エース
九回裏。
石破の打球は――。
右中間スタンドへ消えた。
ホームラン。
島大松江 5
星承高校 5
甲子園まで。
あと一つ。
その土壇場で。
星承高校が追いついた。
◇
星承高校ベンチ。
泣いていた。
選手たちは。
泣いていた。
拳を突き上げる者。
仲間と抱き合う者。
顔を覆う者。
そして。
ダイヤモンドを一周し。
ホームベースを踏んだ石破も。
泣いていた。
涙を拭うこともなく。
ベンチへ戻る。
そこに。
石川監督が立っていた。
何も言わず。
右手を差し出す。
石破が。
その手を握った。
石川監督も。
強く握り返した。
「よく打った」
「……はい」
石川監督は。
少し笑った。
「正直――」
一呼吸。
「震えたよ」
石破の目から。
また涙が落ちた。
だが。
石川監督はすぐに。
選手たちへ向き直った。
「さあ!」
「みんな、石破に続け!」
そして。
グラウンドを指さす。
「目指すは甲子園だ!」
「この回で――決着をつけよう!」
「はい!」
その時。
小林が。
水木が。
川口が。
そして。
ベンチの選手たちが。
石破を見る。
全員が。
一礼した。
「ありがとう」
石破が。
目を見開く。
次の瞬間。
一斉に。
飛びついてきた。
「ありがとう!」
「石破!」
「ありがとう!」
「ありがとう!」
何度も。
何度も。
その言葉が飛び交う。
石破は。
仲間にもみくちゃにされながら。
空を見上げた。
――神様って。
――いるのかもしれない。
打った瞬間。
こなつが。
大和が。
必死に追っていた。
それでも。
白球は伸びた。
さらに。
伸びた。
――俺の力だけじゃない。
――みんなの声が。
――あの打球を押してくれた。
石破は。
静かに。
空へ向かって。
頭を下げた。
――ありがとうございます。
◇
実況席。
神谷誠一の声が響く。
「いやあ――!」
「すごい試合です!」
「九回裏、ツーアウト!」
「甲子園まであと一つという土壇場で、石破君の同点ホームラン!」
そして。
「しかし――」
「まだ勝負は続きます!」
場内アナウンス。
「六番、センター――米田君」
星承高校応援席。
「行けぇぇ!」
「この回で決めろ!」
一方。
島大松江応援席からも。
声が飛ぶ。
「玉木ぃぃ!」
「負けるな!」
「ここからだぞ!」
ホーム。
さおりは。
もう。
石破のホームランを考えていなかった。
――終わった一球。
――もう取り戻せない。
見るのは。
次の一球だけ。
マウンド。
玉木を見る。
そして。
強気に。
内角のカットボールを要求した。
――逃げるな。
――玉木。
――腕を振れ。
神谷。
「さあ玉木君!」
「米田君に――投げた!」
その瞬間。
米田が。
バットを寝かせた。
「えっ!?」
コンッ!
セーフティーバント。
一塁方向。
島大松江は。
誰一人として。
予想していなかった。
ファースト。
塙が。
懸命にダッシュする。
一方。
米田も。
一塁へ全力疾走。
「慎之介!」
セカンド。
慎之介が。
一塁ベースカバーへ走る。
塙。
白球をつかんだ。
そのまま。
慎之介へ。
送球。
慎之介が捕った。
だが。
ほぼ同時。
米田が。
頭から一塁へ滑り込む。
土煙。
一塁塁審。
両腕を。
横へ広げた。
「セーフ!」
「うおおおおおお――!」
星承高校応援席が。
再び。
沸騰した。
同点ホームラン。
そして。
セーフティーバント。
完全に。
流れが。
星承高校へ傾き始めていた。
◇
島大松江ベンチ。
鈴木監督が。
振り返る。
「大野」
「はい」
「体調は大丈夫か」
大野は。
頷いた。
「はい。大丈夫です」
鈴木は。
その顔を見た。
「伝令を頼む」
「えっ?」
大野が。
目を丸くする。
「僕ですか?」
「そうだ」
「大野。お前だ」
「わ、分かりました」
だが。
戸惑う。
「何を……伝えれば」
鈴木は。
マウンドを見る。
「俺の言葉じゃない」
「え?」
「お前の気持ちを伝えてこい」
大野は。
黙った。
「投手の孤独を」
「お前なら分かっている」
一呼吸。
「どうすれば、この流れを止められるのか」
「どうすれば、玉木がもう一度腕を振れるのか」
「お前が考えろ」
そして。
静かに言った。
「玉木を――鼓舞してこい」
大野は。
鈴木を見た。
静かに。
頷いた。
「はい」
◇
大野が。
グラウンドへ出る。
球場が。
ざわついた。
「あれ……」
「大野君だ」
「さっき倒れた投手じゃないか?」
体調不良で。
マウンドを降りた大野。
その大野が。
今。
仲間のために。
再びグラウンドを走っている。
一人の観客が。
拍手した。
それが。
広がっていく。
島大松江側から。
そして。
星承高校側からも。
やがて。
球場全体から。
拍手。
大野は。
その拍手の中。
マウンドへたどり着いた。
「玉木」
「……大野先輩」
大野が。
笑った。
「すごいぞ」
「え?」
「あの星承高校を」
「ここまで抑えてきたんだぞ」
そして。
少し苦笑する。
「俺は――」
「抑えられなかったのに」
「そんな……」
横から。
太一が口を挟んだ。
「僕だってそうですよ」
全員が。
太一を見る。
「僕なんて」
笑う。
「登板して、いきなりホームラン打たれましたから」
そして。
玉木を見る。
「だから玉木先輩」
「マジですごいっすよ」
玉木は。
二人を見る。
今日。
このマウンドで。
自分より先に戦った投手たち。
その時。
さおりが。
静かに。
玉木の右肩へ。
手を置いた。
「大丈夫」
玉木が。
振り返る。
「球は走ってる」
「カットボールも、まだ切れてる」
そして。
まっすぐに。
玉木を見る。
「抑えられる」
「だから――」
「腕を思いっきり振りなさい」
大野の顔が。
引き締まる。
「玉木」
「はい」
「いいか」
「自分一人の投球をするな」
玉木が。
大野を見る。
「お前は――」
「一人じゃない」
グラウンドを指さした。
「八人の仲間が守ってる」
ベンチを見る。
スタンドを見る。
「俺たちがいる」
「応援団がいる」
「みんな」
「お前を信じてる」
そして。
強く言った。
「自分の球を投げろ」
玉木が。
拳の中の白球を。
強く握った。
「はい!」
◇
島大松江。
再び。
守備につく。
星承高校ベンチ。
石川監督が。
次の打者へ。
指を一本立てた。
――初球から行け。
場内アナウンス。
「七番、レフト・松本君に代わりまして――」
「代打、加藤君」
神谷。
「星承高校!」
「ここで代打です!」
「加藤君!」
資料を見る。
「今大会!」
「代打で四打数三安打!」
桑原修司。
「代打の切り札ですね」
「非常に調子がいいですから、ここは注意ですよ」
さおりは。
加藤を見る。
頭の中に。
データがある。
――この打者。
――インコースに弱い。
ミットを構える。
――さあ来い。
――玉木。
――インコースのストレートだ。
玉木。
投げた。
だが。
「……!」
要求した内角ではない。
ボールは。
外角へ。
ストレート。
加藤は。
初球から。
迷わず振り抜いた。
カキィィン!
神谷。
「打った!」
「加藤君!」
「見事に三遊間を破った!」
レフト前ヒット。
米田は二塁へ。
加藤も一塁へ。
「ツーアウト一、二塁!」
「星承高校!」
「まだ攻撃が続きます!」
◇
――頑張れ。
――玉木。
さおりは。
マウンドへ行くことはできない。
ベンチを見る。
伝令も。
用意されていない。
スタンド。
玉木の父と母が。
祈っている。
マウンド。
玉木が。
唇を噛んだ。
「大野先輩……」
小さく。
「すみません」
ベンチを見る。
大野がいた。
体調が。
完全に戻ったわけではない。
それでも。
立って。
必死に声を出している。
そして。
何度も。
何度も。
頷いている。
――大丈夫。
――投げろ。
――お前ならできる。
玉木には。
そう見えた。
さおりは。
拳を握る。
――玉木に懸ける。
センター。
こなつも。
大声を張り上げた。
「玉木ぃ!」
玉木が。
振り返る。
「センター方向に打たせろ!」
こなつが。
両腕を広げた。
「全部――」
「捕ってみせるよ!」
玉木の口元が。
わずかに緩む。
――落ち着け。
――落ち着け。
自分に。
言い聞かせる。
しかし。
さおりには。
分かっていた。
――制球が。
――崩れてきてる。
あれほど。
安定していた玉木のコントロール。
石破のホームラン以降。
確実に。
腕が振れなくなっている。
だが。
次は。
八番。
セカンド。
青山拓海。
この夏。
打率一割五分。
――普段の玉木なら。
――抑えられる。
――頼む。
――玉木。
青山が。
右打席に立った。
第一球。
ストレート。
真ん中。
ブンッ!
空振り。
完全に。
振り遅れている。
――よし。
――いける。
さおりは。
ストレート主体へ。
配球を切り替える。
第二球。
内角。
ストレート。
青山。
動かない。
「ストライク!」
ツーストライク。
玉木の顔にも。
少しだけ。
安心感が戻る。
第三球。
外角。
スライダー。
「ボール!」
惜しい。
ボール一個分。
外れた。
――次。
――内角ストレート。
――ここで決める。
さおりが。
サインを送る。
玉木。
頷く。
神谷。
「さあ玉木君!」
「第四球――投げた!」
内角。
ストレート。
青山。
身体をひねった。
だが。
ボールが。
ユニフォームを。
かすめた。
球審。
「デッドボール!」
玉木の顔が。
固まった。
神谷。
「デッドボール!」
「満塁です!」
「星承高校!」
「ツーアウト満塁!」
スタンドが。
揺れる。
「ツーアウト、ランナーなしから!」
「石破君のホームラン!」
「そして今――」
「サヨナラのランナーが三塁!」
「星承高校!」
「一打サヨナラの大チャンスです!」
◇
「鈴木監督!」
声がした。
八雲だった。
立ち上がっている。
「伝令に行かせてください」
鈴木が。
八雲を見る。
「八雲」
その時。
大野が。
叫んだ。
「八雲!」
八雲が。
振り返る。
そして。
大野を見る。
「大野」
一呼吸。
「お前が伝令で」
「投手の気持ちを説いた」
そして。
笑った。
「今度は俺が――」
「投手の素晴らしさを教えてくる」
鈴木監督が。
笑った。
「行ってこい」
そして。
「素晴らしさを――伝えてこい」
「はい!」
◇
八雲が。
グラウンドへ向かう。
球場が。
再び。
ざわついた。
そして。
大きな拍手。
頭部に死球を受け。
この試合。
マウンドを降りた。
エース。
和田八雲。
その八雲が。
今。
伝令として。
グラウンドへ戻ってきた。
拍手。
声援。
敵味方を越えて。
球場全体を包む。
八雲が。
マウンドへ。
内野陣が。
集まる。
玉木を見る。
八雲が。
いきなり言った。
「玉木」
「はい」
「お前――」
一呼吸。
「バカか」
「……え?」
八雲が。
笑った。
「こんな興奮する舞台で」
「抑えてみろ」
玉木を。
指さした。
「めちゃくちゃ――」
「かっこいいぞ」
玉木が。
目を見開く。
「相手だって緊張してる」
八雲は。
さっきの青山を見る。
「今の死球」
「避けられたかもしれない」
「当たりにいったわけじゃない」
一呼吸。
「身体が動かなかったんだ」
そして。
玉木を見る。
「それだけ」
「お前はいい球を投げてる」
だが。
表情を引き締めた。
「ただ」
「投げるリズムが悪い」
「焦ってる」
八雲。
「一呼吸」
「目を閉じてみろ」
玉木。
「……目を?」
「忘れたのか」
八雲が。
自分の胸を指した。
「心眼」
玉木が。
ゆっくり。
目を閉じる。
大歓声。
応援。
仲間の声。
足音。
さおりが。
ミットを叩く音。
全部が。
聞こえてくる。
八雲が。
静かに言った。
「一つだけ」
「言っておく」
玉木が。
目を開く。
八雲は。
まっすぐ。
玉木を見る。
「今」
「島大松江高校のエースは――」
一呼吸。
「俺じゃない」
そして。
玉木を指さした。
「お前だ」
玉木。
息を呑む。
「背番号20番」
「玉木」
「お前がエースだ」
誰も。
何も言わなかった。
八雲。
「恐れるな」
「打たれても」
グラウンドを見る。
「こいつらが」
「必ず守ってくれる」
慎之介。
太一。
塙。
全員が。
黙って。
頷いた。
さおりも。
頷いた。
八雲。
「頼んだぞ」
一呼吸。
「エース」
そして。
マウンドを降りる前。
八雲は。
投手板のそばへ。
しゃがんだ。
利き腕。
左手。
そっと。
マウンドの土に触れる。
「玉木」
「託したぞ」
そして。
マウンドへ。
深く。
一礼した。
◇
八雲が。
ベンチへ戻る。
鈴木監督が。
尋ねた。
「八雲」
「はい」
「プレート――」
少し笑った。
「いや」
「マウンドの神様に」
「何をお願いしてきた?」
八雲は。
玉木を見る。
そして。
静かに答えた。
「俺の大事な後輩を」
一呼吸。
「大好きな島大松江高校を」
「守ってください」
鈴木を見る。
「ただ――」
「それだけです」
鈴木監督は。
何も言わなかった。
静かに。
目を閉じた。
◇
ホーム。
さおりが。
玉木を見る。
「玉木」
「はい」
「悔いのない球を」
「思いっきり投げてこい」
ミットを。
強く叩いた。
「絶対の自信を持て」
さおりには。
分かっていた。
玉木の球威は。
確実に。
落ち始めている。
それでも。
信じていた。
一度。
退部した。
それでも。
戻ってきた。
玉木の。
精神力を。
――ピンチになれば。
――こいつは。
――思ってもみない力を出す。
神谷。
「さあ!」
「星承高校が!」
「ここでサヨナラを決めるのか!」
「それとも!」
「島大松江が!」
「この絶体絶命のピンチを乗り切るのか!」
場内アナウンス。
「九番、サード――瀧本君」
瀧本悠斗。
右打席。
二死満塁。
一打。
サヨナラ。
玉木。
第一球。
外角いっぱい。
ストレート。
ズバンッ!
「ストライク!」
その瞬間。
スコアボード。
145km/h
神谷。
「えっ!?」
「145キロ!」
「玉木君!」
「本日最速です!」
八雲が。
ベンチで。
笑った。
第二球。
カーブ。
瀧本。
見送る。
「ストライク!」
神谷。
「追い込みました!」
第三球。
スプリット。
低い。
さらに。
落ちる。
ワンバウンド。
さおりが。
身体を入れた。
バンッ!
前へ。
落とさない。
桑原。
「いやあ!」
「竹内さん、よく止めました」
「満塁ですから」
「一球たりとも後ろへ逸らせません」
第四球。
カットボール。
外角。
「ボール!」
わずかに。
外れた。
第五球。
スライダー。
瀧本。
見送る。
球審の右手が。
上がりかける。
だが。
止まった。
「ボール!」
神谷。
「わずかに外れた!」
「フルカウント!」
二死。
満塁。
三ボール。
二ストライク。
玉木。
第六球。
ストレート。
瀧本。
振った。
カキィィン!
一塁側。
スタンドへ。
「ファウル!」
両ベンチ。
全員が。
大きく息を吐いた。
桑原が。
落ち着いた口調で言う。
「両校――」
「緊張していますね」
一呼吸。
「でも」
「同時に」
「ものすごく集中しています」
◇
さおりが。
ベンチを見る。
鈴木監督と。
目が合う。
さおりは。
内野陣へ。
サインを送った。
慎之介。
太一。
塙。
守備位置を。
前へ。
内野前進守備。
瀧本が。
それを見る。
そして。
考えた。
――次は。
――変化球。
――たぶんカットボール。
だが。
すぐに。
疑った。
――いや。
――待て。
――そんな簡単な配球を。
ここまで。
星承打線を読み続けてきた。
島大松江。
竹内さおりが。
するのか?
――罠だ。
瀧本の目が。
鋭くなる。
――ストレート。
――さっき。
――今日最速の145キロが出た。
決めた。
――ストレートのタイミングで待つ。
――変化球なら。
――あとは対応する。
ホーム。
さおりが。
サインを出す。
玉木が。
頷いた。
神谷。
「さあ!」
「注目の第七球!」
「ツーアウト満塁!」
「玉木君――」
「投げたぁぁぁ!」
瀧本。
――ストレート!
バットが。
出る。
だが。
白球は。
その軌道から。
外へ。
逃げた。
「なに!?」
132キロ。
外角。
カットボール。
瀧本のバットが。
空を切った。
バンッ!
さおりのミットに。
白球が収まる。
球審。
右腕を。
力強く上げた。
「ストライク!」
「バッターアウト!」
一瞬。
静寂。
そして。
球場が。
爆発した。
「うおおおおおおおお――!」
神谷。
「空振り三振!」
「玉木君!」
「満塁の大ピンチを――」
「抑えましたぁぁぁ!」
マウンド。
玉木は。
何も叫ばなかった。
ただ。
守ってくれた仲間へ。
静かに。
頭を下げた。
そして。
マウンドにも。
一礼した。
◇
ベンチへ戻る。
その瞬間。
何本もの手が。
玉木の前に伸びた。
大野。
八雲。
太一。
そして。
仲間たち。
「ナイスピッチ!」
「玉木!」
「エース!」
玉木が。
一人。
一人。
ハイタッチしていく。
スタンド。
玉木の父親が。
泣きながら。
叫んだ。
「すごいぞぉぉぉ!」
「玉木ぃぃ!」
そして。
頭のネクタイを。
振り回した。
「お前は――!」
「わが社のエースだぁぁぁ!」
隣。
母親が。
泣きながら笑った。
玉木も。
その声が聞こえたのか。
思わず。
笑った。
九回終了。
島大松江 5
星承高校 5
神谷。
「九回で――」
「決着はつきません!」
桑原。
「本当に」
「すごい試合です」
神谷が。
声を張り上げる。
「夏の島根大会決勝!」
「勝負は――」
「十回タイブレークへ!」
誰一人。
座らない。
誰一人。
帰らない。
島大松江。
星承高校。
二つのチームの夏は。
まだ――。
終わらない。




