第67話 桜の下、ゾルダンに捧ぐ
その日のうちに、王都の城下町は、不思議な静けさに、包まれていった。
ゾルダンに止められていた人々は、彼が消えた瞬間、一斉に、目を覚ました。
ぴくりと指先が動いて、自分がなぜここに立っていたのか、と戸惑った顔をする。家族との再会に、泣き崩れる者、何事もなかったかのように、夕餉の準備を始める者、皆、それぞれだった。
アイリーンが、女神の杖を片端から振って、何日も食事を取れずに弱った市民を、聖光で癒して回った。
俺は、桜の木を何度も振り返っていた。あの可愛らしい少年が――最期に、初めて人間として、悲しみと嬉しさを知った場所。
俺は、夜が更けてから、一人で、その桜の木の下に戻った。
夜風が、桜の枝をふわりと揺らしていた。月明かりが、石畳を青白く照らしている。
俺は、桜の根元に屈み込んで、地面を指で軽く掘り始めた。
土は湿って柔らかく、指先でも簡単に、小さな穴を作る事ができた。そこに、俺は握りしめていた青い宝石を、そっと埋めた。
ゾルダンの、最後の体温が残っていた青い宝石。
「ゾルダン」
俺は、土をゆっくり戻しながらささやく。
「ここで、お休み。お前が初めて、笑った場所、だから」
桜の花びらが、その上に、ふわりと何枚か降りてきた。まるで、彼の墓標を、花びらが飾ってくれているようだった。
俺の後ろから、足音が近づいてきた。
振り返ると、アメリア、アイリーン、アルテミスが皆、揃ってこちらに歩いて来ていた。
誰も、何も言わなかった。
ただ、俺の隣に、それぞれがしゃがみ込んで、桜の根元の小さな盛り土に向き合った。
「ゾルダン坊や」
アメリアが、ぽつりとささやいた。
「あなた、ちゃんと、人間になれてたわよ」
彼女が、ふっと目元を拭った。
「悲しい、と嬉しい、を最後にちゃんと知ってくれましたわぁ」
アイリーンが、女神の杖を、桜の幹に立てかけた。
「あなたは、安らかにお眠りなさい」
アルテミスが、深く息を吐いた。
「お前は、ダグラスに使い捨てされた、最後の犠牲者だ。これ以上、お前のような子を生ませはしない」
彼の声には、低く、深い悲しみがこもっていた。
◇◇◇◇
王様が、翌朝、自ら桜の木の下に、足を運んだ。
彼は、玉座代わりの椅子も、王冠も何も持たずに、ただの一人の老人として――桜の根元の小さな盛り土の前に、しずかに膝をついた。
「南の魔王ゾルダンよ。儂は、お前に謝らねばならぬ」
王様は、低い声で続けた。
「お前を、討伐対象として、勇者殿に依頼した。お前が、儂の臣民を止めたから。儂の王国に被害が出たから」
「……」
「だが、勇者殿の話を聞いた今、儂は、お前がただの被害者だったと知った。討伐するべきだったのは、お前を玩具として使った、大魔王ダグラスだった」
王様は、さらに語りかける。
「儂は、王として、お前を抱きしめてやれなかった。それを、永遠に悔やむ」
俺たちは、その横でただ、頭を垂れた。
王様が、自分の上着のポケットから、小さなものを、取り出した。
ジャガイモの形をした、ぬいぐるみだった。
王宮の侍従に頼んで、夜のうちに布で縫わせたものらしい。
「これを、お前の墓に供えてやろう。儂の、せめてもの詫びとして」
王様が、ぬいぐるみを桜の根元の盛り土の上に、そっと置いた。
「あの世で、お前と、おままごとをしてくれる人がいると、よいな」
王様は、ぬいぐるみを撫でながら、そうつぶやいた。
ジャガイモのぬいぐるみが、桜の花びらに、ふわりと覆われていく。
その光景を、俺は、しばらく無言で眺めていた。
「勇者殿」
王様が、立ち上がりながら、ぽつりと言った。
「はい」
「儂、決意を固めたぞ」
「……」
「ダグラスを、必ず、儂の王国の地下から引きずり出す」
王様の青い瞳に、燃えるような、深い炎が宿っていた。
「明日、王宮の禁忌の場所に、勇者殿を案内する」
「禁忌の場所、ですか?」
「うむ。代々の王のみが、その存在を知る――地下の大書庫じゃ。そこに、ダグラスを倒すための手がかりが、眠っておるはずじゃ」
俺は、王様の目をまっすぐに見返した。
彼の頭巾の下の青い瞳には、王として、最後の戦いに、臨む者の深い覚悟だけがあった。




