第76話 失われた首都
階段は、想像以上に深かった。
ぐるぐると螺旋を描きながら、ひたすら下に向かって続いていた。アイリーンの聖光の杖の光が、湿った石壁を薄く照らしていた。誰も口を開かず、ただ、ひたすらに降りていった。時間の感覚が、消えていく。
ようやく、階段の終わりに、たどり着いた。最後の一段を降りた瞬間、目の前の景色がぱっと開けた。
地下のはずなのに、目の前に、果てしなく地平線が広がっていた。
灰色の砂の荒野。地平線まで、白い霧が立ち込めている。空は無く、天井もない。上の方が、ぼんやり灰色にぼやけているだけ。虚無の荒野。
「タクヤ、なんか……おかしいわよ」
アメリアがつぶやく。
「私、ここに立ってるだけで、しんどい」
俺も同じだった。歩いているだけで、体の中から何かがずるずると抜けていく感覚。
「ここは、生きた者が長く留まれぬ場所だ」
アルテミスが低く唸った。
その時、灰色の砂の上に、三つの淡い光が、ふわりと灯った。光が、ゆっくりと人の形を取り始めた。
ベルフォード、カミラ、ゾルダン。
三魔王の幻影が、しずかに俺たちの前に立っていた。
「勇者よ。お前たちの旅を、ずっと見守っておった」
ベルフォードが優しく囁いた。
「ふふ、勇者さん。あたしも、ついてるからね♪」
「勇者おにいちゃんっ、ぼくもっ!」
三人の幻影が、俺たちの周りに、ぐるりと淡い光の輪を作った。虚無の侵食から俺たちを守ってくれる、優しい光の膜だった。
「皆、戻ってきてくれたのか」
「最初から、ずっと傍におった」
ベルフォードが、深く頷いた。
◇◇◇◇
サラが、ふっと地面に伏せて、俺たちに「乗れ」と合図した。俺、アメリア、アイリーン、そしてサラダを抱えたアイリーンが、次々と彼女の背に飛び乗った。アルテミスは自分の火球で、ふわりと宙に浮かんで並走する。
「行くぞ、サラっ!」
「クワーッ!」
サラが地を蹴った。灰色の荒野を、彼女の羽が力強く打ち続けた。三魔王の幻影は、淡い光のまま、ふわふわと並走している。
やがて、目の前に——巨大な都市の輪郭が、ぐんと近づいてきた。
白い大理石の街並み。高さ数十メートルの城壁が、ぐるりと街を囲んでいた。城門は、開け放たれたままだった。
サラが、城門の手前にふわりと着地した。俺たちは、しずかに、その扉をくぐった。
城内は、想像以上の美しさだった。整然と並んだ家屋。噴水のある広場。石畳は磨き上げられたように輝いていた。全てが千年前のまま、保存されていた。
しかし、人は誰もいない。
「これが、千年前の、エルファ王国の元の首都だ」
ベルフォードが、ささやいた。
「流行り病で住民全員が亡くなった。ダグラスが、自分の魔法で『ガラス越しの想い出』として保存した」
「失った妻と子を、忘れたくないから、ですか」
「うむ」
通りを歩いていくと、街の各所で、若きダグラスの幻影が、見え隠れした。
噴水の傍で、妻ヘレナを両腕でぐるりと回して笑う、若き王。
石畳の上で、五歳のアレンを肩車する、幸せそうな父。
神殿の前で、瀕死のヘレナを膝に抱いて、必死に祈り、涙する夫。
俺は、息を呑んだ。ダグラスの絶望の根が、視覚として、目の前に広がっていた。
◇◇◇◇
失われた首都——ロストシティの中央、白い大理石の巨大な王宮に、たどり着いた。
正門は開け放たれていた。ダグラスは、自分の城に誰一人迎え入れる事はなかった。しかし、その扉は——いつでも誰かが帰ってこられるように、開け続けていたらしい。
王宮の中央、食堂に、まだ温かい料理が並んでいた。
ジャガイモのスープ。パン。野菜の煮物。テーブルの周りに三脚の椅子。父、母、子の席。
俺は、テーブルの傍に近づいた。ジャガイモのスープの椀が、湯気を立てていた。
「ダグラスは、時間を止めた」
ベルフォードがつぶやく。
「ヘレナが、亡くなる最後の朝に、夫と子のために作った、最後の食卓だ」
俺はただ、無言でうなずく。
食堂の片隅の低い棚の上に、革で装丁された古びたノートが、そっと置かれていた。俺は両手で、それを取り上げた。表紙にこう書かれていた。
『ヘレナの、お料理ノート』
最初のページに、ヘレナの優しい丸い文字で、こう記されていた。
『夫の好きな料理。ジャガイモのスープ。長く煮込んで、子供でも食べられる優しさで』
俺は、ノートを両手でしずかに閉じた。懐にしっかりとしまった。
王様のジャガイモと、ヘレナのレシピノート。二つが、俺の懐で並んだ。
「これ、後で使う」
「使う?」
アメリアが首を傾げた。
「最終決戦で、必ず必要になる気がする」
「タクヤの勘……絶対、当たるから」
食堂の壁に、巨大な肖像画が掛けられていた。優しい笑顔の若い王妃。長い銀色の髪。純白のドレスをまとって、五歳くらいの男の子を、しっかり両腕で抱いていた。男の子の頬は、母の頬にぴったりと寄せられて、満面の笑顔で笑っていた。
ヘレナと、アレン。
「ダグラスは、本当に、ヘレナを愛してたんだ」
俺はつぶやいた。
「うむ。彼の絶望の根は、深い」
アルテミスが、低い声で続ける。
ベルフォードが、優しく告げた。
「彼の物語を終わらせる時に、その絵の二人を、お前のイマジナリーで呼び出してくれ」
「……」
「それが、千年の絶望を解く、最後の鍵だ」
俺は、深く頷いた。ノートとジャガイモが、懐で温かい熱を帯びていた。それは、次の戦いへの予感を感じさせる。




