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第32話 束の間の宿、心の距離

 白薔薇のリリアを倒した俺たちは、街道を半日ほど進んで、次の宿場町、リーフベルに辿り着いた。


 リーフベルは、まだカミラの侵食が浅い町だった。男たちはちゃんと働いていて、商店も開いている。とはいえ、町長は「うちも時間の問題でしょうな」と暗い顔をしていた。


 久しぶりに、ちゃんとした宿を取れた。

 今までの旅では、野営か、半壊した小屋に泊まることが多かった。きちんとしたベッド、温かい食事、湯気の立つ風呂。これだけで、もう天国だ。


 夕食を終えて、各自、部屋に戻った。サラは厩、サラダはアイリーンの部屋で寝ている。アルテミスは「私は風呂にもう一度入ってくる」と廊下に消えた。

 俺は、なんとなく寝付けなくて、宿の中庭に出た。


 月が、綺麗だった。

 中庭には、白い小さな花が咲いていて、夜風がその香りを運んでくる。石畳のベンチに座って、しばらくぼんやり月を眺めていた。

 すると、後ろで、かたんと扉の開く音がした。


「……あら、タクヤ」

 アメリアだった。

 寝間着の上に薄いショールを羽織って、こちらに歩いてくる。月明かりが、彼女の金色の髪を、淡く照らしていた。

「眠れないの?」

「ああ、ちょっと、頭が冴えちゃって。アメリアは?」

「私も。今日のことを思い出してたの」


 彼女は、ベンチの俺の隣に、すとんと腰を下ろした。

 ふわり、と石鹸の匂いがする。


 しばらく、二人とも何も言わなかった。

 風が、また、白い花の香りを運んできた。


「……ねえ、タクヤ」

「ん?」

「あのとき、あなた、何の幻を見たの?」


 俺は、ちょっと言いよどんだ。

 どう説明すべきか、迷う。

「……前世で、ずっと、欲しかったものを、運んでくれる人の幻だった」

「欲しかったもの?」

「ああ。前世の俺は、物語を、書いていたんだ」

「物語を?」


 アメリアが、不思議そうな顔をした。

 ああ、そうか。この世界には、たぶん、まだ「読み物としての小説」の文化がない。古文書や記録書はあるけど、エンタメとして物語を読む、という習慣は薄いはずだ。俺は、頭の中で言葉を選びながら説明する。


「俺の世界では、物語を書く人を、作家、って呼ぶんだ」

「作家」

「人々を楽しませるための、嘘の物語を、紙に書く。それを、たくさんの人が、夜寝る前に読んで、笑ったり、泣いたり、ドキドキしたりする」

「……嘘の物語を、夜寝る前に?」

「ああ。例えば、勇者が魔王を倒す物語。冒険の物語。恋愛の物語。色々ある」

「ふぅん。それが、お仕事になるの?」

「上手く行けば、ね。書いた物語が、紙の束を綴じた本となって、町中の店に並ぶ。たくさんの人が、お金を払って買ってくれる。そうしたら、書いた人にもお金が入る」

「すごい仕事ね」


 アメリアの目が、ちょっとだけ輝いた。

「私も、誰かの書いた、笑ったり泣いたりできる物語なら、読んでみたいわ」

「……だろ?」

 俺も、ふっと微笑んだ。

 

「で、その作家になるのが、俺の、前世からの夢だった。でも、まだ全然、読んでくれる人が少くて」

「つまり、まだ認められてないってこと?」

「うん。俺の物語を認めて、本にしてくれる人を、待ってた」

「ふぅん。その『本にしてくれる人』が、幻に現れたって事?」

「そう。それを叶えてくれる人が、夢の中で現れたんだよ」


 アメリアは、しばらく、黙って俺の話を聞いていた。

 

「ふぅん」

 彼女が、ぽつりと呟いた。

「私はね、ちょびっと」

「ん?」

「私の幻が、出たんじゃないかって、ちょびっと期待しちゃった」


 俺は、固まった。

 アメリアは、月を見つめたまま、続けた。

「どうしてだろう……ちょっと悲しかった。あなたの一番欲しいものが、私じゃないんだなって」


「……アメリア」


 俺は、考えた。どう答えるべきか。

 ラノベ作家になりたい、という夢は、間違いなく俺の根っこだ。前世から、ずっと追い続けてきたもの。それを否定するのは、嘘になる。

 でも、アメリアの言うことに少し驚いた。彼女が、そこまで思ってくれていたのだろうか。


 俺は、言葉を選びながら、口を開いた。


「アメリア。物語を書いて、誰かに読んでもらいたい。その夢は、変わらない。それは、俺の根っこの部分だから――嘘はつけない」

「……うん」

「でも、こうも思ってる」

「……」

「もしその夢を叶えても、君のいない世界だったら、たぶん俺、本当に喜べないと思う」

 アメリアが、すっと俺の方を見た。

「だから、欲張りかもしれないけど……」


 意を決して、アメリアの想いに応える。


 「夢と、君と、両方欲しい。」


 アメリアは、しばらく俺の顔をじっと見つめていた。月明かりに、彼女の瞳が、薄く潤むのが分かった。

「……バカ」

「ん」

「最初から、そう言いなさいよ」


 彼女が、ふっと、俺の方に体を傾けた。

 二人の距離が、ゆっくりと、近づいていく。

 アメリアの息が、頬にかかる。彼女の瞳が、半分だけ閉じる。

 俺も、自然と、目を閉じかけた――。


「クワッ! クワッ!」

「ぴーっ! ぴーっ!」

 

 その時、突然、中庭の茂みからサラダがよたよたと飛び出してきて――その後をサラが追っかけている。さらにその後から、バタバタとアイリーンが追いかけてきた。


「あら、あなたたち、こんな所でなにを?」

 アイリーンがこちらを向いて、尋ねる。

「い……いや……ちょっと、星空観賞会をもよおしておりまして……」

 照れながら答えるアメリア。

「ふふーん、そうね、そういえば、星がきれですわねー」

 色々と察したアイリーンは、よたよた歩くサラダを捕まえて、抱き上げる。

「サラダちゃんがすごい速さで歩くの。目を離すとすぐにどこかに行ってしまいますのよ!」

 そして、サラと一緒に、宿の方へと去っていく。


 少しの気まずい沈黙のあと――

 

「……そろそろ、宿に戻りましょ」

「だな……」

 アメリアが、立ち上がって、ぱたぱたと髪を整える。

 

 俺の横を、すれ違おうとした、その時。

 彼女が、ふっと足を止めてこちらに身を寄せた。

 ちゅっ。

 俺の頬に、軽い、温かい何かが触れた。


 そして、すぐ離れた。

 アメリアは、頬を真っ赤にしたまま、振り向きもせずに走り去った。


 俺は、しばらくベンチの上で固まっていた。

 頬に、まだ彼女の唇の温度が残っている。


 


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