第70話 千年前の真実
俺は、台座の上に置かれた、巨大な本のページを、ゆっくりとめくり始めた。羊皮紙の感触が、指先にしっとりと伝わってくる。文字は、何百年も前のインクで、薄くにじんでいたが、不思議と読めた。まるで、書いた者の念が、この場所にまだ生きているかのような、奇妙な感覚があった。
最初のページ。
『我、ダグラス一世。エルファの王国を、ここに建国する』
堂々とした、若い王の署名だった。
次のページ。
『我、王妃ヘレナを、心より愛している。彼女との間に、男児アレンが生まれた』
平和な家族の記録だった。
しかし、ページをめくるごとに、文字の調子が変わっていった。
『流行り病が、王都を襲った。何千人もの民が、死に絶えた』
『ヘレナと、アレンが、病に倒れた。神に祈れど……神は、応えず』
『ヘレナが息を引き取った。アレンも続けて、息を引き取った』
『神は、人間を見放したのだ。儂、神を超える者とならねばならぬ』
俺は息を呑んだ。
ページの文字が、徐々に激しくなっていった。羊皮紙のインクの色が、深く、黒く変わっていく。
『魔族との契約を果たした。我、不死の魔王となる』
『以後、千年にわたり、人類を魔王化させる実験を続ける』
『神を超える日まで、儂は、止まらぬ』
俺は、本のページから目を上げた。
大書庫の天井を、しばらく見上げていた。
千年前。
初代国王ダグラスは、流行り病で妻と息子を失った。その絶望が、彼を魔王に変えた。
彼が、ベルフォードを、カミラを、ゾルダンを生み出した。その根っこに、こんな悲しみがあった。
「これは……」
アメリアが、俺の隣で、ページを覗き込みながら、つぶやいた。
「ベルフォードも、カミラも、ゾルダンも……皆、ダグラスと同じ絶望から、生まれたってこと?」
「ああ」
俺は頷いた。
「ダグラスは、自分の絶望を、千年かけて他の人間にも与え続けてきたんだ」
「ひどい話、ですわぁ」
アイリーンが、女神の杖をぎゅっと握りしめた。
「でも、ダグラスさん自身も、深く、傷ついている方なんですわね」
「それでも、許せん」
アルテミスが、低くつぶやいた。
「自分の絶望を、他人に押し付けてよい理由にはならぬ」
◇◇◇◇
本の、ページをさらにめくっていくと、最後の方に、一枚の、古びた地図が挟まれていた。
地図は、エルファ王国の地下深くを示していた。
その最奥に、黒い印がひとつ刻まれていた。
『大魔王の、最深の城』、という文字が添えられている。
「これだ」
俺は、指でその印をなぞった。
「ここに、ダグラスがいる」
しかし、地図の裏側に……もう一つ重要な記述があった。
俺は、声に出して読み上げた。
「『神を超える者を、討つには、神の力が必要である。聖光の翼と呼ばれる神器を、再び地に呼ぶ事』」
「神器?」
アメリアが、首を傾げた。
「『神器は、神の力を呼び覚ます。そのひとつ、聖光の翼は——千年前、初代の女神に与えられた。しかし、それを地に隠す事により、魔王の力を永遠のものととする』」
「『神器の隠し場所、その手がかりは、銀霧の地に眠る』」
俺は、ページから顔を上げた。
仲間たちが、揃って息を呑んでいた。
「銀霧の里」
アメリアが、ぽつりとつぶやいた。
「ベルフォードさんの、故郷」
「ああ」
俺は、頷いた。
「ベルフォードさんが、僕たちに、最後に書き残した場所だ」
アルテミスが、ふっと目を細めた。
「ベルフォードは、生前、神器の手がかりに気づいていたのかもしれぬな」
「気づいていたなら、なぜ、教えてくれなかったんでしょう」
「彼は、絶望の中で、誰にも希望を引き継がせたくなかったのだろう。だが、ヤツが死ぬ時に、その封印は解けたはずだ」
俺は、地図を丁寧に本から外した。
羊皮紙のしっとりした感触が、手のひらにしみ込んだ。
王様が、頭巾の下から深く息を吐いた。
「ふぉっふぉ……儂、先祖が残した遺産を、ようやく知ったわい」
彼が、ジャガイモをぎゅっと握り直した。
「勇者殿。儂は、王としてこの王国を守る。ヤツを、地下から引きずり出してくれ」
「はい」
俺は、決意を固めた。
「アルテミスさん、皆、明日出発しましょう」
俺が、振り返ると、仲間たちが揃ってうなずく。
「銀霧の里へ」
「ええ」
アメリアが、剣の柄を、しっかりと握り直した。
「ベルフォードさんに、もう一度、会いに行きましょう」
その瞬間、大書庫の天井が、淡い金色の光を帯びて、一瞬だけ輝いた。女神セレーンが、俺たちの決意を見守っている——なぜか、そんな気持ちがした。




