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モグラ叩き英雄譚 〜滅びた地上と空の姫君〜  作者: 乙都セイ


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第一章  #7『喧騒と甘味の宮廷劇』

 朝。

 雲海を割るように朝日が昇り、白い光が部屋の中へ注ぎ込む。

 差し込む明かりに目を開けると、視界いっぱいにリオの寝顔があった。


(ち、近っ……!)


 鼻先が触れそうなほど近い。

 規則正しい微かな寝息が、直接肌を撫でてくる。

 無防備すぎる寝顔に、心臓が不規則に跳ねた。


(なんでこんなに近いんだよ……俺、昨夜は何もしてねぇよな? 下着も、大丈夫だよな?)


 しかもリオの胸元が少しはだけていて、白い肌がちらりと見えた。

 慌てて顔を背ける。

 どこに目をやればいいのか困り、とりあえず天井の一点を凝視した。


「……ん……あれ? クラト、もう起きてたの?」


 寝ぼけ眼でリオが身じろぐ。


「あ、ああ! お、おはよ!」


 声が情けないほど上ずってしまった。


「顔赤いよ? 熱でもあるの?」


 リオが無防備に額へ手を伸ばそうとする。


「な、なんでもねぇ!」


 反射的に大きく顔を引く。

 リオは不思議そうに首をかしげたが、すぐにふにゃっと笑った。


「じゃあ、朝ごはん食べよ! 今日から下半身のトレーニングがあるってセリカさんが言ってたし、頑張んなきゃね!」


 呆然としたまま、クラトはリオに引っ張られるようにベッドを抜け出した。



 王城の朝は容赦なく早い。

 広い食堂の高い天井に光が満ち、ステンドグラスの色彩が床に鮮やかに映る。

 少し寝ぼけたまま椅子に座る際、うっかり右腕をぶつけて顔を歪めた。


「……なんでこんな早ぇんだよ……」


 ぼそりと呟く。

 目の前の朝食は、まるで宴のようだ。

 焼きたてのパンやソーセージの香りが鼻をくすぐる。

 ガラス鉢に浮かぶ果物たちは、朝の光を受けて煌めき、目を奪った。


「これ……全部、俺の朝飯かよ……」


「クラト殿には精力を付けてもらわないと、姫様が困りますので」


「ほら、口開けて! 冷めちゃうよ!」


 リオがニコニコしながらフォークを突き出してくる。

 その手には、湯気を立てるふっくらとしたオムレツがのっていた。


「俺はこんな洒落たもん、別に――」


「はい! あーん!」


「……やめろっての!」


 赤面しながらも抵抗しきれず、結局フォークを受け入れる。

 口に入れた瞬間、ふわっとバターの香りと濃厚な旨みが広がった。

 あまりの美味しさに、思わず目を見開く。


「……うまい」


「でしょー! 姫様のお城のご飯なんだから!」


 リオはパンをかじりながら、きょろきょろとあたりを見回す。

 目がきらきらしてて、まるで遠足に来た子供のようだ。


「ねぇ、クラト。昨日から思ってたけど、王城ってやっぱすごいね! 食器もキラキラだし!」


「お前、完全に観光客だな……」


 呆れ顔で呟いた。

 重厚な扉がゆっくりと開いた。


「おはよう、ふたりとも」


 金糸の髪が朝の光を受けて輝き、アリアが優雅に現れる。

 茜色(あかねいろ)の瞳は、朝日に照らされて一層深く、気品に満ちていた。


「姫様! おはようございます!」


 リオが元気いっぱいに挨拶する。


「ふふ、おはよう、リオ。クラトも」


「……おう」


 そっけなく答えたが、アリアは気にする様子もなく微笑んだ。


「ちゃんと食べてる?」


「食ってるよ……量が多すぎるんだよ、ここの飯は」


 満腹感を訴えるように、腹をさすった。

 アリアがくすりと笑う。


「残すなんてもったいないわよ。リオ、手伝ってあげて」


「はーい!」


 アリアの言葉に、リオはさらに勢いよくフォークを手に皿へ向かう。


「おい、待て! 手伝うって何を――」


 抗議の声は、リオには届かない。


「はい、ソーセージ! あーん」


「もう無理だって!」


「ダメ! しっかり食べないと回復しないよ!」


 必死に抵抗するが、リオは容赦なく次々に料理を押し込む。


「姫様、クラト殿はまだ余裕あるようです」


 セリカがアリアに報告する。


「ふふ、頼もしいわね、クラト」


「姫様まで乗っかるなぁぁ!」


 悲鳴に近い叫びが、食堂に響き渡った。

 朝食の騒ぎが収まる頃には、腹は限界まで膨らんだ。



 その後は、軽装に着替えさせられたうえでトレーニングが行われた。

 動きやすいとはいえ、腹回りがひどく苦しい。


(……出そう……っぷ……)


 セリカに案内され、ふらつきながらも厚いマットの上に立つ。

 胃の圧迫感と腕の重みで、猫背になっていた。


 周囲には医師や看護師たちがずらりと並んでいる。

 背後ではリオが腕を組み、わずかに腰をかがめて待機していた。


「……俺、なんでこんなに囲まれてんだよ……」


 居心地悪そうに呟く。


「ほら、背中丸めないの! まっすぐ立つ!」


 リオが後ろから腰を押さえる。


「う、うぅ……お前が無理やり食わせたんだろ……」


 恨めしそうにリオを睨む。

 ふと、背にふわりとした柔らかい感触が当たった。

 リオが姿勢を正すために、背中にぴったりと寄り添ってきたのだ。


(う、うおぉお……!)


 服越しでも伝わる体温に、顔が一気に熱くなる。

 ギプスの縁が脇に食い込んで、息が詰まった。


「深呼吸! 息止めちゃだめだよ!」


 リオが明るい声で促す。


「む、無理だっつーの!」


 リオが正面に回り込み、膝を曲げ、腰を落とす。


「いい? 次はこうやって、お尻を突き出して――」


「ちょ、近い、近いって!」


 リオの顔が間近に迫り、慌てて後ずさりする。

 その瞬間、彼女の胸元がひらりと開きかける。


(気づけって! おまえ、いろいろと危ねぇんだよ!)


 リオは真剣な表情で説明を続ける。


「ちゃんと見てってば! 次はこうやって太ももを――」


(どこを見ろってんだよ!)


「ね、これでバッチリでしょ?」


 リオはにこりと微笑んだ。


(そんな顔で言わないでくれっ……!)


 見学している医師たちが熱心にメモを取り始めた。

 こんな醜態を大勢に晒していると思うと、穴があったら入りたくなる。


「あんた達は一体何を真面目に書いてんだよっ……!」


「ねぇ、なんで始める前よりも猫背になってるの? やる気ある?」


「うっさい!」


 背後から鈴を転がすような声が響いた。


「ふふっ……ふたりとも、ご苦労さま」


 紅いドレスのアリアが現れ、茜色の瞳が柔らかな光を帯びる。


「姫様!」


 医師たちは一斉に頭を下げた。

 アリアはそっと片手をあげ、彼らの頭を上げさせた。


「ご苦労さま」


 そう微笑むと、部屋に光が満ちたようだ。


 アリアは歩み寄り、クラトの両肩にそっと手を乗せた。

 そのまま耳元へ顔を寄せ、甘い香りを漂わせながら囁く。


「ねえ、どうしてこんなに囲まれてるのか知りたい?」


「そりゃ知りてぇに決まってんだろ……!」


「あなたは今、この国の“宝”ですもの」


 一拍置いて、耳元に吐息が触れた。


「……私にとっても」


(や、やめろ……耳に息が……!)


 あまりにも甘い感触。

 しかしクラトは、その吐息の裏にある微かな震えと、すがるような指先の冷たさを直感した。


 この城のどこかに裏切り者がいる。

 誰も信じられない孤独な檻の中で、彼女は本当に、自分の意志で命を張ったクラトだけを拠り所にしている。


(あの姫様がいつまた狙われるか分からないってのに……俺はこんなとこで、何やってんだ……!)


 背中の奥まで痺れるような甘さと、胸を締め付ける重さに、魂がちぐはぐに揺れる。


(反則だろ、こんなの……)


 クラトの硬直を楽しむようにくすりと笑い、アリアは顔を上げた。

 リオはそんな二人を、胸元でぎゅっと拳を握りしめながら、複雑な眼差しで見つめていた。


「クラトの経過観察、引き続きよろしくお願いします」


 アリアが医師たちに向かって告げる。


「は、はっ!」


 医師たちは敬礼し、再びメモを取り始めた。


(……頼むから、早く終わってくれ……!)



 リハビリを終え、一息ついた午後。

 王城の訓練場の一角。

 陽射しが差し込み、石畳の床を白く照らしていた。

 壁際のベンチに腰掛け、腹をさすりながら息を吐く。吊ったギプスが重くて肩がずきずきする。


「ったく……こんなの毎日やってたら肩が壊れるわ……」


 木製の器具がきしみ、遠くで兵士たちが剣を交える音が聞こえる。

 その騒がしさの中に、ひときわ柔らかな気配が近づいてくる。


「お疲れさま、クラト。腕、痛む?」


 訓練視察を終えたアリアが白いハンカチを手に近づく。


「いや……まあ、だいぶ慣れた。けど、ギプスが邪魔でいろいろやりにくくてさ……王家の秘術とかでパッと終わったりしねえか?」


「絵本の中の魔法があったら良かったのだけどね」


 アリアは手で口元を隠し、くすっと笑った。


「それに、仮に体が治っても、それだけじゃ王城の中ではやっていけないわ」


「……なんだよ、それ」


「王城ではね、ただ動ければいいわけじゃないの。立ち居振る舞いも、言葉遣いも、全部見られているのよ。私の護衛騎士ともなれば、特にね」


 アリアはクラトの肩にそっと手を置いた。


「へ?」


「さ、行きましょう。次は礼儀作法のお勉強よ」

「う、嘘だろ……!?」


 のけぞり、椅子から転げ落ちそうになる。

 アリアは肩に添えた手を、ためらうことなく背中へ回した。

 その穏やかな圧と同時に、セリカが椅子を引く。

 優雅な所作に導かれるように、身体は無理なく立ち上がっていた。


「騒がないの。見苦しいわよ」


 涼しい顔で言いながら、アリアは背を押して歩き出す。


「えっ、ちょ、えええっ!?」


 情けない叫びが、訓練場に響き渡った。



 王城の一室。

 高天井に透かし彫りの梁。

 至る所に金が施され、陽を受けて煌めいていた。

 重厚な机には分厚い書物が積まれ、紙とインクの香りが漂う。


「……なんで俺が、こんな目に……」


 座り心地は良いのに、妙に背筋が伸びる椅子に座らされていた。

 目の前には厳格そうな中年の女性――

 王城の侍女長が仁王立ちしている。


 その隙のない構え、そして袖口からチラリとのぞく古い刃傷。

ただの教育係ではない。

かつて王城近衛の修羅場をくぐり抜けてきた“本物の戦士”の気配を察知し、クラトは貴族の綺麗事と侮っていた心を改め、思わず背筋を硬直させた。


「クラト様、“紋章礼(もんしょうれい)”はそうではありません。まずは右手を胸の前に。左手をその上に添えて――肘は締めすぎず、背筋をまっすぐに、目線はやや下方へ」


「無理に決まってんだろが!」


 痛みに耐えられず叫ぶと、侍女長は微動だにせず鋭い眼光を向けた。


「ギプスだからといって、甘えは許されません。式典では、怪我も含めて身だしなみの一部と見なされます。できる範囲で美しく。それが王城の流儀です」


「“できる範囲”にギプスが入るかよ……!」


 不自然に体を揺らし、頭を椅子の背に預けてうなだれる。

 向かいに座る姫が、くすくすと笑っている。


「礼儀は大事よ。護衛騎士になれば、周囲から注目されるもの」


「だから、護衛騎士になるつもりねぇって言ってんだろ……!」


 苛立ちまじりに言うと、アリアはわざとらしくしょんぼりしてみせた。


「……私のこと、守ってくれないの?」


「うっ……」


 言葉に詰むと、すかさずリオが追い打ちする。


「ほら! 姫様が悲しそうじゃん! クラトちゃんとやんなって!」


「お前までそっち側かよ!?」


「だってさ、クラトが城でアタフタしてるのを見てると、なんかこっちが恥ずかしくなるんだもん」


 リオはあっけらかんと言い放つ。

 アリアが声を上げて笑い出した。


「クラトは私を助けてくれた英雄だもの。王城の中でも胸を張ってほしいわ」


「英雄とかって呼ぶもやめろっての……!」


 深々と天井を見上げる。

 広がる天井画の天使たちが、苦境を嘲笑っているかのようだった。


(……これ、どこで引き返せばよかったんだ……)


 束の間の沈黙を破るように、カツッと侍女長の靴音が床を打った。

 アリアとリオは笑いを噛み殺していた。

 だが、侍女長の鋭い視線が走ると、二人の顔から即座に笑みが消えた。


「これは王城騎士としての見せかけではありません。地上の崩落した足場を駆け上がり、体幹を保つための実戦的な基礎訓練でもあります。ここで気を抜けば、摩天楼(まてんろう)はあなたを裏切るでしょう」


 その言葉の重みに、クラトは息を呑む。

 やはりこの人は、叩き屋の戦い方を知っている。


「――では、気を取り直してもう一度。“紋章礼”の復習に入ります。……クラト様、よろしいですね?」


「よろしくねぇ……!」


 腕の重みと首の痛みに呻くように声を絞り出す。

 その隣で、アリアとリオが再び笑いを噛み殺している。


「肘の角度を二度ほど内側へ。背筋を伸ばして、そう……それで“やる気”を見せていただければ完璧ですわ」


 ――やる気になるわけねぇんだよ!

 ……と、言うわけにもいかず、クラトは無言のまま、深いため息をついてギプスを見つめた。


(……やっぱ、城ってのは向いてねぇ……)

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