幕間『檻の中の猟犬たち』
アリアから護衛騎士の打診を受けてから一ヶ月が過ぎた頃。
王城の地下深く、冷たい石壁に囲まれた一室。
元は古い備品倉庫の場所を、リオが「ギルドから派遣された民間技術顧問」という建前とアリアの直々の許可を使って、強引に臨時整備工房として占拠した空間だ。
急造の換気扇が低い唸りを上げ、むせ返るような機械油とハンダの焦げた匂いが充満している。
クラトは壁際の木箱に腰掛け、いまだギプスで固められた右腕をさすりながら、苛立たしげに舌打ちをした。
「……マジで息が詰まる。毎日毎日、背筋を伸ばせだの、フォークの角度がどうだの……俺は貴族のお飾りになるためにここに居るんじゃねぇっての」
「文句言わないの。クラトが『姫様の護衛騎士』なんていう大層な肩書きをもらってくれたおかげで、あたしたちもこうして城の最新設備を使えてるんだからさ」
「まだ保留中だって……」
作業台に向かっていたリオが、防護ゴーグルを額に押し上げながら振り返った。
その顔には油汚れがべっとりと付いているが、瞳だけは異常なほどの熱を帯びてギラギラと輝いている。
彼女の前には、あの神格種が遺した共鳴石の子石が、王城から借り受けた何本もの解析ケーブルに繋がれて鎮座していた。
傍らには、父マルクが遺していった古びたノートが開かれている。
「で? その石っころから何か新しいことは分かったのかよ」
「うーん……半分は苦戦中、かな」
リオは小さく息を吐き、重い足取りでクラトの隣に歩み寄った。
「あの日、アリア様の船に親石が仕掛けられてたこと。そして、軍の報告書を改ざんして親石を隠蔽した裏切り者がこの城のどこかにいること……そこまでは分かったけど、肝心の誰がってのが全然見えてこない」
「王城の人間なんて腐るほどいるからな。怪しい奴を片っ端から殴って吐かせるわけにもいかねぇしな」
「技術的な収穫はあったよ。この子石が放ってる異常な磁場……つまり親石と共鳴するための周波数の特定には成功しそうなの」
リオが、書き込みで真っ黒になったノートの束を叩いた。
「周波数?」
「うん。この周波数を逆探知するレーダーを作れば、消えた親石の場所が分かるかもしれない。……それにね」
リオの目が、すっと細められた。
技術者としての、狂気にも似た鋭い光だった。
「この共鳴石のエネルギー伝達効率、あたしたちの常識じゃ計り知れないくらい高いの。もし、この石の磁場特性を父さんの残した理論と組み合わせて、クラトのギアの動力に流用できたら……神格種のあの分厚い鱗だって、一撃でぶち抜ける武器になる」
「モグラを呼ぶ石を使って、モグラを叩くハンマーを作るってーのか?」
「毒をもって毒を制す、だよ。クラトの腕をまた壊すわけにはいかないもん。……そのためにはもう少しだけ、この石の出所や、軍がどうやってこれを運用しようとしてたのか、裏のデータが欲しいんだけど……」
リオが悔しそうに唸った。
「裏のデータを引きずり出してブッ叩くのは賛成ですが、証拠もなく暴れれば、クラト殿が反逆罪で処刑されて終わりますよ」
「うおあっ!?」
「ひぃっ!?」
クラトとリオは同時に飛び上がる。
いつの間にか、開け放たれた鉄扉の影に、見覚えのある黒い髪をした若い侍女が立っていた。
銀の盆にティーセットを乗せ、瞬き一つせずに二人を見つめている。
「セ、セリカ……お前、いつからそこに!?」
「リオ殿が毒をもって毒を制すと得意げに仰ったあたりからです。お茶をお持ちしました」
セリカは足音を一切立てずに歩み寄り、作業台の空きスペースに優雅な所作でティーカップを置いた。
「お前な、気配の消し方が尋常じゃねぇぞ。一歩間違えたら俺に蹴り飛ばされてたぞ……」
「クラト殿の鈍った足運びなら、三杯はお茶を淹れる余裕があります。……冗談です」
微塵も笑っていない顔でそう言うと、セリカは空になった盆を胸に抱いた。
「ところで」
彼女の瞳が、ふっと冷たい光を帯びる。
「最近、ライルという男が兵站総監になってから、軍の備品や旧時代の遺物を管理している帳簿の数字が、どうも合わないようです」
「ライル……? 兵站総監?」
クラトが眉をひそめると、リオがハッとしたように顔を上げた。
「待って。兵站総監ってことは、地上から回収された危険物や、昔の遺物を管理するトップってことだよね? じゃあ……」
「ええ。もし共鳴石のような遺物が軍の倉庫に眠っていたとしたら、それを誰の目にも触れさせずに持ち出し、アリア様の船に親石として仕込むことができるのは……その権限を持つライルだけです」
セリカの言葉に、地下室の空気が一気に張り詰めた。
「おまけにあの男、ルミゼルディアと水面下で資源を奪い合っている帝国の商人との非公式な面会が増えているとか。……もし、ライルが共鳴石の技術を帝国に横流しして利権を握り、その見返りとして、目障りな次期統治者であるアリア様を暗殺しようとしているなら」
セリカは感情の一切こもらない目で、まるで他人の噂話でもするかのごとく淡々と事実だけを告げる。
「奴は『資源の枯渇するこの空中都市はいずれ墜落する。綺麗事を並べるアリア様の理想では国は救えない』と本気で信じているようです」
「……つまり、あの日俺たちが神格種に襲撃されたのは、単なる不運なんかじゃない。ライルと帝国が裏で手を引いた、明確な『暗殺計画』だったってわけだ。軍の報告書を改ざんさせたのも、証拠である親石を回収するため……全部の辻褄が合う」
クラトはギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「おや、恐ろしい推論ですね。私のような一介の侍女には、何の話かさっぱりわかりませんね」
セリカは深く一礼して、踵を返した。
「……おい、待てよ」
クラトの鋭い声に、セリカはドアノブに手をかけたまま足を止める。
「お前、本当にただの侍女なのか?」
セリカは振り返らなかった。
ただ、その黒い髪が、地下室の換気扇の風にわずかに揺れた。
「一年前、事故で亡くなったアリア様の侍女……セリス・アルマは、私の姉です」
その言葉に、クラトは息を呑んだ。
「私は、姉が命を賭して守り抜こうとしたものを、影からお支えしているだけの、ただの侍女です。……お茶が冷めないうちにお召し上がりください」
パタン、と静かに鉄扉が閉まる。
後に残された二人は、かすかに湯気を立てる紅茶を見つめたまま、言葉を失っていた。
「……アリア様の周りには、あんな風に命懸けで守ろうとしてる人が、ちゃんといたんだね」
リオが、どこかホッとしたような、それでいて切実な声でぽつりとこぼした。
「あぁ。セリカの出番はここまでだ。あいつは情報をくれた。なら、ここから先は俺たちの仕事だ」
クラトは立ち上がり、固定された右腕を庇うように、首の骨をポキリと鳴らした。
「うんっ……!」
リオは力強く頷き、ゴーグルを外し、作業台に置かれた子石を真っ直ぐに睨みつけた。




