イニング6
六回表。
星承高校のマウンドに立つ背番号12。
二年生右腕――蓮佛健吾。
その投球は、回を追うごとに凄みを増していた。
石破が外角低めに構える。
蓮佛が投げる。
――ズバン!
ほとんどミットが動かない。
今度は内角。
――ズドン!
また構えた場所へ。
制球が安定している。
それだけではない。
ストレートの伸びが、登板した直後より明らかに増している。
スライダーは鋭く横へ逃げる。
チェンジアップは打者の身体を前へ泳がせる。
スプリットは手元で消えるように落ちる。
実況・神谷誠一が唸った。
「蓮佛、ますますギアを上げています」
解説・桑原修司も頷く。
「ええ。石破君の構えたところへ、ほぼ正確に投げています。ストレートの伸びも回を重ねるごとに良くなっていますし、変化球もよく切れています」
「まだ二年生です」
「星承高校の投手層の厚さを感じますね」
今の蓮佛は――。
まさに、無双状態に入りつつあった。
しかし。
六回表の先頭。
八番・鈴木太一。
場内アナウンス。
「八番、サード、鈴木君」
島大松江応援席から「デビルマン」のテーマが響き始めた。
一年生。
大会打率四割五分前後。
投げれば最速150キロ。
怪物一年生。
その曲が、太一の異様な存在感をさらに際立たせる。
蓮佛、初球。
ストレート。
太一が振った。
完全に詰まった。
カキン!
鈍い打球音。
ライト・森下が前へ走る。
だが――。
その前に落ちた。
「落ちました! ライト前ヒット!」
太一が一塁を駆け抜ける。
蓮佛は一瞬だけ悔しそうな表情を見せた。
完璧に詰まらせた。
打ち取ったはずだった。
石破からボールが返ってくる。
「蓮佛」
「はい」
「今のは打ち取ってる。気にするな」
「はい」
「次、一つずつだ」
「はい。お願いします」
蓮佛は三年生捕手へ力強く頷いた。
九番・佐野慎之介。
初球。
慎之介は迷わずバントの構え。
コツン!
一塁側へ。
「送りバント!」
水木が前へ出る。
捕球。
一塁へ。
アウト。
太一は二塁へ進んだ。
ワンアウト二塁。
そして一番。
石川こなつ。
今度は「キャッツ・アイ」が応援席から響き始める。
左打席へ入るこなつ。
三塁手・瀧本は警戒していた。
通常より前。
蓮佛、初球。
投げる。
その瞬間――。
こなつがバットを寝かせた。
コツン!
「セーフティーバント!」
三塁側。
瀧本が猛然と前へ出る。
読んでいた。
素手でつかむ。
一塁へ。
「際どい!」
こなつが駆け抜ける。
一塁塁審。
「セーフ!」
大歓声。
「セーフです! 瀧本君も十分に警戒していました! それでも石川こなつの足が勝りました!」
太一は三塁へ。
ワンアウト一、三塁。
桑原が感心したように言った。
「面白いですね」
「といいますと?」
「今の蓮佛君の球を、島大松江は簡単には捉えられない。だから無理に打ち崩そうとしていないんです」
一塁のこなつを見る。
「送りバント。そしてセーフティーバント。現状を判断して、自分たちのできる野球を選んでいる」
その時。
星承高校ベンチが動いた。
背番号13。
司悠生。
石川監督の指示を受け、ラインをまたぐ。
伝令。
内野陣がマウンドへ集まった。
司が蓮佛を見る。
「蓮佛」
「はい」
「球は走ってる」
「はい」
「今の島大松江は、基本的にお前の球を捉え切れていない」
蓮佛は黙って聞く。
「だから石川は、セーフティーバントを仕掛けた」
司が一塁のこなつを見る。
「現状を判断して、その時に自分たちのできる野球をしてる」
少し笑った。
「確かにすごいよ。島大松江は」
石破が静かに答える。
「ああ。強いよ」
蓮佛も頷いた。
そして尋ねる。
「では……次はスクイズでしょうか」
司は首を横に振った。
「いや」
「違うんですか?」
「ああ。スクイズはしない」
蓮佛が目を上げた。
司が続ける。
「普通なら、この場面は三球目までにスクイズを仕掛けてもおかしくない。しかも竹内はバントがうまい」
石破が頷く。
「当然、こっちはスクイズを警戒する」
「そう」
司の目が鋭くなった。
「そのことを向こうも分かってる」
「……」
「石川監督は、俺たちがスクイズだと判断している――そう島大松江に思わせる」
石破が聞いた。
「その先は?」
「初球」
司が蓮佛を見る。
「スクイズを徹底的に警戒しているように見せる。ストライクゾーンから大きく外してくれ」
「はい」
「一球、ボールを与える」
そして一塁のこなつを見る。
「二球目。石川が走る」
「盗塁ですね」
「ああ。竹内は見送る」
次に三塁の太一。
「鈴木もホーム方向へスタートする」
石破の目が変わる。
「俺に二塁へ投げさせるためか」
「そう。ただし鈴木は本気ではホームへ来ない」
「フェイクか」
「ああ」
一塁走者が二塁へ走る。
捕手が送球すれば三塁走者がホームをうかがう。
送球しなければ、一塁走者はそのまま二塁へ。
その迷いを作る。
司は言った。
「だから――その隙を逆に使う」
石破がすぐに理解する。
「三塁か」
「ああ」
司は内野陣を見る。
「最初からスクイズ警戒の守備を見せる。瀧本、初球も二球目も猛然と前へ出ろ」
「分かった」
「二球目、石川がスタートしたら岡本」
「はい」
「三塁へ入れ」
「分かりました」
瀧本がホームへ前進すれば、三塁ベースは一瞬無人に見える。
そこへショート・岡本が入る。
司が石破を見る。
「石破」
「ああ」
「二塁へ投げるふりをして――三塁へ」
石破が小さく頷いた。
「分かった」
「ワンチャンある」
蓮佛が思わず息を吐く。
「すごい作戦ですね……」
司が見る。
「どうした?」
「相手の作戦を読むだけじゃなくて……その作戦を利用するんですね」
石破が少し笑った。
「これが決勝だ」
そして蓮佛の肩を軽く叩く。
「お前は余計なことを考えなくていい」
「はい」
「俺のミットだけ見て投げろ」
「はい。お願いします」
二年生の蓮佛は、三年生捕手へ深く頷いた。
司が最後に言う。
「相手が、自分たちのできる野球をしてくるなら――」
全員を見る。
「俺たちも、自分たちのできる野球をする」
内野陣が散った。
蓮佛は思った。
強い。
島大松江は本当に強い。
だが。
その島大松江の作戦を読み、その先に罠を置く。
これが星承高校。
そして――。
その作戦を仕掛ける石川監督の覚悟。
蓮佛は、自分がこのチームの一員であることを誇らしく感じていた。
場内アナウンス。
「二番、キャッチャー、竹内さん」
「ムーンライト伝説」が勢いよく応援席から届く。
さおりが右打席へ入った。
ワンアウト一、三塁。
桑原が言う。
「ここはスクイズでしょう」
神谷が聞く。
「やはり、そう見ますか」
「竹内さんはバント技術も高いですからね。問題はどこで島大松江が仕掛けるかです」
神谷がグラウンドを見る。
「星承は内野を前へ。スクイズ警戒です。外野もタッチアップに備え、定位置よりやや前。竹内さんにプレッシャーを与えます」
初球。
予定どおり。
蓮佛はスクイズを警戒するように、大きく外した。
さおりはバントの構え。
そして大きく外れたボールを見てバットを引く。
「ボール!」
その時。
星承ベンチの石川監督が、わざと選手たちへバントの仕草をしてみせた。
さらに警戒させるための演技。
だが――。
石川監督。
石破。
そして星承守備陣は見逃していなかった。
さおりがバントの構えをした瞬間。
三塁の太一。
一塁のこなつ。
二人のスタートが、いつもよりほんのわずか。
コンマ何秒か遅かった。
石川監督の目が光る。
(やはり――)
スクイズではない。
「さあ、ワンボールから二球目!」
蓮佛が投げる。
143キロ。
ど真ん中。
その瞬間――。
「走った!」
こなつがスタート。
さおりは見送る。
三塁の太一もホーム方向へスタート。
だが、本気では来ない。
本塁と三塁の中間より手前。
そこで速度を落とし、石破の動きを見る。
「石川さん、二塁へ!」
石破が立ち上がった。
右腕を振る。
神谷が叫ぶ。
「キャッチャー石破君、二塁へ――」
違う。
「いや、三塁だ!」
石破の腕が三塁方向へ振られた。
瀧本は、すでにホーム方向へ猛然と前進している。
三塁は無人――。
桑原が叫んだ。
「いや! います!」
ショート・岡本。
瀧本の背後から、三塁へ入っていた。
送球。
一直線。
太一の表情が変わった。
「やられた!」
帰塁。
だが――。
一瞬遅い。
鈴木監督もベンチで呟いた。
「……やられた」
岡本が捕る。
太一が飛び込む。
タッチ。
三塁塁審が覗き込む。
球場が――。
静まり返った。
あまりにも鮮やかなチームプレー。
誰も声を出せない。
一瞬。
そして。
「アウトォォ!」
次の瞬間。
球場が揺れた。
神谷の声まで震える。
「す、すごいサインプレーです!」
桑原も唸った。
「すごいですね……。島大松江の狙いを見抜いた石川監督も見事。しかし、それ以上に、それを寸分の狂いなく実行した星承の選手たちが素晴らしい」
太一が立ち上がる。
アウト。
悔しい。
それでも三塁塁審へ一礼。
そして、打席のさおりへも頭を下げた。
ベンチへ戻る。
「すい――」
「謝るな」
鈴木監督が遮った。
太一が顔を上げる。
「あの程度はミスじゃない」
「でも……」
「俺の作戦ミスだ」
鈴木は星承ベンチを見る。
そして、わずかに笑った。
「今回は、向こうの方が役者が上だった」
太一も星承を見る。
やがて笑った。
「はい」
ツーアウト。
一塁にはこなつ。
打席にはさおり。
マウンドの蓮佛は興奮していた。
星承ベンチも沸いている。
流れが、動きかけている。
さおりはそれを感じ取っていた。
(ここで流れを渡さない)
さらに集中を高める。
その表情を――。
石川監督は見ていた。
そして。
決断。
申告敬遠。
球場がざわめいた。
神谷が声を上げる。
「星承、竹内さんとは勝負しません! 申告敬遠!」
桑原が頷く。
「これも作戦です」
「ここで歩かせますか」
「野球は確率の競技でもあります。打率も防御率も、結果を確率として数字にしたものです」
そして続ける。
「ただ、現場には数字では表し切れないものがあります。相性。流れ。運。そして――最後は監督の勘なのかもしれません」
さおりが一塁へ。
ツーアウト一、二塁。
チャンスは続く。
「三番、ピッチャー、大野君」
「サウスポー」が流れる。
大野がゆっくり打席へ入った。
蓮佛。
渾身の投球。
一球目。
カーブ。
「ストライク!」
二球目。
ストレート。
「ストライク!」
あっという間に0―2。
三球目。
スプリット。
大野が振る。
大きく身体のバランスを崩した。
空振り。
「ストライク! バッターアウト!」
三振。
スリーアウト。
ワンアウト一、三塁。
絶好の追加点機を――。
星承が無失点で切り抜けた。
鈴木監督は一度だけ拍手を送る。
そしてベンチ奥を見る。
「玉木」
「はい!」
「投球練習、始めろ」
玉木の表情が変わった。
「はい!」
六回裏。
星承高校の攻撃。
マウンドに上がった大野を見て、さおりはすぐに異変を感じた。
投球練習。
一球。
二球。
三球。
(……また悪くなってる)
球の切れがない。
さおりがマウンドへ寄る。
「大野君」
「何?」
「どっか調子悪い?」
「いや、大丈夫」
「でも……」
「緊張してるだけだ」
大野はそう答えた。
だが。
額には大量の汗。
呼吸も、いつもより早い。
九番・瀧本。
一球目。
「ボール!」
二球目。
「ボール!」
いきなりツーボール。
明らかに制球も乱れていた。
三球目。
ストレート。
瀧本が打ち返す。
カキィン!
センターへ抜けようかという強烈な打球。
ショート・梶谷が飛んだ。
グラブを伸ばす。
バシッ!
吸い込まれた。
起き上がる。
一塁へ。
「アウト!」
間一髪。
ショートゴロ。
ワンアウト。
続く一番・岡本。
初球。
レフト前。
ヒット。
俊足の岡本が出塁する。
さおりは大野から返球を受けながら思った。
(球速だけじゃない)
回転が悪い。
ストレートの伸びがない。
さおりはベンチを見る。
鈴木監督は動かない。
だが――。
監督の目はブルペンに向いていた。
玉木。
投球練習の強度が上がっている。
(監督も気づいてる)
大野の異変に。
(何とか……この回を終わらせないと)
その時。
島大松江ベンチから背番号10。
塙が飛び出した。
伝令。
内野陣がマウンドへ集まる。
塙が言う。
「大野」
「何だよ」
「調子悪いな」
「……」
「分かってる」
大野は黙っている。
「でも、今はお前に託すしかない」
塙がブルペンを見る。
「玉木が投球練習してる」
そして大野を見る。
「もう一つ、アウト取ってくれ」
大野が顔を上げる。
「信じてるぞ」
さおりも全員を見る。
「みんな」
グラブを叩いた。
「大野君を守ろう」
梶谷。
山内。
太一。
慎之介。
外野から、こなつ、大和、阿知波も声を上げる。
「守り切るのも攻撃と一緒」
さおりが続ける。
「攻撃で一点取ることと、守備で一点を取らせないこと」
一拍。
「同じ一点だから」
大野がさおりを見る。
さおりが笑った。
「さあ、ここからが本当の勝負!」
そして――。
「みんな、栄冠は?」
全員の声が重なった。
「君に輝く!」
マウンドから選手たちが散った。
神谷が言う。
「さあワンアウトから、俊足・岡本君が出塁しました。星承高校、ここからどのように攻めるでしょう」
桑原が答える。
「六回というのは難しいイニングなんですよ」
「難しい?」
「まだ試合終了は見えない。でも四点差を一気に取り返そうとすると、攻撃が粗くなります」
スコアは5―1。
「まず一点ずつ。大振りせず、強い打球を打つ。今の大野君は、いつものような球の伸びがありませんからね」
二番は好投を続ける蓮佛君。
三球目。
スライダー。
打った。
三塁ゴロ。
弱い。
太一が捕球。
二塁は間に合わない。
一塁へ。
「アウト!」
ツーアウト。
岡本は二塁へ。
大野がマウンドへ戻る。
だが。
笑顔はなかった。
肩で息をしている。
さおりがベンチを見る。
次の打者。
三番・水木蓮司。
星承高校主将。
最強打者の一人。
大野も鈴木監督を見る。
そして――。
さりげなく人差し指を一本立てた。
もう一つ。
この回だけ。
最後の一つを俺に取らせてくれ。
鈴木には伝わった。
ブルペンでは玉木が、いつでも行ける。
投手交代。
だが鈴木は動かなかった。
大野を見つめる。
そして小さく口を動かした。
「迎えて、笑顔で戻ってこい」
大野が球を握りしめる。
さおりも腹を決めた。
一塁は空いている。
申告敬遠もできる。
しかし――。
勝負。
神谷が驚く。
「島大松江、強打者・水木君と勝負です!」
桑原が言う。
「歩かせても次は四番・小林君。水木君は今日は結果こそ出ていませんが、星承をここまで引っ張ってきた強打者です」
初球。
カーブ。
水木のバットは微動だにしない。
「ストライク!」
二球目。
外角ストレート。
ボール一個分外。
だが水木が振る。
カキィィン!
鋭い打球。
ファウル。
タイミングは合っていた。
ほんのわずかに外れていたからファウルになっただけ。
(怖い……)
さおりは感じた。
0―2。
三球目。
チェンジアップ。
水木の身体が前へ崩れる。
(よし!)
さおりは空振りを確信した。
しかし。
水木の右手が残った。
崩された体勢から――。
右手一本。
コツッ。
かろうじてバットに当てた。
打球は一塁方向。
勢いのないゴロ。
山内が慎重に捕る。
そして一塁へ目を流す。
「大野!」
――いない。
一塁ベースカバーに、大野が来ていない。
山内の顔色が変わる。
自分で行く。
懸命に一塁ベースへ走る。
水木も全力。
最後は――。
ヘッドスライディング。
右手を伸ばす。
山内も身体を投げ出すようにグラブを伸ばした。
水木の右手。
山内のグラブ。
一塁ベース。
ほぼ同時。
一塁塁審。
「セーフ!」
球場が沸く。
神谷が声を上げた。
「セーフ! 水木君、執念のヘッドスライディング!」
桑原も驚いている。
「私は水木君が一塁へヘッドスライディングするのを初めて見たかもしれません」
リプレイ。
「確かに水木君の右手が、山内君のグラブよりほんのわずかに早い」
そして桑原の声が変わった。
「しかし……大野君は?」
さおりが振り返る。
そして――。
叫んだ。
「大野君!」
一塁線の途中。
大野が倒れていた。
一塁ベースカバーへ走ろうとして――。
途中で崩れ落ちていた。
意識はある。
しかし。
立ち上がろうとしても、足元がふらつく。
鈴木監督がすぐにベンチを出る。
三沢と梨田も駆け寄った。
大野は両脇を支えられる。
球場全体から拍手が起こった。
星承の選手たちも静かに見守る。
大野がベンチへ戻ってくる。
さおりが声をかける。
「大野君!」
大野は苦しそうに、それでも笑おうとした。
「……悪い」
「謝らないで」
そのまま救護室へ向かう。
拍手は、しばらく止まらなかった。
そして――。
場内アナウンス。
「島大松江高校、選手の交代をお知らせします」
ブルペンの玉木が立ち上がる。
誰もが思った。
玉木。
だが。
「ピッチャー、大野君に代わりまして――」
玉木はコールを待つ。
「鈴木君」
一瞬。
球場が静まった。
そして――。
どよめき。
「三塁、鈴木君に代わりまして、浜口君」
さらに場内アナウンス。
「八番、ピッチャー、鈴木君」
「三番、サード、浜口君」
球場が騒然となった。
神谷も驚きを隠せない。
「鈴木太一です! 一年生・鈴木太一が、この場面でマウンドへ上がります!」
桑原が唸る。
「これは……鈴木監督、勝負に出ましたね」
実は。
五回終了時のクーリングタイム。
鈴木監督は太一に伝えていた。
――場合によっては、お前に投げてもらう。
太一は試合に出続けている。
身体は、すでに出来上がっている。
そして。
大野とはまったく違うタイプ。
左の技巧派・大野から――。
最速150キロを超える右の速球派・太一。
しかも。
今日の小林は、速球への振りがわずかに鈍い。
鈴木はそこを見ていた。
さらに。
回途中。
二死。
走者一、三塁。
こういう場面から高校二年生の玉木を投入すれば、精神的な負担は大きい。
玉木には――。
次の回の頭から。
自分のリズムで。
最後まで投げてもらう。
だから。
この一人。
この一人だけを――。
太一に託す。
短い投球になる可能性が高い。
ならば。
持っている力をすべて使える。
太一がマウンドへ上がる。
さおりがボールを渡した。
「太一君」
「はい」
「全力でいいよ」
太一が笑う。
「最初から、そのつもりです」
打席。
四番・小林翔真。
星承のエース。
そして強打者。
神谷が声を上げる。
「さあ、鈴木監督の投手起用が成功するのか! それとも小林君が星承へ流れを持ってくるのか!」
桑原が静かに言う。
「ここ……今日の勝負どころの一つでしょう」
二死一、三塁。
太一。
第一球。
外角。
ストレート。
「ボール!」
球速表示。
――153キロ。
球場がざわついた。
「153キロ!」
神谷の声が跳ねる。
第二球。
高め。
ストレート。
152キロ。
小林、見送る。
第三球。
ストレート。
真ん中。
小林が振る。
カキィィン!
バックネットへ。
ファウル。
球威に押された。
第四球。
外角。
150キロ。
見送る。
第五球。
スライダー。
「ボール!」
フルカウント。
三ボール。
二ストライク。
神谷の声が高くなる。
「さあフルカウント!」
二死。
投球と同時に走者はスタートする。
「鈴木君がこのピンチを断つか!」
一拍。
「小林君が星承へ流れを持ってくるか!」
さおりが太一を見る。
(太一君)
一番自信のある球。
一番投げたい球。
さおりはミットを構えた。
内角高め。
ストレート。
太一が頷く。
第六球。
足を上げる。
投げた!
ほぼ――。
さおりが構えた場所。
小林がフルスイング。
ガンッ!
鈍い音。
(よし!)
さおりは瞬間的に思った。
打ち取った。
打球はレフトへ。
阿知波が下がる。
「大きなレフトフライ!」
阿知波がさらに下がる。
さおりはマスクを外した。
(終わった)
そう思った。
だが。
阿知波の足が――。
止まった。
そのさらに後ろ。
センターのこなつが、懸命に走っている。
神谷の声が変わる。
「打球が……」
一瞬。
「伸びている!」
風。
レフト方向へ吹く風に乗った。
「打球が風にも乗って、まだ伸びます!」
さおりの表情が変わる。
「……まさか」
阿知波がフェンスを見る。
こなつが走る。
小林は一塁を回った。
一塁走者・水木も走る。
三塁走者・岡本がホームへ向かう。
球場中の視線が――。
白球へ集中した。
打球は。
まだ。
落ちてこない。
さおりが立ち尽くす。
鈴木監督も。
石川監督も。
島大松江応援席も。
星承応援席も。
誰一人――。
声を出せなかった。
白球が、
夏の風に運ばれながら――。
レフトフェンスへ、
近づいていく。




