さん一人ではなく、鈴木君、石川さん。そしてベンチの作戦。全員で作ったタイミングだったということでしょう」


神谷が言葉を失う。


しばらくして、静かに言った。


「島大松江高校……三人で奪った二点です」


一方。


ホームインしたこなつは立ち上がると、泥だらけのユニフォームのままベンチへ向かった。


太一が待っていた。


「速すぎますよ」


「誰に言ってんの」


「はいはい」


二人が笑った。


その頃、さおりは二塁ベースの上にいた。


静かに拳を握る。


大きく喜ぶことはしなかった。


星承の内野を見た。


川口を見た。


そして仲間を見る。


(最高……)


胸がいっぱいだった。


(みんなで取った)


あの川口君から。


難攻不落と思えた川口君から。


(私が打ったんじゃない)


こなつが十球粘った。


太一が走った。


鈴木監督が仕込んだ。


自分が振った。


(みんなで取ったんだ)


さおりの目が熱くなる。


(やっぱり最高だよ)


野球。


そして――。


(私の仲間)


島大松江ベンチと応援席は、歓喜に包まれていた。


相手への敬意を忘れたわけではない。


川口が素晴らしい投球をしたことも分かっている。


星承が強いことも、誰より知っている。


それでも。


この瞬間だけは――。


誰も感情を抑えなかった。


三年間積み重ねてきたものが生んだ二点。


素直に。


思い切り。


喜んだ。


一方の星承高校。


ベンチには、呆然とする選手もいた。


応援席からもため息が漏れる。


その空気を切ったのは――。


石川監督だった。


「おい!」


選手たちが振り向く。


石川監督は笑っていた。


「やられたな」


誰も答えない。


「だったら――」


グラウンドを指さした。


「やり返せ」


選手たちの顔が上がる。


「まだ試合は終わってないぞ!」


「はい!」


声が重なった。


マウンド。


石破が川口のところへ歩く。


川口は悔しそうに唇を噛んでいた。


「悪い」


石破が首を横に振る。


「何が?」


「打たれた」


「157だぞ」


川口が石破を見る。


「最高の球だった」


石破は二塁のさおりを見た。


「それを打った、あの主将を褒めるしかない」


川口もさおりを見る。


少し黙った。


そして笑った。


「そうだな」


グラブを叩く。


「やられた」


大きく息を吐いた。


「でも――」


目が変わった。


「このままじゃ終わらせない」


石破が笑う。


「それでいい」


続く玉木。


川口は再びセットポジションへ入った。


今度は迷わない。


石破のミットだけを見る。


投げた。


玉木のバットが空を切った。


「ストライク! バッターアウト!」


三振。


スリーアウト。


十回表、終了。


神谷がスコアボードを見る。


「島大松江高校、十回表に二点を勝ち越しました」


表示が変わる。


島大松江 7

星承高校 5


「7対5。島大松江高校が、ついに前へ出ました」


だが。


桑原の表情は緩まなかった。


「……神谷さん」


「はい」


「私は、まだ終わる気がしないんです」


神谷が桑原を見る。


「と言いますと?」


桑原の目は、星承ベンチを追っていた。


一番・岡本。


そして川口。


水木。


小林。


石破。


誰一人、下を向いていない。


「十回裏。星承高校は無死一、二塁から、この打線です」


一人ひとりがバットを握る。


「二点差は大きい」


桑原が言った。


「ですが――」


間を置いた。


「この星承高校にとって、絶望的な二点差だとは、私は思えません」


島大松江の選手たちが守備へ向かう。


さおりがマスクを手に取る。


こなつがセンターへ。


大和がライトへ。


太一が三塁へ。


そして玉木が、マウンドへ歩き出す。


あと三つ。


三つ取れば――。


甲子園。


だがその三つは、


ここまでのどの三つよりも、


遠い。


十回表。


島大松江高校が三年間積み重ねてきたものは、


二点という――


**成果(せいか)**になった。


しかし。


まだ、


夏は終わっていない。


十回表のドラマは幕を閉じた。


そして――。


十回裏のドラマは、まだ幕を開けたばかりだった。

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