幕間『表と裏』
王城に住み始めて三日。
クラトは、あの神格種との激戦が遺した重傷と向き合い続けていた。
その姿を見守るリオの胸には、焦りと激しい罪悪感が渦を巻いていた。
クラトが瀕死の傷を負ったこと。
そして、その原因の一端が、自分の整備したギアが限界を超えてしまったことにあるかもしれないという恐怖。
思い出すたび、心臓が冷たく締めつけられる。
ベッドの上のクラトはいつものように笑っていた。
「俺は平気だから。お前は好きなことでもしてろ」
そう言って医師と看護師に支えられ、精密検査へと連れて行かれる。
歩いてはいたが、その背中は痛みに耐えるようにわずかに傾いていた。
扉が閉まるまで、リオは目を逸らさなかった。
奥歯を噛みしめながら、その小さくなっていく姿を見送る。
――平気なんて嘘だ。
優しい言葉の裏にある痛みを、見逃すはずがない。
ただ待っているだけなんて、できなかった。
整備士としての勘と、幼い頃から培った探究心が、リオの足を動かしていた。
王城の壁を叩き、継ぎ目を探し、装飾の不自然さを目で追う。
城の構造を知れば、何かクラトの役に立つ隠し部屋や技術が眠っているかもしれない。
そんな最中、物陰から黒髪を揺らしたセリカが声もなく現れ、平然とした声でかけてきた。
「リオ殿、何をされているのですか……?」
「うわっ!? あ、えっと、ちょっと気になることがあって」
軽く笑ってごまかすと、彼女は表情を変えぬまま、静かに首を傾げた。
「壁に穴を空けるのなら、もう少し人目のない場所がおすすめですよ。私が穴掘り用のスコップを用意してきましょうか」
「あはは……それは大丈夫」
図星を突かれ、リオは引きつった笑いを漏らした。
「では、王城の“裏側”に触れる際はぜひお声がけを。見張り役くらいは引き受けますので」
セリカは音もなく立ち去った。
そのマイペースでいて、どこか底知れない空気に、リオの肩から力が抜けた。
――何事も表があるなら、必ず裏がある。
父さんがよく口にしていた言葉だ。
“技術者ってのは、物事の裏側を知らなきゃいけないんだ”
“表に見えている数字や形に騙されるな”
だから探す。
どんなに隠されていても、表の影にある裏を。
ふと、一年前を思い出す。
王城の情報を求めて、クラトに内緒で研究施設へ訪れ、「ギルドの整備士ごときに話すことはない」と冷たく門前払いを食らった。
あの時の悔しさは今も胸に残っている。
探索では隠し通路は見つからなかった。
ならば、もう一度正面から挑むしかない。
リオは研究施設の重厚な扉の前に立ち、深く息を吐いてノックした。
現れたのはあの時と同じ、細い眼鏡をかけた初老の研究職員。
彼は冷たい視線でリオを見ていた。
「あの、神格種の攻撃エネルギーについて、少しお話を伺いたくて……」
「それは機密事項です。民間人は帰りなさい」
その見下すような響きに、胸の奥がざらつく。
「何か、お困りですか?」
背後から、柔らかくも、決して揺るがない威厳を湛えた声が届いた。
振り返ると、真紅のマントを翻したアリアが立っていた。
研究職員は慌てて直立不動になり、頭を深く下げる。
「姫様……!」
「私の整備士――リオ・カナリスが必要だと言っています。王城の設備は、空を守るためにあるのでしょう? 民の知恵を拒む理由がどこにありますか」
アリアの茜色の瞳が、研究員を射抜く。
「カナリス……あのマルクの娘ですか」
――父の名。
胸の奥に眠っていた響きが、不意に呼び起こされる。
誇らしさと痛みが入り混じり、リオの呼吸が震えた。
「さあ、リオ。入りましょう」
アリアの優しく強い手に背中を押され、リオはついに研究室へと足を踏み入れた。
内部は広く、壁一面に資料棚。中央には重々しい解析装置が鎮座していた。
「あの、神格種のエネルギーについて少し……」
勇気を振り絞って声を出すが、周囲の研究員たちは一斉に沈黙を守る。
「私の整備士が質問しています。答えてください」
アリアの一言が部屋に響き渡り、ようやく一人が重い口を開いた。
「十三年前に回収された神格種の残骸から得たデータは、我々の既存の理屈に合わない異常な伝達効率を示していました。解析は困難を極め、上層部の指示で調査は打ち切られたのです」
その言葉に、リオの脳裏に父の古いノートがよぎった。
“理屈に合わない”
まさに、父が死ぬ直前まで挑んでいたテーマそのものではないか。
リオは資料棚へと走り、埃をかぶった古い資料をひっくり返した。
そして、見覚えのある筆跡のノートを見つけ出した。
乱雑な数式、不可解な図面。
それは父が見て、父の手で残した、王城が諦めた問題に挑んでいた証拠。
リオはそれを、宝物のように強く胸に抱きしめた。
*
夜。
王城の片隅にある整備場のランプがほの暗く灯り、鉄と油の匂いが漂っていた。
作業台の隅には、ひしゃげて原型を留めていない『トーゴ』の残骸が置かれている。
「……ごめんね、トーゴ。あたしの腕が足りないせいで」
リオは油に塗れた手で、冷たくなった鋼鉄の表面をそっと撫でた。
幾度となくクラトの命を救ってきた相棒は、もう二度と蒸気を噴き上げることはない。
悔しさを噛み殺すように唇を震わせ、そして――彼女は顔を上げた。
リオは机の上に父のノートを広げ、震える指でページをめくる。
複雑な数式、走り書きの注釈。
まだ今の自分には理解できる部分は少ない。
でも、不思議と目を離せなかった。
父が何を追い、何に挑み、どこで立ち止まったのか――
一文字一文字が、まるで父の息遣いのように迫ってきた。
「父さん……」
声にならない呼びかけが漏れる。
ノートの端には、掠れた文字でこう残されていた。
――『理屈に合わないなら、新しい理屈を自分で作ればいい』
読み返すたびに、胸の奥で消えかけていた火が激しく灯る。
父さんは諦めなかった。
なら、あたしが諦める理由なんてどこにはない。
リオは手をぎゅっと握りしめた。
「……クラトを守る。次は絶対に、あたしの作った武器で」
そう心に刻んだとき、不意に背後から足音がした。
「リオ?」
振り返れば、両腕を白いギプスで痛々しく固めたクラトが立っていた。
「うわっ……! ちょ、なんでここに!?」
「検査終わったら、さすがに自室に帰されるだろ。で、ちょっと寄り道した」
クラトは苦笑しながら、まだ覚束ない足取りで片足を引きずるように近づいてくる。
歩くたびに、わずかに強張る肩の筋肉。
その痛みに抗いながら立っている姿に、リオの胸は締めつけられた。
守れなかった痛みと、次は絶対に守るという衝動がないまぜになる。
「……ごめん。あたしの整備のせいで、アンタにこんな……」
「バカ。お前のせいじゃねぇ。俺が勝手に突っ込んだだけだ」
クラトはいつもの調子でぶっきらぼうに笑ってみせる。
リオにはわかる。
その表の笑みの裏に、どれだけの激痛と、動かせない身体の焦燥を隠しているか。
「だからこそだよ」
リオは立ち上がり、父のノートを強く抱きしめた。
「次は絶対に、守る。あたしが、新しいギアで、クラトを絶対に守るから」
クラトは驚いたように目を丸くし、それから観念したように、いつもの呆れた笑みに戻した。
「……そっか。お前がそこまで言うなら、俺はそれを信じるしかないな」
ランプの淡い光の下、父の遺した文字が二人を静かに照らしていた。
その大いなる影を背負いながら、リオは新しい決意を胸に刻む。
――これは秘密だ。
クラトを驚かせるための、そして、あいつを絶対に死なせないための、あたしだけの秘密。
あたしは絶対に、この誓いを破らない。




