第77話 大魔王の城、千年の絶望
ロストシティの外れに、漆黒の巨大な城がそびえ立っていた。高さ百メートル以上。黒い磨き上げられた石で組まれ、塔の上部に四魔王の紋様が、ぐるりと刻まれていた。
城門の前に到達した瞬間、扉が内側から、ぎ、ぎ、と自動的に開いた。誰も迎えに来ない。ただ扉だけが、開いた。
「これは、罠、ですかね」
「いや、違うな」
アルテミスが、首を横に振った。
「ダグラスが、俺たちを待っている。彼は、俺たちを招き入れたいようだ」
俺は奥歯を噛んだ。彼の千年の余裕。しかし、それは彼の自信の証であると同時に、彼の絶望の深さの証でもあった。
「行こう」
城内は、何もなかった。ただ、広い大階段が上に伸びているだけ。左右の壁には、絵画も装飾も、何一つない。しかしよく見ると、壁がぴくり、ぴくりとわずかに脈打っていた。ダグラス自身の魔力が、城の隅々までしみ込んでいる。
「これ、不気味、ですわぁ」
アイリーンが、両手を胸の前で組んだ。
「ダグラスが、城そのものだ」
俺は頷いた。
ベルフォードの幻影が、低く囁いた。
「最上階に、ダグラス自身がいる。我々が付いていける範囲は、ここまでだ」
「えっ、皆、来ないんですか」
「我々の力は、虚無の荒野の中でお前たちを守るためのもの。ダグラス本人と戦う時には、消える」
「……」
「だが、心配するな。最後の最後、お前たちが必要とした時、我々は必ず戻る」
ベルフォードが、優しく頷いた。カミラとゾルダンの幻影も、ふっと頷いた。三人の幻影が、淡い光に包まれて、ふわりと薄くなっていった。
俺たちだけが、漆黒の城内に、残された。
◇◇◇◇
大階段を上り始めた。
空気が、徐々に重くなっていく。壁の脈動が、徐々に強くなっていく。とくん、とくん、と巨大な心臓の鼓動のように、城全体が脈打っていた。俺は、懐の王様のジャガイモと、ヘレナのレシピノートを、もう一度ぎゅっと握り直した。
「アメリア、約束……忘れるなよ」
「絶対、忘れない」
「アイリーン、聖光の翼、頼む」
「はい、ご主人タクヤ様」
「ご主人じゃない」
「あら、そうでしたっけ? ふふふ」
俺は、ふっとため息をついた。しかし、頬が緩んでいた。
「アルテミスさん、最後まで、頼みます」
「もちろん。どこまでも、つきあうぞ」
階段の終わりに、扉がぽっかりと開いていた。奥は深い深い闇。しかしその闇の奥に、何か、ぼんやり白い影が立っていた。
大魔王ダグラス。
彼が、玉座の間で——俺たちを待っていた。
◇◇◇◇
扉をくぐった。
玉座の間は広い空間だった。高い天井、漆黒の石の床。壁の四方に、四魔王の紋章が巨大に刻まれていた。空間の奥に、漆黒の玉座がぽつんと立ち、そこに一人の男が座っていた。
長身、白い髪、雪のように白い肌、薄い灰色とも白ともつかない瞳。表情には一切の感情がないように見えた。三十代の青年の精悍さと、八十代の老人の深い疲労を、同時に抱えた顔。彼の周りに、深い黒い霧がふわふわと立ち込めていた。
大魔王ダグラス。千年の絶望を抱え続けた男。
「来たか、勇者よ」
彼が低くささやく。その声は深く響いた。
「お前か。ワシの計画を、ことごとく邪魔したのは」
「大魔王ダグラス。お前は、人を不必要に苦しめた。その報いを受けないといけない。」
俺は、まっすぐに見返した。
ダグラスがゆっくり玉座から立ち上がった。黒いローブの裾が、ふわりと揺れた。
「我は、千年前、神に裏切られた」
彼の声に、初めてわずかな感情が混じった。
「ヘレナと、アレンを、流行り病で失った時、神殿で必死に祈った。『神よ、私の妻と子の命をお救いください。彼らの代わりに、私の命をお取りください』、と」
「……」
「神は、応えなかった。ヘレナは、腕の中で息を引き取った。アレンは、その三日後に続いた」
ダグラスの白い拳が、ぐっと握られた。
「我は、その瞬間、決めた。神を超える者となる、と」
「……」
「人類全員を魔王化させる事で、我は、神よりも深い深い、絶望の支配者となる。それが、ワシの千年の答えだ」
俺は、深く息を吸い込んだ。
「ダグラス」
「うむ」
「お前の絶望は、分かる。ヘレナさんと、アレンを失った悲しみは、本物だ」
「うむ」
「でも、お前は、他人に絶望を押し付けてはいけない」
「……」
「ベルフォードも、カミラも、ゾルダンも、お前と同じ絶望に追い込まれて、魔王になった」
「うむ。それこそ、我の狙い」
「絶望は、共有しても薄くならない。むしろ、増えるだけだ」
「我は、絶望を共有しているだけだ」
「違う」
俺は、まっすぐに彼を見据えた。
「お前は、ヘレナさんとアレンの分まで、絶望を世界にばら撒いてきた。ヘレナさんが、それを望むと思うか」
ダグラスの白い瞳が、ふっとわずかに揺れた。しかしすぐに、その揺れは消えた。彼がふっと目を細めた。
「言葉では、止まらぬな。勇者よ」
彼の声が、低く深く響いた。
「お前たちの、力で、見せよ」
ダグラスが両手をぱっと広げた。彼の周りの黒い霧が、ぐぅんと急に濃くなっていく。空気がぴりぴりと震え始めた。
アメリアが剣を抜いた。アイリーンが聖光の杖を構えた。アルテミスが両手をぐっと開いた。俺は、深く息を吸い込んだ。
「行くぞ」
千年の絶望と向き合う、最後の戦いが、始まろうとしていた。




