魂
十回表。
九回を終えて。
島大松江高校 5
星承高校 5
試合は。
タイブレークへ入った。
実況席。
神谷誠一が。
改めてルールを説明する。
「十回からはタイブレーク」
「ノーアウト、一・二塁の状態から攻撃が始まります」
そして。
グラウンドを見渡した。
「さあ――」
「島大松江高校対、星承高校」
一呼吸。
「この先」
「どんなドラマが待っているのか」
「誰にも分かりません」
隣を見る。
「桑原さん」
「ここからの展開、どのように予想されますか?」
桑原修司は。
しばらく。
答えなかった。
グラウンドを見つめる。
そして。
ゆっくりと首を横に振った。
「私にも――」
「まったく読めません」
神谷。
「読めませんか」
「はい」
桑原は。
静かに続ける。
「両校とも」
「全力のプレーをしています」
「星承高校には」
「この春、選抜大会でベスト4まで勝ち進んだ実力があります」
「経験もある」
そして。
一塁側を見る。
「それに対して」
「島大松江高校は」
「その星承高校に」
「堂々と立ち向かっている」
一呼吸。
「今、この試合に関して言えば」
「実力は――互角です」
神谷が。
頷いた。
桑原。
「正直に言います」
「九回裏」
「玉木君が三番・水木君」
「四番・小林君を打ち取って」
「ツーアウトになった時」
少し笑った。
「私は」
「島大松江高校が勝ったと思いました」
神谷。
「私もです」
「ところが」
桑原は。
星承高校ベンチを見る。
「五番・石破君のホームラン」
「そして」
「ツーアウト満塁まで来た時――」
「今度は」
「星承高校が勝つのではないかと思った」
神谷。
「はい」
「しかし」
「島大松江高校は」
「仲間を何度もマウンドへ送り」
「最後には」
「あのピンチを乗り切った」
桑原は。
一度。
言葉を止めた。
「プレーの技術も」
「もちろん素晴らしい」
「でも――」
神谷。
「何が」
「一番すごいのでしょうか」
桑原は。
迷わなかった。
「魂です」
神谷が。
桑原を見る。
「魂……」
「はい」
桑原は。
グラウンドに立つ高校生たちを。
ゆっくりと見つめた。
「相手への敬意を失わない」
「それでも」
「絶対に諦めない」
「仲間を信じる」
「最後の一球まで」
「全力で戦う」
そして。
微笑んだ。
「私は」
「この若者たちに」
「逆に教えられています」
一呼吸。
「本当に――」
「素晴らしい」
神谷は。
胸に手を当てた。
「私もです」
「実況をしていながら」
「この攻防に――」
「震えが止まりません」
◇
その頃。
東京。
日本高野総連。
全国の地方大会を配信する。
高校野球.COM。
職員が。
モニターの数字を見ていた。
「……ちょっと」
「どうした?」
「島根県大会です」
「島大松江高校対、星承高校」
数字を。
もう一度確認する。
そして。
振り返った。
「閲覧数が――」
「地方大会の過去最高記録の」
一呼吸。
「二倍を超えています」
「二倍?」
「はい」
「信じられません」
別の職員も。
画面を見る。
そこには。
5―5
延長十回 タイブレーク
誰かが。
小さく呟いた。
「島根で……」
「何が起きてるんだ」
◇
その頃。
もう一つの場所では。
歓声とは正反対の。
静かな時間が。
流れていた。
竹下大樹。
その葬儀。
しめやかに。
出棺が行われていた。
弟。
竹下大和の姿は。
そこにはない。
大和は。
今。
球場にいる。
亡くなった兄から。
託された夢を背負って。
甲子園を懸けて。
戦っている。
親族たちは。
皆。
葬儀へ参列していた。
父。
徹男。
母。
裕子。
息子を失った。
父と母。
その胸の内を。
誰が。
理解できるだろう。
そして。
亡くなった兄の夢を背負い。
たった一人。
球場へ向かった弟。
大和。
その背中を送り出した。
父と母の気持ちも。
誰にも。
計り知ることはできない。
出棺を終え。
これから。
火葬場へ向かおうとしていた。
その時だった。
ご住職と。
葬儀場の代表者が。
喪主。
徹男の前へ。
歩み寄った。
住職が。
静かに。
頭を下げた。
「この度は」
「心よりお悔やみ申し上げます」
徹男も。
深く頭を下げた。
「ご丁寧なお言葉をいただき」
「ありがとうございます」
「温かいお心遣いに」
「心より感謝いたします」
住職は。
少し間を置いた。
そして。
言った。
「弟さんは」
「今日」
「ここではなく」
「野球場にいらっしゃるそうですね」
徹男の顔が。
少しだけ。
下を向いた。
「……はい」
「兄の夢を」
「叶えたいと言って」
住職は。
静かに頷いた。
「本来」
「大切な方との最後のお別れには」
「家族がそばにいることを」
「私どもも大切にいたします」
そして。
穏やかに。
続けた。
「ですが」
「私は」
「弟さんの選択を」
「間違いだとは思いません」
徹男が。
顔を上げた。
「お兄様が」
「弟さんへ託した夢」
「その夢を」
「今日」
「弟さんが背負って戦っている」
一呼吸。
「それもまた」
「お兄様を思う」
「大切な供養の一つではないでしょうか」
「……ありがとうございます」
徹男の声が。
震えた。
裕子は。
もう。
涙を抑えることができなかった。
二人が。
泣き崩れる。
その時。
葬儀場の代表者が。
静かに声をかけた。
「お父様」
「お母様」
「実は」
「先ほど」
「当社の社員から知らせがありました」
徹男が。
顔を上げる。
「決勝戦は」
一呼吸。
「延長戦に入ったそうです」
裕子の目が。
大きくなる。
「……大和が?」
「はい」
そして。
代表者は。
少し迷った。
それでも。
続けた。
「火葬場とも」
「ご相談をさせていただきました」
「多少ではありますが」
「時間を調整することができます」
徹男。
「……?」
代表者は。
深く頭を下げた。
「私から申し上げることでは」
「ないのかもしれません」
「ですが――」
ゆっくりと。
親族全員を見る。
「この試合が終わるまで」
「ここで」
「弟さんを」
「見届けませんか」
誰も。
言葉を発しなかった。
住職が。
静かに。
手を合わせた。
「故人をしのぶ形は」
「一つではありません」
そして。
棺を見る。
「大樹さんも」
一呼吸。
「弟さんの姿を」
「見届けたいのではないでしょうか」
裕子が。
両手で。
口元を押さえた。
涙が。
次々と。
流れる。
そして。
小さく。
言った。
「……見たいです」
徹男が。
妻を見る。
裕子。
泣きながら。
もう一度。
「大和を……」
一呼吸。
「見たいです」
◇
代表者は。
親族を。
別室へ案内した。
そこには。
一台の大型モニターが。
用意されていた。
そして。
その近くには。
大樹の棺。
住職は。
棺の前へ座る。
静かに。
手を合わせた。
読経。
親族たちも。
手を合わせる。
やがて。
住職は立ち上がった。
葬儀場の代表者とともに。
深く頭を下げる。
そして。
二人は。
静かに。
部屋を出た。
残ったのは。
大樹。
家族。
親族。
そして。
一台のモニター。
画面に。
球場が映った。
大歓声。
延長十回。
タイブレーク。
そして――。
画面の中。
背番号9。
竹下大和。
裕子の目から。
涙があふれた。
「……大和」
徹男も。
唇を噛む。
誰かが。
棺へ向かって。
呟いた。
「大樹」
「弟が――」
一呼吸。
「戦ってるぞ」
◇
球場。
大和はふと
空を見る。
青い空。
その向こうに。
誰かがいるような。
そんな気がした。
――兄ちゃん。
そして。
胸の中で。
静かに言った。
――見ててくれ。
大和は。
グラウンドへ。
視線を戻した。
十回表。
タイブレーク。
島大松江の。
新しい攻撃が。
始まろうとしていた。
そして。
誰も知らない。
この試合の行方も。
その先にある。
彼らの人生も。
ただ。
一つだけ。
確かなことがあった。
今。
この場所で。
それぞれの――。
魂が。
確かに。
つながっていた。




