第62話 魔王は暴走する
空気が、一拍、止まった。
廃屋の床に散らばっていたおもちゃ全てが、ぴくりと震える。
最初に動いたのは、ブリキ仕掛けの兵士たちだった。
手のひらサイズの十体の歩兵が、ぜんまいを巻かれてもいないのに、銀色のブーツを、かちゃり、かちゃり、と床板に鳴らして、一斉に立ち上がった。しかも、その体が、見る間に、ぐぐぐと大きくなっていく。兵士たちは俺の身長ほどの大きさにまで膨らみ、銀色の手に持っていたおもちゃの剣が、本物の鋼鉄の剣に姿を変えた。瞳の代わりに、ブリキの目の穴の奥で、赤い光が、ぱっと灯った。
次に、テディベアが動いた。
膝に座らせた時には、人形だった、毛むくじゃらの茶色のクマが——ぐらりと立ち上がる。
その瞬間、彼の体が、ぐぐぐと膨れ上がった。あっという間に、廃屋の天井に頭が当たり、めきめきと屋根を突き破って、外へ突き上がった。三メートル近い、巨大なテディベアの姿に豹変する。
黒いボタンだったはずの両目が、紅い瞳に変わっていた。縫いつけられていた口が、にやりと引き裂けて、鋭い牙が並ぶ口に変貌した。
「うっそでしょっ!」
アメリアが、叫びながら、剣を抜いた。
「ぴーっ!」
サラダが、アイリーンの抱っこ紐の中で、悲鳴を上げた。
「皆、外へッ!」
アイリーンが、女神の杖を構えて、即座に俺たちを囲むように、聖光の薄い結界を張った。
俺たちは、崩れかけた廃屋の壁を蹴って、外の路地に転がり出た。
廃屋の屋根は、すでにバリバリと内側から破られ、巨大テディベアの上半身が、屋根越しに突き出していた。貧民街の狭い路地が、彼の巨体で塞がれていく。
◇◇◇◇
ブリキ兵士たちが、銀色の足音を響かせて、ざざざっ、とこちらに向かって突進してきた。十体が扇形に広がって、路地の幅を埋めて駆けてくる。
「タクヤ、後ろに下がってッ!」
アメリアが、剣を構え直して、俺の前に出た。
ブリキ兵士の最初の一体が、銀の剣を振り上げて、彼女に襲いかかる。ぎぃん、と鋼鉄の打ち合う音が、路地を裂いた。
「一段ッ!」
アメリアの三段斬りの第一撃が、ブリキ兵士の銀の腕を、すぱりと斬り落とした。腕は、ころんと路地に転がり、しかし、すぐにねちゃりと粘ついて、本体の方へとずるずると這い戻り始めた。
アメリアが驚きの声を上げる。
「再生する、のっ!?」
「魔力で動いている玩具だ。物理的な損傷では、止まらん」
アルテミスが、両手から火球を放った。
「火炎連弾!」
火球が、ブリキ兵士の二体をまとめて吹き飛ばした。
しかし、銀の体は、ぼろぼろになりながらも、またぐにゃりと形を取り戻し——再び剣を構えた。
「面倒な敵だな」
アルテミスが、奥歯を噛んだ。
その時、巨大テディベアが、ぬっとこちらに腕を伸ばしてきた。
毛むくじゃらの太い腕が、まるで丸太のように、俺の頭の上からぐわっと振り下ろされた。
「タクヤッ!」
アメリアが、俺の体を、横に力一杯突き飛ばした。
巨大テディベアの腕が、俺のいた場所の石畳を、ずどぉぉぉんっ、と叩き潰した。石畳が砕け散り、土埃がもうもうと立ち上る。
俺は、転がりながら、振り返った。
アメリアが、剣を構えたまま、テディベアの方に向き直っていた。
「アメリア、無茶するなっ!」
「タクヤを、潰させないわよ!」
彼女が、地を蹴って、巨大テディベアの足元に飛び込んだ。
「一段、二段、三段斬りッ!」
彼女の剣が、テディベアの太い足を三回、深く斬りつけた。
ぼふ、ぼふ、ぼふ、と綿のような粒子がテディベアの足からばら撒かれた。しかし、巨大なクマは、よろめきもしなかった。むしろ、傷ついた足の毛が、ぐねぐねと再生して、すぐにもとに戻っていく。
「うそっ、効かない!」
路地の入り口で、ブリキ兵士たちが、ぐるりと俺たちを取り囲み始めた。
俺は、必死で立ち上がりながら、アルテミスを見た。アルテミスは、両手から続けて火球を放っていたが、その表情は険しかった。
「ヤツらの再生速度が、こちらの攻撃速度を、上回っている!」
「アイリーンっ、聖光は!?」
「結界、張り続けるので精一杯ですわぁ!」
アイリーンの杖から放たれる金色の光は、俺たち全員を囲う薄い膜になっていたが、その光は、波打って震えていた。
路地の少し離れた壁際で、王様が、ジャガイモを握ったまま、戦況をじっと見守っていた。彼は逃げなかった。震えながらも、頭巾の下の青い瞳で、戦闘の動きを、一つ一つ、見極めようとしていた。
「勇者殿、あの巨大な熊、足を狙え。獣は、胴より足の方が、再生が遅くなるものじゃ」
王様が、低い声で、しかし的確に指示を飛ばした。
「は、はいっ!」
俺は驚いた。この陽気な王様が、こんな冷静な戦況判断をするとは。
路地の真ん中では、ゾルダンがぱしゃぱしゃと拍手していた。
「もっと、もっと、暴れて、おもちゃさん! ぼく、こういう遊びが、見たかったの!」
彼の頬には、まだ涙の跡が残っていたが——その笑顔は、人形のような虚ろな表情だった。
「アメリアッ!」
俺は、彼女の名前を呼んだ。
彼女は、テディベアの足から飛び退いて、ブリキ兵士の剣を、必死で剣で受け止めていた。両腕に、明らかに震えが走っている。三段斬りでは、再生する敵を、押し切れない。
俺は、息を、深く吸い込んだ。
今、必要なのは、再生を、上回る……強力な武器。
あの巨大なテディベアの綿を、根こそぎ、燃やし尽くす……何か。
あのブリキ兵士たちの体を、一撃で、完全に分解する……何か。
俺は、頭の中で、強くイメージした。




