第50話 もう二度と、愛さない
◇◇◇◇
翌朝。
俺たちは、再び城のホールに呼ばれた。
昨夜、サキュバスたちに連れて行かれた、仲間たちは別室で丁重に「もてなされて」いたらしい。アメリアもアイリーンもアルテミスも、無傷で戻ってきた。
俺は、昨夜のことを簡単に皆に伝えた。アメリアが、ぽつりと聞き返す。
「タクヤ、何もされてない?」
「ないよ。全然」
「……ふぅん」
彼女は、ふっと頬を緩めた。
「ま、信じてたから」
「ありがとう」
ホールには、もう、誘惑された男たちも、サキュバスたちもいなかった。
巨大な空間に、ぽつんと玉座だけが残っている。その玉座に、カミラがひとり座っていた。
彼女は、昨夜の艶っぽい姿ではなく、もっと簡素な、深紅の長衣をまとっていた。化粧も薄い。
ひとりの――ただの、女性のようにも見える。
彼女の周りに、薄く、四つの人影が漂っていた。
白薔薇のリリア。黒薔薇のヴィオラ。紅薔薇のラビス。青薔薇のシエル。
それは、俺たちが倒した、四薔薇の幻影。彼女は、心の中で、その影をずっと……抱きしめていたのだろうか。
カミラが、ゆっくりと、口を開いた。
「あなたたちと、本気で戦う前に……聞いてもらいたい話があるの」
◇◇◇◇
カミラの声は、いつものハスキーな艶っぽさが消えていた。ただ、低く静かな女性の声。
「あたしは、もともと人間だった」
「……」
「ある小国の王妃よ。夫は、優しい男だった。あたしを、本気で愛してくれた」
彼女の瞳が、遠くなった。
「二人の間に、まだ子供はいなかった。でも、これから、家族を作ろうって、約束していた。あたしは……夫を、心から愛してた」
「……」
「ある日――。夫が、隣国との戦争で戦死した。三十二歳。あまりにも若くて」
「……」
「あたしは、寡婦になった」
部屋の中の空気が、しん、となった。四薔薇の幻影が、彼女の周りで、しずかに、ふわふわと揺れている。
「葬儀の翌日から――。宮廷の男たちが、あたしを狙い始めた」
「……」
「『妃の座を継ぐ』『あなたを守ってあげる』『亡き王の遺志を継ぐのは、私だ』。最初は、優しい言葉だった」
「……」
「でも、あたしが断ると、彼らは本性を現した。夫の遺志を守る者なんていない。常に監視され、じわじわと、自由が奪われていった」
俺は、奥歯を噛みしめた。アメリアの表情が、強張っている。
「あたしは、半年間、自分の部屋に閉じ込められた。窓には鉄格子。食事は、宰相が決めた相手と、二人きりで」
「……」
「逃げ場が、なかった」
彼女が、ふっと自分の手のひらを見つめた。
「ある夜――あたしの前に魔族が現れた。『契約しないか』と。『お前を、サキュバスにしてやる。男の欲望を、思うままに、弄べるようになる』と」
「……」
「迷う必要なんて、なかったわ。そうするしか……なかったの。わかるでしょ?」
彼女が目を上げた。
その瞳が、深く、冷たくなった。
「翌朝、あたしはサキュバスになって、王宮を出た。宰相も、貴族も、皆、あたしの誘惑魔法で、廃人にした」
「……」
「あたしは、それから……サキュバスの女王として、生きてきた」
彼女が、ふっと笑った。
悲しい笑顔。
「あたしの目的は、ただひとつ。男の欲望を、弄び、踏みにじること。あたしは、もう……」
「……」
「二度と、誰も愛さない」
◇◇◇◇
長い、沈黙。
アイリーンが、ぽつりと口を開いた。
「それで男の人を、皆、おもちゃにしているのね」
「ええ。あの男たちは、皆、家に妻がいたり、恋人がいたりする。でも、あたしが少し誘えば、一晩で転んだわ」
「……」
「これが、男の愛の正体。だから……あたしは、彼らの妻たちにも、『絶望』を教えてあげるの」
アメリアが、ぐっと拳を握った。
悲しい話だった。
(でも、そのやり方で、彼女の何かが解決するのだろうか?)
俺は、ふと口を開いた。
「カミラさん」
「なに?」
「あんたは、欲望と、愛を……区別したいんだろ?」
「……」
「区別したいから、男たちの『欲望に転ぶ』姿を見せつけて、奥さんたちに『あなたの愛も偽物だった』って、突きつけてる」
「……」
「だったら――あんたは、まだ、本物の愛があると、信じてる」
カミラの紫水晶の瞳が、ぴくりと揺れた。
「……あら。何を言ってるの、勇者さん」
「あんたが、愛なんて全部偽物だ、って心の底から思ってるなら――男たちを誘惑する必要すら、ないんだ」
「……」
「『偽物だ』って、わざわざ証明したい、ってコトは……」
「……」
「あんたは、心の奥で、『本物』を信じてる」
カミラは、しばらく無言だった。
彼女の頬に、薄く、涙が伝った。四薔薇の幻影が、彼女の周りで、優しく揺れている。
「……あらん♪」
彼女が、ふっと笑った。
いつもの、艶っぽい笑顔に戻ろうとした。
でも、その笑顔は、何かぎごちなくて。もう、いつものように、上手く作れていなかった。
「あらまあ、勇者さん♪ 随分、生意気なことを言うのね♪」
「……」
「でも、もう遅いの♪ あたしは、もう戻れない」
「……」
「サキュバスとして、千年近く、こうやって生きてきた。今さら、人間の愛なんて、信じても……戻る場所がないんだ」
彼女が、ゆっくりと立ち上がった。四薔薇の幻影が、彼女の背後でぴしっと整列する。
「だから、戦うわ」
「……」
「あなたの言葉が、本当か、嘘か――。それを、確かめるために」
彼女が、両手を広げた。その体から、薔薇のツタが、しゅるしゅると伸び始めた。
空気が、ピンと張り詰める。
「本気で、おいでなさい、勇者さん♪」
俺たちは、構えた。
最後の決戦が、始まろうとしていた。




