13回裏 間と音
翌日。
島大松江高校。
午後の練習が始まろうとしていた。
ところが。
一人いない。
「バーンズは?」
鈴木監督が聞いた。
松田コーチが首を傾げる。
「さっきまでいたぞ。」
その時。
遠くから声がした。
「スズキーー!」
二人が振り返る。
巨体が走ってくる。
ジョージ・バーンズ。
身長二メートル。
体重百十キロ。
メジャー通算四百二十八本塁打。
その大男が。
少年のように目を輝かせていた。
「スズキ!」
「マツダ!」
「コイ!」
「何だよ。」
バーンズは二人の腕を引っ張る。
「コッチ!」
連れていかれた場所は。
グラウンドではなかった。
弓道場。
「……弓道?」
鈴木が聞く。
バーンズは口元に指を当てる。
「シーッ。」
「お前が言うのか。」
松田が呟いた。
三人は弓道場を見る。
一人の生徒が立っていた。
弓を構える。
ゆっくり。
引く。
止まる。
射ない。
数秒。
静寂。
呼吸。
集中。
空気さえ止まったように感じる。
そして。
離れ。
弦音。
矢が一直線に飛ぶ。
的。
中央近くに突き刺さった。
バーンズの目が輝いた。
「コレ!」
思わず大声を出す。
弓道部員たちが一斉に見る。
「……ソーリー。」
鈴木が笑いを堪えた。
バーンズは携帯翻訳機を取り出す。
入力する。
機械音声が流れた。
「私はこれを野球部に取り入れたい。」
鈴木の表情が変わる。
バーンズは身振りを交えて話す。
「シュウチュウ。」
「マ。」
「タメ。」
「コキュウ。」
弓を引く真似。
「スグ、ウタナイ。」
「マツ。」
次に。
バットを構えた。
「バッター。」
そして投球動作。
「ピッチャー。」
最後に走者のリード。
「ランナー。」
胸を叩く。
「ゼンブ、オナジ。」
翻訳機が続ける。
「大切な場面ほど、人間は急ぐ。」
「早く結果を出そうとする。」
「だから体が先に動く。」
「弓道は違う。」
「自分の間が来るまで待つ。」
松田が弓道部員を見る。
「心眼にも通じるな。」
バーンズが大きく頷く。
「YES!」
松田は続けた。
「集中するというのは、力むことじゃない。」
「余計なものを消すことだ。」
「目の前の一球だけを感じる。」
バーンズが松田の肩を叩く。
「マツダ!」
「グレート!」
「痛い痛い。」
鈴木は何も言わず、弓道部員を見ていた。
再び。
弓を構える。
引く。
止める。
待つ。
そして放つ。
鈴木が呟いた。
「メジャーでは。」
二人が見る。
「速く。」
「強く。」
「効率的に。」
「それを追い求めてきた。」
バーンズが頷く。
「でも。」
鈴木は弓道場を見る。
「待つことも技術なんだな。」
バーンズが笑った。
「ジャパンイズム!」
鈴木も笑った。
「お前。」
「何?」
「俺たちより日本人になってないか?」
「HAHAHAHAHA!」
弓道場に響く。
「シーッ!」
弓道部員全員から睨まれた。
バーンズが頭を下げる。
「……スミマセン。」
松田が吹き出した。
その日の練習後。
鈴木監督は全部員を集めた。
「明日から。」
「一日一時間。」
ざわつく。
「弓道部に協力してもらう。」
「え?」
「弓道?」
八雲が眉をひそめる。
鈴木は言った。
「弓の名人になる必要はない。」
「学ぶのは四つ。」
指を一本立てる。
「集中。」
二本。
「呼吸。」
三本。
「間。」
四本。
「溜め。」
そして。
「打席で。」
「マウンドで。」
「守備で。」
「走塁で。」
「自分の時間を持てる選手になれ。」
松田が続ける。
「焦った時ほど。」
「心を止めろ。」
バーンズが叫ぶ。
「ジャパニーズ・ベースボール!」
少し考えて。
「アンド、アメリカン・パワー!」
太一が小声で山内に言う。
「結局どっちなんですかね。」
山内が笑う。
「両方でいいんじゃない?」
鈴木はその言葉を聞いていた。
「そうだ。」
全員が見る。
「両方でいい。」
「日本だから。」
「アメリカだから。」
「そんなことは関係ない。」
「良いものは全部使え。」
「俺たちには時間がない。」
そして。
「夏に勝つためだ。」
「はい!」
もう一つの戦い
その頃。
佐野ひまわりも。
別の意味で戦っていた。
机の上。
選手のデータ。
性格。
打撃傾向。
得点圏打率。
三振率。
初球スイング率。
そして。
大量の曲名。
イヤホンを外す。
「違う。」
次。
「これも違う。」
また次。
「格好いいだけじゃ駄目。」
ひまわりが欲しいのは。
人気曲ではない。
打者を変える曲。
打席へ向かう瞬間。
緊張を消す。
闘争心を高める。
自信を持たせる。
集中させる。
そして。
もう一つ。
相手投手。
相手捕手。
相手ベンチ。
そこへ与える印象。
打者が変わる。
曲が変わる。
テンポが変わる。
球場の空気が変わる。
相手がこちらの応援を意識した瞬間。
ほんの一秒でも。
打者以外へ意識が向く。
その一秒を。
島大松江は利用する。
ひまわりはノートに書いた。
『応援も、野球である。』
そして。
十八曲が決まった。
数日後。
一つの教室。
そこへ六人が集められた。
応援団長。
長谷川。
チアダンス部。
江上。
吹奏楽部。
青木。
合唱部。
若林。
ITシステム部。
佐々岡。
放送部。
徳川。
長谷川が腕を組む。
「で?」
「今度は何をやらされるんだ?」
ひまわりが即答した。
「やらせません。」
「は?」
「皆さんに考えてもらいます。」
ホワイトボードへ一枚の紙を貼る。
個人応援曲。
青木が見る。
「全員違うの?」
「はい。」
「理由は?」
ひまわりが笑った。
「全員違う人間だからです。」
最初。
石川こなつ――『キャッツ・アイ』
「俊足。」
「観察力。」
「相手の一瞬の隙を盗む。」
「こなつ先輩が塁に出たら、相手守備は打者だけを見られなくなります。」
「だから軽快さ。」
「予測できない動き。」
「そして、ちょっと小悪魔。」
江上が笑った。
「本人に言ったら怒られるよ。」
「言いません。」
竹内さおり――『ムーンライト伝説』
長谷川が首を傾げる。
「主将に?」
「だからです。」
ひまわりが答える。
「強肩。」
「強打。」
「捕手。」
「主将。」
「どうしても『強い選手』という印象になる。」
「だから逆に。」
「華やかで女性らしい曲。」
「相手にギャップを感じさせます。」
出雲――『ゴジラ』
全員が頷いた。
「説明いる?」
青木が聞く。
「いりません。」
笑いが起きる。
ひまわりも笑った。
「でも一応。」
「圧力です。」
「マウンドでも。」
「打席でも。」
「来るぞ。」
「何か起きるぞ。」
「そう感じさせたい。」
竹下大和――『宇宙戦艦ヤマト』
「名前だけじゃありません。」
「四番としての重量感。」
「前へ進む力。」
「そして。」
「チームを背負える打者になってほしい。」
太一――『デビルマン』
教室が少し静かになる。
ひまわりは続ける。
「太一君は。」
「一度、自分の中の怒りに負けそうになった。」
「でも。」
「仲間を選んだ。」
「父親を受け入れようとしている。」
「だから。」
「少し危険で。」
「でも。」
「誰かのために戦える選手。」
「この曲です。」
佐野慎之介――『オラはにんきもの』
青木が吹き出した。
「お兄さんだよね?」
「はい。」
「選曲理由は?」
「調子に乗らせた方が打つからです。」
全員爆笑。
「以上。」
「妹、ひどくない?」
「データに基づく判断です。」
山内――『栄光の架け橋』
空気が変わった。
ひまわりがゆっくり話す。
「山内先輩は。」
「スターじゃないかもしれません。」
「でも。」
「誰よりも仲間を見ています。」
「ベンチを掃除する。」
「落ち込んだ人の隣に行く。」
「太一君にもう一度野球をやろうと言った。」
そして。
「太一君の手を取った。」
若林が黙って聞いている。
「この曲だけは。」
ひまわりが若林を見る。
「合唱の力を強く使いたい。」
「山内先輩が打席に立った時。」
「本人だけじゃなく。」
「チーム全員の気持ちを上げたいんです。」
若林が頷いた。
「分かった。」
「歌う。」
その後。
次々と曲が発表された。
阿知波団――『ウルトラセブン』
梶谷――『バビル2世』
大野――『サウスポー』
糸原――『ミッション:インポッシブル』
三沢――『銀河鉄道999』
梨田――『大江戸捜査網』
錦織――『ガッチャマン』
小村――『暴れん坊将軍』
世良――ベートーベン『運命』
芦田――『エイトマン』
そして。
最後。
ひまわりが一枚の紙を貼った。
玉木――『残響散歌』
誰も話さなかった。
ひまわりが言う。
「一度。」
「玉木先輩の音は、グラウンドから消えました。」
「でも。」
「消えたんじゃなかった。」
「ずっと残っていた。」
「本人の中にも。」
「仲間の中にも。」
そして。
「もう一度。」
「その音が響き始めた。」
長谷川が静かに頷いた。
「背番号20か。」
「はい。」
ひまわりは笑った。
「帰ってきた人の曲です。」
十八曲。
説明が終わった。
ひまわりは六人を見る。
「ここからは。」
「皆さんに任せます。」
江上が聞く。
「どういうこと?」
「私は曲を決めました。」
「意味も伝えました。」
「でも。」
「応援方法は決めません。」
そして。
一人ずつを見る。
「長谷川先輩。」
「応援団には応援団の表現があります。」
「青木先輩。」
「吹奏楽には音があります。」
「若林さん。」
「合唱には、人間の声があります。」
「江上先輩。」
「チアダンスには身体があります。」
「佐々岡先輩。」
「ITには文字と色があります。」
「徳川先輩。」
「放送部には。」
少し間を置く。
「その全部を一つにする力があります。」
徳川が目を細める。
ひまわりは続けた。
「私は皆さんの専門家じゃありません。」
「だから。」
「皆さんの方法で作ってください。」
「ただし。」
ホワイトボードを見る。
「一つだけ。」
「この曲を選んだ意味を。」
「絶対に殺さないでください。」
沈黙。
長谷川が立ち上がった。
「面白い。」
青木も楽譜を見る。
「吹奏楽でどう料理するか。」
江上はすでに振り付けを考えている。
若林は山内の曲を見つめている。
佐々岡はタブレット画面の構成を書き始めた。
徳川はインカムを使った全体連携を考えていた。
それぞれが。
動き始めた。
その時。
青木が手を上げた。
「ひまわり。」
「はい?」
「一つ足りない。」
「え?」
「個人曲は分かった。」
青木が聞いた。
「じゃあ。」
「チャンスの時は?」
全員の手が止まった。
ひまわりは答えない。
長谷川が見る。
「考えてないわけじゃないよな。」
ひまわりは。
ゆっくり笑った。
「もちろん。」
鞄から一枚の紙を取り出した。
机の中央へ置く。
裏返し。
「あります。」
六人が集まる。
ひまわりが紙に手を置いた。
「ただし。」
「これは。」
「ここにいる人だけの秘密です。」
そして。
紙を裏返した。
六人が曲名を見る。
沈黙。
最初に口を開いたのは青木だった。
「……これ?」
江上も驚く。
「本気?」
若林は何も言わず、曲名を見つめている。
佐々岡が顔を上げた。
「これなら……。」
徳川も気づく。
「応援席全部を使える。」
長谷川がひまわりを見る。
「お前。」
「ここまで考えてたのか。」
ひまわりは笑った。
「はい。」
そして。
言った。
「これが。」
「島大松江のチャンステーマです。」
その曲名は。
野球部員。
対戦相手。
そして――
観客。
心を動かす18曲。
そして。
チーム全員の心を一つにする。
チャンス応援曲。
その曲が球場に響く時。
吹奏楽。
合唱。
応援団。
チアダンス。
IT。
放送。
そして。
グラウンドの選手たち。
島大松江高校のすべてが。
一つになる。
バーンズは弓道から。
「間」
を見つけた。
ひまわりは音楽から。
「リズム」
を作ろうとしていた。
静寂と音。
溜めと爆発。
一見。
正反対の二つ。
だが。
その二つは同じものを目指していた。
一瞬を支配すること。
夏の県大会まで。
あとわずか。
島大松江は。
まだ。
強くなる。




