第87話 転生したら、またポテトフライでした
◇◇◇◇
初老の男女は、桜の木の下で、静かに二人で佇んでいた。
紳士は、上品な白髪を、風にふわりと揺らしていた。婦人は、白髪を丁寧に肩まで流していた。二人とも、時を超えて、深い絆で結ばれているような、そんな空気を纏っていた。
ベルが、不思議に思って、二人の方にゆっくりと歩み寄った。
彼は、王国軍の総帥の正装のまま、桜の木の下で、二人の前に立った。
「あの……どちら様でしょうか?」
紳士が、ふっと優しく笑った。
「タクヤ殿の、古い友人だ」
婦人も、ふんわりと笑った。
「あらん、ベルくん、立派になりましたわねぇ。私たち、あなたが赤ちゃんの頃に、抱っこさせて頂いた事がありますのよ」
ベルは、記憶を辿った。しかし、幼い頃の記憶の中に、この二人の姿は無かった。
「あなた達は、いつ、私を抱っこして下さったのですか」
「あなたが、生まれてから、しばらく経った頃ですわぁ」
婦人が、目を細めた。
「私たち、あの頃、銀霧の里に暮らしておりましたの」
「銀霧の里……?」
紳士が、静かに頷いた。
そして彼は、懐から一冊の古びた本を取り出した。
◇◇◇◇
その本は、ボロボロだった。しかし、表紙の文字は、はっきりと読めた。
『転生したらポテトフライでした。でもポテトサラダも好きです!』
著者:東タクヤ
ベルの目が、ぱっと見開かれた。
「これは……父の、最初の作品……?」
「ああ」
紳士が、ふっと微笑んだ。
「タクヤ殿が、まだ若かった頃。北の魔王城での決戦の時に、私を倒すために召喚した、彼の最初の本だ」
「召喚……?」
「タクヤさんの、イマジナリースキルで召喚されたものは、消えないんですの」
婦人が、優しく続けた。
「だから、私が、ずっと保管していた」
紳士が、深く頷いた。
アイリーンは、その時、ふと気付いた。
イマジナリーで召喚したものは、消えない——。
タクヤは異世界から転生してきた。前世には、銃とか、爆弾とか……もっと簡単に敵を倒せて、想像しやすい兵器が沢山あったはず。しかし、タクヤはそれらを一切召喚しなかった。それらの兵器は、残り続けて、魔王を超える災厄をもたらす事を、彼は知っていたのだ。
「タクヤさんを呼んだ、わたくしの選択は……果てしなく、正しかったわぁ」
そのやり取りを耳にしたベルの中で、何かがぱっと繋がった。
「あ、あなたは、まさか」
彼の視線が、目の前の紳士の顔を、じっと見つめた。白い髪、白い肌。そして婦人の——聖なる、優しい光を纏った空気。
「北の魔王、アルテミス様」
「うむ」
「そして、女神様の後継者、アイリーン様」
「あらん、ようやく、思い出しましたのね」
ベルは、目の前の本を、じっと見つめた。
父が若い頃、この本を召喚して、目の前のアルテミスを退屈で倒した、という話は父から聞いた事がある。しかし、その本の実物が、今、目の前にあるとは……想像もしていなかった。
◇◇◇◇
アルテミスが、両手で古びた本を、そっと開いた。
ベルが、横から本を覗き込む。アルテミスは、しばらくそのページを、じっと見つめていた。彼の口元が、わずかに震えた。そしてぽつりと、つぶやき始める。
「……これは……うっ……」
その声は、遠い遠い昔、北の漆黒の塔の玉座の間で——この本を読んだ時に彼が漏らした、あのうめき声とまったく同じ響きだった。
「な、なんだ、この、退屈な世界観……っ!」
「な、何ページにもわたる、ポテトの種類の説明……っ!」
ベルが、ぽかんと口を開けた。アルテミスがこの本を読んだ時、思わず口にした感想が、まさにこの言葉だった。
目の前の初老の紳士は、白い髪の、白い肌の、優しい老人だった。
しかしその口から漏れる呻きは、遠い昔、玉座の間で退屈のあまり倒れかけた、大魔王の言葉そのままだった。
アイリーンの目に、涙が浮かぶ。そして、彼女の白髪の頬を静かに伝った。それでも彼女は、優しいほほ笑みを絶やさなかった。




