第34話 第二の薔薇、ヴィオラ
半日ほど進むと、街道は深い森に入っていった。
日の光が、葉の隙間から斑模様に落ちる。風の音がぴたりと止んだ気がした。
「……来たわね」
アメリアが、剣の柄に手を当てる。
森の中、開けた場所。そこに黒い影が一つ立っていた。
全身は黒革のボンデージ衣装、胸元と腰の周りだけを、ぎりぎり覆っている。長いムチを片手に握り、もう片方の手には黒い扇子。長い黒髪を後ろで一本にまとめ、燃えるような赤い瞳をこちらに向けている。背中からは黒い革の翼がばさりと蠢いている。明らかに、女王様タイプのサキュバスだ。
「ふっ、勇者かしら? 跪きなさい」
彼女は、扇子で口元を隠しながら——こちらに向かって、ぴしっとムチを地面に叩きつけた。
パアアンッ。
乾いた音が森に響く。
「いや、結構です」
俺は、即座に拒否した。
「あら? じゃあ、そちらの皆さんは?」
ヴィオラの視線がアメリアとアイリーンに向かう。
「結構ですわよ!」
アイリーンが両手を腰に当てて、毅然と答える。
「私は、誰にも跪かない主義よ」
アメリアも剣を抜きながら答えた。
「あら、つまんない。じゃあ、強引にいかせてもらおうかしら」
ヴィオラが、扇子をぱちっと閉じて、もう一方の手のムチを高く振り上げた。
「服従の鎖!」
ムチが宙で、しゅるしゅると形を変えた。紫色の細い鎖が、何本にも枝分かれして——俺たち四人に向かって伸びてくる。
「危ない!」
俺は思わず叫んだ。
が、アメリアもアイリーンも、回避が間に合わなかった。鎖が足首、手首、首にしゅるりと巻きつき、ぐいっと締まる。
「きゃっ!」
「うわっ、なんですの、これっ!」
アルテミスも捕まった。
「ぐっ、体が勝手に……」
アイリーンの腕の中にいたサラダも、抱っこ紐ごと鎖に巻かれた。サラは、後ろで樹に繋がれてしまっていた。
「クワーッ!」
全員、紫の鎖でぐるぐる巻きにされ、その場に膝をつかされた。
ヴィオラの「跪きなさい」という命令通りに、強制的に体が動かされる。
ところが――。
俺だけは、何ともなかった。
「……あら?」
ヴィオラが、首を傾げた。
「なぜ、あなたには効かないの?」
「いや、こっちが聞きたい」
俺は、自分の体を見回した。鎖は確かに俺の足首にも巻きついたはずなのに、すでにぽろぽろと崩れて消えていた。
「ねえ、勇者さん」
ヴィオラが、ちょっと面白がるような顔で、近づいてきた。
「あなた、もしかして、人に従う気が、全然ないタイプ?」
「……は?」
「私の魔法は、ターゲットの服従願望に作用するの。普通の人は、誰だって——心のどこかに『誰かに従いたい』『楽になりたい』って気持ちが、少しはある。私はそれを増幅して、鎖にする」
「……」
「でもあなたには、その種がほとんどない。だから、鎖が、根を張れずに消えるのよ」
「あったりまえだ」
俺は、ぐっと胸を張った。
「俺は、俺の物語の主人公だからな。誰にも服従なんかしない」
……俺は、さらに声を張り上げた。
「俺は、勇者である前に、一流のラノベ作家でありたいッ!」
しーん。
ヴィオラが、扇子の動きを止めて、ぽかんと口を開けた。
足元で鎖に縛られたアメリアも、ぽかんと俺を見上げている。
アイリーンも、首を傾げた。
アルテミスは、何度か瞬きをしていた。
「……」
「……ラノ、ベ?」
アメリアが、おそるおそる聞いた。
「あんた、昨日、私に説明しなかった? ラノベってなに?」
「ライトな、ノベル! 軽い物語!」
「軽い……?」
「重厚な歴史物じゃなくて、もっと若者向けで、剣と魔法とか、転生物とかエンタメに振り切った――」
「ねえ、勇者さん?」
ヴィオラが、扇子で口元を隠しながら、ちょっと困った顔で言った。
「あの、私、戦闘の途中なんですけど」
「あ、すみません」
「タクヤぁ、よくわかんない事言ってないで、なんとかしなさいよ!」
アメリアが、半目で叫んだ。
「アメリア殿、ラノベというのは、なんだ?」
アルテミスまで質問してくる。
「あとで、ちゃんと説明する!」
「タクヤさん、後で私にも教えてくださいませ!」
「分かった、分かったから、まずヴィオラだ!」
ヴィオラが、扇子をぱしっと閉じて、肩を竦めた。
「あんた、面白いわね、本当に。でも、私の魔法は――変わらないわよ」
彼女は、ぴしっとムチを地面に叩く。
「私の言うことを聞かないと、この鎖、もっとキツく締めるわよ」
鎖が、ぎゅっと締まる。
「いっ……たぁ……」
「やめ、やめてくださいませっ!」
くそ。仲間が人質。俺は、ぐっと拳を握った。今必要なのは、鎖を確実に切る何か。単純で絶対に効く、強い、強い、何か――。
俺は、目をぎゅっと閉じて、強くイメージした。




