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栄冠は君に輝く  作者: konatsu


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17回表 約束

準々決勝。


8対0。


島大松江高校の勝利。


準決勝進出。


歓声の中。


一人の選手が、仲間たちより先に球場を後にした。


四番。


竹下大和。


三年生。


大和が向かったのは――


病院だった。


病室の前で。


大和は足を止めた。


怖かった。


扉の向こうにいるのは。


大和にとって、ずっと憧れだった人。


兄。


そして今。


危篤状態にある。


大和は大きく息を吸った。


扉を開けた。


「兄ちゃん。」


静かな病室。


聞こえるのは医療機器の音だけ。


ベッドの上に。


兄がいた。


痩せていた。


大和が知っている、あの逞しかった兄とは違っていた。


かつて。


島大松江高校野球部の主将だった男。


鈴木監督が就任した当時。


まだ新しい監督と選手たちとの間に距離があった頃。


その間に立ったのが、大和の兄だった。


練習についていけない後輩がいれば、最後まで付き合った。


試合に出られない部員がいれば、


「ベンチもスタンドも野球部だ。」


そう言って励ました。


負けた時。


誰か一人の責任には絶対にしなかった。


「主将の俺が悪い。」


そう言って、仲間を守った。


鈴木監督も。


そんな彼を信頼した。


人格者。


誰もが認める主将だった。


そして。


彼にも夢があった。


甲子園。


だが。


その夢は叶わなかった。


水頭症を患った。


野球を続けることができなくなった。


そして今。


弟が甲子園まであと二勝というところまで来た時。


兄は。


命と闘っていた。


大和はベッドの横に座った。


「兄ちゃん。」


返事はない。


それでも話した。


「勝ったよ。」


「8対0。」


わずかに笑う。


「山内がホームラン二本だぜ。」


「今までホームラン打ったことなかったのに。」


「太一なんか152キロ。」


「玉木も戻ってきた。」


「八雲も絶好調。」


大和は一度、俯いた。


「すげえチームになったよ。」


そして。


兄を見る。


「兄ちゃんたちが作ってくれた野球部。」


「ちゃんと残ってるから。」


兄の指が。


わずかに動いた。


「兄ちゃん?」


もう一度。


動いた。


ベッドの横を指している。


そこには。


古い野球バッグがあった。


大和が開ける。


「……。」


息を呑んだ。


グラブだった。


傷だらけ。


色も褪せている。


だが。


大和は一瞬で分かった。


「これ……。」


兄が高校時代に使っていた。


あのグラブ。


大和は震える手で持ち上げた。


そして。


文字を見つけた。


古く。


薄くなった文字。


『皆で甲子園』


おそらく。


兄が主将だった当時に書かれたもの。


その下に。


別の文字があった。


まだ新しい。


しかし。


震えている。


病床で。


力を振り絞って書いたのだろう。


『託したぞ 大和』


大和の目から涙が落ちた。


「兄ちゃん……。」


兄がわずかに目を開けた。


そして。


グラブへ手を伸ばす。


その手を。


大和が握った。


「分かった。」


涙を拭う。


「俺が持っていく。」


兄を見る。


「兄ちゃん。」


そして。


はっきり言った。


「必ず甲子園行くから、応援してくれよな。」


少し笑った。


「約束だよ。」


兄の指が。


ほんのわずか。


大和の手を握り返した。


その感触が。


大和を遠い昔へ連れていった。


まだ。


幼かった頃。


夕暮れ。


兄と二人。


キャッチボールをしていた。


「大和!」


兄がグラブを構える。


「ここ!」


「分かってる!」


小さな大和が投げる。


大暴投。


兄が走る。


「おい!」


「どこ投げてんだ!」


「兄ちゃんが捕れよ!」


「無茶言うな!」


二人で笑った。


兄がボールを拾う。


「大和。」


「何?」


「野球、好きか?」


「大好き!」


即答だった。


兄が笑う。


「じゃあ、ずっとやれ。」


「兄ちゃんも?」


「もちろん。」


「じゃあさ。」


幼い大和が言った。


「二人で甲子園行こうよ。」


兄は少し驚いて。


そして笑った。


「ああ。」


ボールを投げる。


「約束な。」


パシッ。


小さな大和のグラブに。


ボールが収まった。


病室。


大和は兄のグラブを胸に抱いた。


一緒には行けなかった。


でも。


今度は。


自分が連れていく。


「兄ちゃん。」


小さく呟いた。


「一緒に行こう。」


翌日。


島根県大会。


準決勝。


島大松江高校対出雲社学園高校。


甲子園まで。


あと二勝。


場内アナウンスが響く。


「ただいまより、準決勝第一試合、出雲社学園高校対島大松江高校の試合を行います」


両校選手が整列する。


「礼!」


「お願いします!」


スタンドから大きな拍手が起こった。


島大松江高校 スターティングメンバー


1番 センター 石川こなつ


2番 キャッチャー 竹内さおり


3番 ピッチャー 和田八雲


4番 ライト 竹下大和


5番 ショート 梶谷出雲


6番 ファースト 山内隆一


7番 レフト 阿知波ダン


8番 サード 鈴木太一


9番 セカンド 佐野慎之介


対する。


甲子園出場十回。


名将・石塚監督率いる名門。


出雲社学園高校 スターティングメンバー


1番 セカンド 藤原拓海


2番 ショート 安達俊介


3番 センター 高瀬悠斗


4番 ファースト 岩崎剛志


5番 ライト 原 健太郎


6番 サード 黒田雄介


7番 レフト 森山直樹


8番 キャッチャー 川本修平


9番 ピッチャー 三島悠真


先発の三島悠真は左腕。


しかし。


鈴木監督は知っていた。


出雲社学園には。


タイプの違う投手が何人もいる。


右のサイドスロー。


右の剛腕。


そして。


左のアンダースロー。


一人のエースで勝つチームではない。


九人で試合を作り、ベンチ全員で相手を崩すチーム。


それが。


石塚野球だった。


一回表。


出雲社学園の攻撃。


マウンド。


和田八雲。


キャッチャー。


竹内さおり。


さおりがミットを構える。


八雲が投げる。


ズバン!


「ストライク!」


初球から。


素晴らしい球だった。


八雲自身にも分かった。


今日はいい。


二球目。


ファウル。


三球目。


空振り。


「ストライク! バッターアウト!」


続く二番。


ショートゴロ。


梶谷出雲が軽快に処理。


三番。


最後はスライダー。


空振り三振。


三者凡退。


八雲がマウンドを降りる。


さおりが横へ並ぶ。


「絶好調じゃん。」


八雲が笑う。


「俺を誰だと思ってる。」


「はいはい。」


「でも。」


さおりの表情が変わった。


「相手、よく見てる。」


八雲も頷く。


「ああ。」


三者凡退。


なのに。


出雲社学園の打者は。


八雲の球筋を。


じっくり見ていた。


一回裏。


一番。


石川こなつ。


鋭く振り抜く。


三遊間。


抜けた。


誰もが思った。


しかし。


ショート・安達俊介が横っ飛び。


捕った。


一塁。


アウト。


こなつが目を丸くする。


「うそ……。」


二番。


竹内さおり。


センター前へ弾き返す。


しかし。


セカンド・藤原拓海。


回り込む。


アウト。


三番。


八雲。


三振。


三者凡退。


二回。


出雲社学園は。


相変わらずボール球を振らない。


ファウル。


ファウル。


またファウル。


八雲に球数を投げさせる。


それでも。


八雲がねじ伏せる。


無失点。


そして。


二回裏。


四番。


竹下大和。


打席へ向かう。


兄のグラブは。


ベンチのバッグの中。


大和は一瞬だけ。


その方向を見る。


――託したぞ、大和。


構える。


左腕・三島が投げる。


大和が振り抜く。


カキーン!


強烈。


三塁線。


「抜ける!」


しかし。


サード・黒田雄介。


横っ飛び。


捕った。


一塁送球。


アウト。


大和が一塁を駆け抜ける。


そして。


守備位置へ戻る黒田を見る。


「すげえな……。」


三回。


石塚監督が動いた。


「ピッチャー交代。」


島大松江ベンチがざわつく。


まだ三回。


先発三島は。


打たれていない。


失点もない。


それでも交代。


二番手。


右サイドスロー・小早川亮。


横から滑り込んでくるボール。


島大松江打線のタイミングが変わる。


凡打。


凡打。


また凡打。


そして四回。


再び。


石塚監督。


「ピッチャー交代。」


三番手。


右の剛腕・神谷龍之介。


140キロ台のストレート。


今度は。


力で押す。


「さっきと全然違う!」


こなつがベンチで呟く。


そして。


ようやくタイミングが合い始めたところで。


また。


石塚監督が動く。


左アンダースロー・早川蒼太。


今度は。


地面すれすれからボールが浮き上がってくる。


さおりがベンチで気づいた。


「リズムだ。」


こなつを見る。


「私たちのタイミングを作らせないつもりなんだ。」


投手が変わる。


腕の角度が変わる。


球速が変わる。


目線が変わる。


間が変わる。


バーンズから教わった。


タイミング。


リズム。


弓道で学んだ。


間。


溜め。


それを。


石塚監督は投手交代で崩していた。


しかも。


出雲社学園は。


守備が固い。


ヒットだと思った打球を捕る。


抜けたと思った打球に追いつく。


島大松江は。


打てていないのではない。


打っているのに、アウトにされていた。


四回終了。


スコアボードには。


0―0。


鈴木監督は腕を組んでいた。


ひまわりがスコアブックを見る。


「監督。」


「何だ。」


「打球速度は、うちの方が上です。」


「ああ。」


「八雲さんも完全に抑えています。」


「ああ。」


「なのに……。」


ひまわりがスコアボードを見る。


「0対0。」


鈴木は答えなかった。


力は。


こちらが上だ。


そう感じている。


投手力。


打球の強さ。


走力。


個々の能力。


だが。


それでも。


点が入らない。


鈴木監督は。


石塚監督を見る。


石塚は。


静かに座っていた。


焦っていない。


鈴木は。


高校野球の怖さを感じ始めていた。


強いチームが勝つのではない。


最後に一点多く取ったチームが勝つ。


たった一つの四球。


たった一つのエラー。


たった一つの判断ミス。


それだけで。


三年間が終わる。


鈴木監督が呟いた。


「危ないな。」


ひまわりが振り返る。


「監督?」


「この試合。」


そして。


五回表。


出雲社学園が動いた。


先頭打者。


八雲が投げる。


ボール。


ストライク。


ファウル。


ファウル。


またファウル。


打たない。


だが。


簡単にはアウトにもならない。


八雲が投げる。


ボール。


フルカウント。


そして。


わずかに外れた。


「ボールフォア!」


無死一塁。


石塚監督が。


右手を動かした。


次打者。


初球。


送りバント。


転がす。


太一が前へ出る。


捕球。


一塁。


アウト。


一死二塁。


次打者。


また。


ボール球を振らない。


八雲。


ファウル。


ボール。


ファウル。


ボール。


そして。


四球。


一死一、二塁。


さおりがタイムを取った。


マウンドへ走る。


「八雲。」


「分かってる。」


「相手、打とうとしてない。」


「ああ。」


「私たちを動かそうとしてる。」


八雲が息を吐く。


「面倒くさいチームだな。」


さおりが笑った。


「そういうチームが一番怖い。」


「お前が言うならそうなんだろうな。」


「私だけ見て。」


八雲がさおりを見る。


「分かった。」


さおりが戻る。


次の瞬間。


「走った!」


ダブルスチール。


さおりが三塁へ送る。


太一が捕球。


タッチ。


「セーフ!」


一死二、三塁。


出雲社学園応援席が沸騰する。


石塚監督が。


また動いた。


打者。


スクイズの構え。


八雲。


外す。


バットを引く。


次。


また。


スクイズの構え。


内野が前進する。


しかし。


打たない。


戻る。


島大松江の守備が。


一球ごとに動かされる。


前へ。


後ろへ。


右へ。


左へ。


そして。


石塚監督は。


表情一つ変えない。


鈴木監督は。


確信した。


このままでは、やられる。


力では上回っている。


だからこそ。


相手は力で戦ってこない。


鈴木監督が立ち上がった。


「ひまわり。」


「はい。」


「準備しろ。」


ひまわりの表情が変わる。


「監督。」


「作戦ですか?」


「ああ。」


鈴木はスタンドを見る。


島崎。


長谷川。


青木。


若林。


江上。


佐々岡。


徳川。


そして。


島大松江高校が作り上げてきた。


もう一つのチーム。


鈴木監督が言った。


「相手は、こちらのリズムを壊している。」


「だったら。」


ひまわりが続けた。


「こちらからリズムを作る。」


鈴木が笑った。


「正解。」


ひまわりが立ち上がる。


しかし。


鈴木が呼び止めた。


「ひまわり。」


「はい。」


「相手を乱すためだけにやるな。」


ひまわりが振り返る。


「私たちが作った応援は。」


鈴木は選手たちを見る。


「味方を信じさせるためにある。」


ひまわりは。


大きく頷いた。


「はい!」


そして。


走り出した。


五回表。


一死二、三塁。


0対0。


名将・石塚が作り上げた。


高校野球の王道。


対する。


鈴木監督率いる。


島大松江の野球。


二つの野球が。


真正面から。


ぶつかろうとしていた。


その時。


ライトを守る竹下大和が。


自分の右手を見た。


昨日。


その手で受け取った。


兄のグラブ。


頭の中に。


あの文字が浮かぶ。


『皆で甲子園』


そして。


『託したぞ 大和』


大和は。


病室にいる兄へ。


心の中で語りかけた。


「兄ちゃん。」


「まだ。」


「始まったばっかりだからな。」


準決勝。


本当の戦いは。


ここからだった。

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