第39話 髪を、洗う
お風呂場の中は、もうもうと湯気が立ち込めて、視界が霞んでいた。その奥に、アメリアがシャンプー台の前で後ろ向きに座っている。ほどいた金色の長い髪が、湯気の中でしっとりと輝き……白い肩が、湯気の隙間からちらりと見えた。
俺は、息を止めた。
「タクヤ……早く、お願い」
「あ、ああ、了解」
俺は、彼女の後ろにしゃがみ込んだ。なるべく、肩より下を視界に入れないように……シャンプーを手のひらに取って、彼女の髪をゆっくりと洗い始めた。
彼女の髪は、思っていたよりもはるかに細くて、絹みたいだった。三段斬りの剣士、というよりは深窓のお嬢様の髪に近い気がする。
「……あの、強く、ない?」
「ううん、ちょうど、いい」
アメリアが、目を閉じて気持ちよさそうにしている。俺は、彼女の頭の形を両手で確かめるように、丁寧に洗った。
湯気の中で、二人とも無言だった。
ただ、水音と、シャンプーの泡の音だけが響いている。
しばらくして、アメリアがぽつりと言った。
「……タクヤ」
「ん?」
「私、こうやって、誰かに髪を洗ってもらうの……母さんが死んでから、初めて」
俺の手が、止まった。
「……」
「だから……ちょっと嬉しい」
「……」
「ありがとう」
俺は、なんだろう、胸の奥がじわっと温かくなった。
ただの、お風呂のシャンプーが、こんなに深い意味を持つなんて知らなかった。
「……いつでも、洗ってやるよ」
「うん」
「気が向いたら、言ってくれ」
「うん」
俺は、丁寧に……もう一度、彼女の髪を撫でるように洗った。
ふと、アメリアが振り返った。タオルで前を隠していたが、視線がまっすぐ俺に向かう。
湯気の中で、彼女の頬はほんのり上気している。
「タクヤ……」
「ん?」
「あ、あの、振り返らないで、流すから」
「分かった」
俺は、慌てて、彼女の頭をシャワーで流す。
……心臓が、もう、限界だった。
たぶん、彼女も同じだったと思う。
最後にアメリアが、ぽそっと言った。
「……次は、私が洗ってあげる」
「い、いや、それは、ちょっと、また今度」
「あら、嫌?」
「嫌じゃない! ただ、ええと……その……」
「ふふ」
アメリアが、湯気の中でにこりと笑った。
◇◇◇◇
翌朝。
「タクヤ~おなかへりましたわ!」
「朝ごはん、なに~!?」
「タクヤ殿、朝食の時間だな」
昨夜の事はまるでなかったコトのように……いつもの朝がやってきた。この宿は食事がついてないので、基本、自炊だ。ただ、食材は豊富に用意されているようで……。パン、ベーコン、卵などがキッチンに並べられている。
そこから俺が取り出したのは……卵と、小麦粉と、ミルクと、蜂蜜。さすが、ハニーミルクヴィレッジ。蜂蜜とミルクは、たんまりある。前世では二週間ほどバイトで養鶏場の手伝いをしていたコトがあり……卵を使った料理は体が覚えている。
卵を、白身と黄身に分けて、白身をしゃかしゃかと泡立てる。そして、ふんわりとした生地ができたら、フライパンでこんがり焼く。
数分後、テーブルにふわふわのパンケーキが、四皿並んだ。蜂蜜とバターをたっぷり乗せて。
「うわっ、何コレ、ふわっふわ!」
「これは、すごいですわぁ!」
「ほう、なるほど、卵白を別に立てて、空気を入れたか」
アルテミスが、しみじみと唸った。さすが元魔王、料理にはうるさいようだ。
「アルテミスさん、料理の知識が、深いですわよね」
「ふむ、まあ、漆黒の塔では……一人でしょっちゅう、自炊していたからな。」
「……元魔王、孤独すぎる」
アメリアが、しみじみと言う。
みんなで、ふわふわのパンケーキを頬張る。アメリアは、案の定、三段で。
「もぐもぐ、もぐもぐ、もぐもぐ」
そうだ、フォー・ローゼスも残り二体。今度はしっかり作戦練ろう!
俺はアイリーンに尋ねる。
「次の相手、何か情報、持ってる?」
「んぐ、んぐ、次の相手は紅薔薇ですわ」
「アイリーン、知ってるのか?」
「なんでも、スイーツが好物で、お菓子の家に住んでるとか……」
「え……えええ? そ……それだけ?」
「そんなコトよりも、おかわりくださいな!」
「んぐ、ごくん、わたしもっ!」
作戦より食欲だった……
みんなで笑いながら、賑やかに食卓を囲む。
窓の外は、晴れ。気持ちのいい朝だった。




