第二章 #3『第五の厄災と空の決断』
あの戦いから三ヶ月。
両腕のギプスは外れたものの、骨の髄にはまだ時折、鈍い痛みが走る。
それは、あの日の激戦が残した消せない傷跡。
クラトは会議卓の中央席に座らされていた。
左隣は空席で、右隣にはリオの姿がある。
ふたりを囲むように、宰相、将校、参謀、近衛隊長――
そして数人の貴族たちが居並んでいる。
彼らの視線は、場違いな油の匂いを持ち込んだ叩き屋と整備士を値踏みするような、静寂の刃となって突き刺さっていた。
(……ったく、なんで俺がこんなとこ座らされてんだ)
まるで罪人のように中央に据えられた現状への不満。
それ以上にクラトの神経を尖らせていたのは、ギルドで耳にした不穏な噂だ。
(モグラじゃねぇ何かの調査に裏で手を回した『上層部』……この中の誰かが、あの神格種を呼んだ裏切り者かもしれないってのに)
油断なく周囲の顔ぶれを観察するクラトに向け、初老の参謀が眼鏡を持ち上げながら、冷ややかに言った。
「神格種は、この百五十年で四度しか現れていない。一度目は人類が初めて奴らと遭遇した時。二度目は南方で地下都市が沈黙した時。三度目は大地そのものを呑んだ巨大モグラ。そして四度目が十三年前――地下都市と要塞都市が連続して壊滅した事件だ」
参謀は手元の資料から顔を上げ、眼鏡の奥からクラトを鋭く見据えた。
“神格種”という単語を聞いた瞬間、クラトの両腕の古傷が、思い出すようにズキリと冷たく疼いた。
「そして我々は今、五度目の分岐点に立たされている」
「……俺はただのモグラ叩き屋だぞ」
不快な幻痛を誤魔化すように眉をひそめ、不機嫌そうに言い返す。
隣のリオが、服の裾をそっと引き、耳元で囁いた。
「落ち着いて、クラト……もうすぐ姫様が来るから」
静寂の中、扉が軋む音を立てて開いた。
真紅のマントが揺れ、次期統治者の気配が流れ込んできた。
「お待たせしました」
アリアは会議卓を見渡し、将校や貴族たちへ向けて深く一礼した。
最前列の将校が、慌てて立ち上がった。
「姫様、このような場にお越しになるなど――」
アリアは軽く手を上げ、言葉を制した。
「お気遣いなく。私はルミゼルディアの次期統治者です。軍事も政治も、他人事ではいられません」
別の貴族が、不安げに顔を曇らせた。
「ですが姫様は、まだ正式に国政の任を――」
「それは分かっているわ。でも、私は何も知らないまま玉座に座る人間にはなりたくないわ」
アリアの茜色の瞳が、部屋の隅々まで見渡す。ギルドで見せた年相応の少女の顔はそこにはない。確かな王族としての威厳が宿っていた。
「自分の目で見て、耳で聞いて、知りたいのよ。国のことも、人々のことも」
一瞬、会議室にざわめきが走る。
「そして私がルミゼルディアを背負う以上、地上の脅威を見て見ぬふりはできません」
アリアは声の調子を落としながら、再び視線を巡らせた。
「本日は急な招集にも関わらず感謝します。今日は皆様に意見を伺いたいことがあります」
アリアは言葉を区切り、全員の顔を確かめるように見渡した。
「――地上への調査、及び降下作戦を行う件について」
会議室がどよめいた。
「姫様、地上は危険が多すぎます!」
若い将校が鋭く叫んだ。
「神格種の痕跡があるだけで人員を割くのはリスクが大きすぎます!」
「そうなれば空中都市の防衛が手薄になってしまいますわ!」
貴族の婦人が扇を振り、高い声で異論を唱える。
「放置すれば、また同じ悲劇が……!」
年配の将校が、重々しく机を叩いた。
その後の賛否の応酬も、いつしか同じ言葉を繰り返すだけになっていた。
やがて壁際の振り子時計が一巡し、熱かった杯の茶はすでに冷え切っている。
机上には折れ曲がった地図や、乱雑に書き足されたメモが積み重なっていた。
その空気を断ち切るようにアリアが静かに視線を巡らせ、参謀と目を合わせた。
わずかな頷きとともに、彼女は手で合図を送る。
促されるように、初老の参謀が手に持った書類を掲げ、厳しい口調で読み上げた。
「南方二百キロの地下構造物にて神格種の痕跡が確認された。しかも――金属溶解の跡がある。例のブレスの可能性が高い」
一層、会議室の空気が重くなった。
「加えて、三ヶ月前のブレスの影響で第三採掘ルートが崩落、推進機関の燃料タンクにも亀裂が入った。現状の消費で試算すると、都市のエネルギーは残り五ヶ月で枯渇する」
参謀はそこで一度言葉を切り、書類をめくった。
「本来、地上資源の定期回収は四ヶ月後に予定されていた。ルート崩落により現状のままでは回収不能。つまり、三ヶ月以内に新たな安全ルートと回収拠点を確保しなければ、次の補給に間に合わない」
静寂が落ちた。
貴族の誰かが息を呑む音が聞こえる。
「――ですから、姫様が仰る通り、我々には地上へ降りる以外の選択肢がないのですよ」
冷やかで、よく通る声が会議室の空気を撫でた。
「ですがライル殿! 正規軍を地上へ降ろせば、都市の防衛が手薄になりますぞ!」
年配の将校が声を荒げると、ライルは薄く笑い、指先で書類の端を弾いた。
「ええ。私の立場からしても、正規軍を動かすリスクは容認できません」
黒檀の机の最前列に座る男――兵站総監、ライル。
仕立ての良い軍服に身を包み、胸元で所属と階級のバッジが輝いている。
(こいつが……ライル……!)
クラトは奥歯を噛み締めた。
セリカの言っていた、共鳴石を裏で操っているかもしれない男。
神経質そうに細められたライルの眼光が、クラトとリオを値踏みするように見下ろしている
「まあ、清潔な空中で暮らす我々が、わざわざ重い土に降りる理由がございまして? 油の匂いまで持ち込まれては困りますわ」
隣の貴族婦人が扇を広げ、わずかに眉を寄せた。
「そこで提案です。あの神格種から姫様をお守りした英雄殿。あなた方に、地上への先陣を切っていただくのはいかがでしょう。軍は全面的に支援します。統計は、常に我々の味方ですから」
「なっ……」
表向きはクラトの実力を買っているような口ぶりだが、その奥には「地上という密室でお前たちを始末してやる」というどす黒い殺意が透けて見えた。
クラトは椅子から半身を起こし、古傷の疼く腕を机についた。
「先陣だと? ふざけんな。俺にとっちゃ地上は現場だ。お前らが統計で片付ける被害は、俺は匂いで覚えてんだよ。土と血と蒸気が混ざった、あの重てえ匂い。叩いた後に骨に残る音もな。じゃあ聞くけどよ、ライル。お前、土の匂い嗅いだことあんのかよ」
ライルは書類から目も上げず、ペン先で数字をなぞった。
「いいえ。一度もありません。土の匂いは記録に残らないのでね」
そこで初めて顔を上げ、薄く笑う。
「私は匂いのつかない場所から、あなたの現場を数字で支えているだけです。役割が違うのです。……無謀な英雄譚は兵站を食い潰す。美談は結構ですが、後始末は数字でしかできませんから」
会議室の空気が凍りついた。クラトは奥歯を噛み締めたまま、ライルを睨みつけている。
アリアが真剣な眼差しを向けた。
「クラト、安心して。今すぐ戦ってほしいとは言っていないわ。私が知りたいのは――何が起きているか。その手がかりを掴みたいの」
「ですが姫様ご自身が地上へなど――!」「王位継承第一位のお立場をお忘れなく!」
貴族たちの声が重なる。
「誤解しないで。私が地上へ行こうとしているわけじゃないわ。第一王女という象徴である私が、軍の許可なく前線に出ることは許されないもの」
アリアは一拍置いて、続けた。
「本当なら、私自身が降りて真実を確かめたい。この立場がそれを許さない。……だからこそ、私の代わりに現場で真実を見てきてくれる人が必要なの」
その目がほんの一瞬、クラトを捉える。
「自分だけ安全な場所にいて、誰かに危険を任せるのは歯がゆいわ。あの日、あなたの背中を見て……私も変わらなくちゃいけないと感じたの。だから……お願い。私に、あなたの目と耳を貸して」
アリアの声には、統治者としてではなく、ひとりの少女としての痛切な懇願が込められていた。
「結局、行くのは俺たちなんだな」
その呟きには、抗いようのない運命への諦めと、わずかな覚悟の響きがあった。
後方の貴族が扇を閉じ、冷たく言い放った。
「姫様。評議会は三ヶ月後に控えております。成果なき地上作戦は、その場で全面凍結となります。保守派は既に予算停止の動議を準備しておりますゆえ」
室内にざわめきが走る。
「三ヶ月で神格種に対抗できる目処を立てられなければ、降下作戦は永久に禁止。叩き屋への予算も断たれる」
アリアは静かに頷いた。
「ええ、承知しているわ。だからこそ、今動くの。エネルギーが尽きて墜落するか、政治で足を縛られて地上を見捨てるか――どちらも御免よ。三ヶ月で道を開かなければ、回収船は降りられないの」
アリアはクラトの肩にそっと手を置いた。
「頼りにしてるわ、クラト」
そして周囲を見渡し、会議室に響きわたるように声を張った。
「諸君も、どうか理解してほしい。私たちは空の上にいるだけでは、生き延びられないのだから」
アリアの言葉は、会議室にいる全員の心に深く響いた。
将校たちが次々に頭を下げる。
定刻を告げる針が鳴る。
「以上をもって、本日の作戦会議を閉会とする」
軍人たちが次々に席を立ち、貴族たちも囁き合いながら退出を始めた。
「はあ……なんか背筋がずっと張り詰めてた気がするぜ」
クラトは緊張の息を吐いた。
会議卓の上に置かれた拳がわずかに震えている。武者震いか、あるいは神格種への本能的な恐怖か。
周囲の軍人たちはチラチラとクラトを見たが、何も言わず去っていった。
部屋に数人だけが残されたところで、アリアは微笑み、少しだけ声を落とした。
「今日は本当に助かったわ、クラト」
「……あなたが隣にいてくれたおかげで、私、あの場で緊張せずにいられたの」
クラトは目を瞬き、そっぽを向いた。
「……俺は何もしてねぇけどな。椅子に座ってただけだろ」
「十分よ。誰も私の代わりに前へ出てくれない場所で、あなたがいてくれるだけで……私は孤独じゃないって思えるの」
アリアは小さく息を吸い、目を伏せた。
「私にとって、それは本当に、大きな支えなの」
「……ま、まあ。俺で良けりゃな」
クラトはばつが悪そうに頭をかいた。
「ありがとう」
アリアは再び柔らかな笑みを浮かべ、少し間を置いて目線を戻す。
「……ねえ、少しいいかしら? 応接室へ来てくれる?」
「はぁ? また堅苦しいのか?」
「違うわ。あそこなら人の出入りも少ないし……気を使わずに話せるの」
アリアは、真剣な瞳を向けた。
それは、さきほどの会議とはまた違う、ひどく切羽詰まったような色を帯びていた。
クラトは渋い顔をしたが、その真剣な瞳を前に、根負けしたようにため息をついた。
「……分かったよ。行きゃいいんだろ、行きゃ」
その返事に、アリアは静かに微笑んだ。
そして迷いのない足取りで隣に並んだ。
高窓から差し込む陽光が、金の髪を柔らかく照らし出していた




