第42話 納豆フィニッシュ
「ラビス、止めろ!」
「あらん、止められないわよ♪ あの子たちが、自分で食べたんだもの♪ 自業自得よ♪」
くそっ。
俺は、頭の中を必死で回した。
今必要なのは。
あの、甘い、甘い、香りを――強烈に上書きする何か。
舌と鼻の麻痺を覚ます何か。
刺激物、臭み、粘り……スイーツの逆のモノを思い浮かべる。
……前世の朝食。
……俺が、バイトのシフト前に、毎朝、食べていた、あの。
臭くて、粘って、安くて、栄養満点の……日本のソウルフード。俺は、手を空に向かって突き出した。
「イマジナリースキル! いでよ、納豆ぉぉぉぉっ!」
ぼん、と空中に何かが現れた。
ぶわっ、ばさっ、ぼたっ、ぼたぼたぼたぼたぁぁぁっ!
天井から、床から、家中いたるところから納豆が降ってきた!しかも、業務用の巨大なパック、二百個分。
パックが宙で勝手に開いて、中の納豆がばら撒かれていく。茶色い、ねばねばした豆たちが、糸を何メートルにも引きながら空中を舞う。そして、その匂い。強烈な発酵臭が、お菓子の家いっぱいに立ち込めた。
「うっ……」
ラビスが、初めて、顔を歪めた。
「な、なに、これ……うっ、臭っ! なんで、こんな、臭いものが……」
彼女のスイーツの甘い香りが、納豆の発酵臭に、完全に上書きされる。
仲間たちが、はっと我に返った。
「な、なんですのっ、この臭いっ!」
アイリーンが、チョコファウンテンから、顔を上げる。チョコまみれの顔のまま、鼻をつまむ。
「うっ、頭が、回らない……」
アメリアが、ロールケーキを取り落とす。半分、食べかけのまま。
「……私のヴィンテージ・ボルドーに、納豆が、浮いて……」
アルテミスが、ワイングラスを、絶望の表情で見つめる。彼のグラスには、しっかりと、納豆の粒が、ぽちゃんと浮いていた。
「皆、目、覚めたかっ!?」
「ああっ、覚めたわ、覚めたけどっ……いま、めちゃくちゃ気持ち悪いわよっ!」
アメリアが、口元を押さえる。たぶん、覚醒成分の禁断症状が、いま来ている。
「ラビスを倒すまで、耐えろ!」
俺は叫んだ。
そして、両手を、納豆まみれの空間に向けた。
「ラビス、その場から、動けるかな?」
俺は、納豆の塊を、心の中で、操った。空中を漂っている納豆たちが、ぐにゃりと集まり、ラビスの足元に、山と積もる。
彼女の足首に、ねばねばの糸が、ぐるぐると、絡みつく。
「ち、ちょっと、離して、離しなさいよっ、この、ねばねばっ!」
ラビスが、必死で足を動かす。
が、動くたびに、糸はもっと強く絡まる。彼女の魔法の威力も――納豆の、ねばねばには全く太刀打ちできない!
「アメリア、行けるか!?」
「うっ、まだ、気持ち悪いけどっ、行けるっ!」
アメリアが、よろよろと立ち上がる。
そして、剣を引き抜いた瞬間――目の色が戻った。三段斬りの剣士の目に。
「タクヤ、合わせて!」
「了解!」
俺は、納豆をもう一塊空中に呼んだ。
今度は、ラビスの両腕に絡ませる。
「離せっ、離しなさいよぉぉぉっ!」
ラビスの体が、完全に納豆で固定され――アメリアが、地を蹴った。剣の表面にも納豆がねばっと付着している。
「一段ッ!」
ねばっ。
「二段ッ!」
ねばっ。
「三段斬り――なっとうフィニッシュゥゥッ!」
三撃が、納豆まみれとなったラビスの体を薙ぎ払った。そして、ラビスは地面にどさりと落下する。
しばらく、しん――となる。
ラビスは、納豆まみれのまま、ふっと笑った。
「……ぷっ……あんた、本当に、最低なのに、最高ね♪」
「最低は余計だな」
「だって、最後に納豆って♪ あたしの、エレガントな魔法を、納豆で潰したのよ♪」
彼女が、ぷるぷると肩を震わせる。
「あたし……敗れたわ。しかも、納豆に♪」
彼女の体が、紫の煙に変わり始めた。
「ねえ、勇者さん」
「ん?」
「あんた、最初にスイーツを食べた時、ちゃんと、毒に気づいたわよね。あれ、何で?」
「……ああ。前世で、そういう仕事をしてたからな。舌の奥の刺激で、すぐ分かった」
「ふぅん。勇者さん、怪しいコトしてたのね」
「俺は作家だから……いろんな経験してるんだよ」
「ふふ。じゃあ、もう一つ聞いていい?」
「ん?」
「あんた、料理、得意?」
「えっ?」
「あの……朝、ふわふわのパンケーキ、作ってあげてたでしょ? あれ、見てたのよ、あたし」
……隠れて見てたのか、こいつ。
「あ、ああ、まあ、得意な方かな」
「だと思った♪ アメリアちゃん」
ラビスが、納豆にまみれたまま、アメリアに目を向ける。
「あんた、逃したら――損するわよ。料理上手の男は、一生の宝物」
アメリアの頬が、ぼっと染まった。
「な……なんでアンタがそんなコト知ってるのよっ!」
「あら、否定しないのね♪」
「……」
ラビスは、最後にふっと、優しく笑った。
「あんたたち……いい関係に、なりなさいね♪」
そして、紫の煙となって、納豆の中から、消えていった。
◇◇◇◇
ラビスが消えると、お菓子の家も、ふわり、と、消え始めた。
屋根のチョコが、壁のビスケットが、テーブルのケーキが、すべて、淡い光に包まれて、空気に溶けていく。
しかし。
納豆だけは、消えなかった。
永遠に、消えない、俺のスキルの産物。
森の地面に、二百パック分の、納豆。山のように、積まれている。
「……」
「……」
「これ、どうします、勇者殿」
「……後始末は、神のみぞ知る、だ」
「タクヤ、あなたのスキル、本当に、業が深いわよ」
アメリアが、肩を落とした。
「ちなみに、アメリア」
「ん?」
「料理上手の話、否定しなくて、いいの?」
「……うるさいっ!」
パッチィン。
納豆塗れの手で、張り手が飛んできた。
「いだぁっ! しかも、ぬるぬるっ!」
「あんたなんか、納豆まみれで、十分っ!」
俺たちは、笑いながら、次の敵が待つ薔薇園を目指して、再び街道を歩き始めた。
数日後。
森に放置された大量の納豆を、森の動物たちが、おっかなびっくり食べ始めた、という噂が街道沿いの村々で広まった。
その後――森のリスたちの間で、納豆ブームが、巻き起こったらしい。何百年も、その森のリスは長寿で健康だった、と――。




