7回表 覚悟
夏の島根県大会開幕まで、あと二週間。
島大松江高校の視聴覚室には、野球部員の保護者たちが集まっていた。
前方には、
鈴木監督。
鈴木美佐子部長。
主将・竹内さおり。
副主将・石川こなつ。
四人が並んでいる。
会場には緊張した空気が流れていた。
鈴木監督が立ち上がる。
深く頭を下げた。
「本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。」
静まり返る会場。
「私は本日、皆様にお願いがあってお集まりいただきました。」
「島大松江高校野球部は甲子園を目指します。」
少し間を置く。
「目標ではありません。」
「行きます。」
会場の空気が変わった。
「しかし。」
「私一人では行けません。」
「選手だけでも行けません。」
「保護者の皆様のお力を貸してください。」
鈴木監督は資料を開く。
「大会期間中、スターティングメンバーは選手発表前に保護者へお伝えします。」
会場がざわつく。
「なぜですか?」
「外れる選手もいます。」
「傷付く選手もいます。」
「その時。」
「最初に支えてほしい人がいます。」
「家族です。」
誰も言葉を発しない。
「そして。」
「一日一回でいい。」
「お子さんへ言葉を掛けてください。」
「頑張れ。」
「応援している。」
「お疲れ様。」
「それだけで十分です。」
鈴木監督は再び深く頭を下げた。
「皆様の大切なお子様を。」
「私に預けてください。」
「必ず人として成長させます。」
「そして。」
「甲子園へ連れて行きます。」
会場のあちこちで涙を拭う姿が見えた。
続いて美佐子部長が立ち上がる。
「皆様。」
「私は野球部長です。」
少し微笑む。
「そして鈴木監督の妻です。」
会場から小さな笑いが起こる。
「主人は不器用です。」
「家でも言葉が少なくて。」
鈴木監督が困った顔をする。
「でも。」
美佐子の表情が真剣になる。
「私は知っています。」
「この人がどれだけ子供たちを愛しているか。」
「どれだけ本気で甲子園へ連れて行こうとしているか。」
「どれだけ責任を感じているか。」
会場は静まり返る。
「だから。」
「どうか監督を信じてください。」
「私も全てを懸けて。」
「皆様のお子様をお守りします。」
「約束します。」
そして最後に。
「私の夫を信じてください。」
大きな拍手が起こった。
その時。
鈴木監督がさおりとこなつを見る。
「最後に。」
「主将と副主将からも話があります。」
突然の指名。
さおりは驚いた。
しかし立ち上がる。
「主将の竹内さおりです。」
会場を見渡す。
「私は春の大会で負けました。」
「主将として失敗もしました。」
「でも。」
「あの敗北があったから。」
「今の私たちがあります。」
「皆さんのお子さんは。」
「本当に素晴らしい選手です。」
「主将として。」
「絶対に全員を甲子園へ連れて行きます。」
涙を流す保護者がいた。
続いてこなつが立ち上がる。
少し照れくさそうに。
「副主将の石川こなつです。」
「私はさおりみたいに上手く話せません。」
会場に笑いが広がる。
「でも。」
「一つだけ約束します。」
「誰も一人にしません。」
「レギュラーも。」
「控えも。」
「ベンチ外も。」
「みんなで甲子園へ行きます。」
大きな拍手が起こった。
保護者会は終了した。
夕暮れ。
グラウンド横のベンチ。
美佐子が静かに尋ねる。
「あの子は、どうする気なの。」
鈴木監督は答えない。
実は。
島大松江高校一年生。
若槻太一。
彼は鈴木監督の実の息子だった。
しかし。
その事実を知る者はほとんどいない。
島大松江高校では校長だけ。
他の教職員は誰も知らない。
日本のマスコミも知らない。
選手たちも知らない。
十年前。
ロサンゼルス。
太一は野球の才能に恵まれていた。
父親譲りのセンス。
リトルリーグ全米代表候補。
将来を嘱望された少年だった。
しかし。
有名選手の息子という事実が、
太一から普通の子供時代を奪った。
嫉妬。
いじめ。
孤立。
SNSでの誹謗中傷。
やがて太一は笑わなくなった。
夜。
鈴木家。
太一が寝た後。
鈴木監督と美佐子は何度も話し合った。
「このままじゃ駄目だ。」
「でも離れたら。」
「太一は傷付く。」
二人は泣きながら悩んだ。
そして決断する。
日本へ帰そう。
美佐子の実家。
若槻家へ。
野球から離れてもいい。
息子を守りたい。
それが親としての愛情だった。
しかし。
太一には伝わらなかった。
「捨てられた。」
そう感じた。
その後。
日本で再び一緒に暮らした時期もあった。
しかし。
親子の溝は埋まらなかった。
そして再び。
太一は若槻家へ戻った。
今も父とは口を利かない。
鈴木監督の脳裏に、
あの日の言葉が蘇る。
「あなたの息子じゃなかったら。」
「僕はこんな苦しい思いをしなかった。」
「大好きだった野球も辞める。」
「あなたの子供に生まれたくなかった。」
鈴木監督は拳を握る。
「自分の息子さえ救えない。」
「そんな俺が。」
「人の子供を預かるなんてな。」
美佐子は夫の肩に手を置く。
「太一は見てる。」
「あなたがどんな監督か。」
「どんな父親か。」
「だから頑張ろう。」
「監督と部長として。」
「父親と母親として。」
鈴木監督は何も言わない。
ただ。
美佐子の手に自分の手を重ねた。
その時。
一人の女性が近付いてきた。
保護者会に参加していた母親だった。
「監督。」
「少し相談があります。」
二年生投手・玉木の母だった。
夫は会社を継がせたい。
野球は辞めろ。
勉強しろ。
一流大学へ行け。
転校も考えている。
しかし玉木は。
「最後の夏だけでいい。」
「みんなと戦いたい。」
そう言っている。
母親は涙を流しながら語った。
「私はどうしたらいいのでしょう。」
鈴木監督は静かに聞いていた。
そして。
「その子は幸せですよ。」
女性が顔を上げる。
「そこまで好きになれるものがあるんですから。」
その様子を。
校舎の影から見つめる四人の姿があった。
若槻太一。
竹内さおり。
石川こなつ。
佐野ひまわり。
偶然だった。
誰も声を出さない。
さおりは気付いた。
若槻太一が。
涙を流していることに。
夕陽が沈む。
誰も知らない。
甲子園への戦いの前に。
鈴木監督には、
もう一つの大きな戦いがあることを。
それは。
息子との戦いだった。




