第25話 黒霧、晴れる
「……勇者よ」
ベルフォードが震える手で、自分の指から何かを抜き取った。欠けた銀の指輪。古びていたが、月のように淡く光を宿していた。
「これは――リーラから貰った結婚指輪だ」
彼は、それを俺に差し出した。
「これを、知恵の泉に持っていってくれ。アイリーン殿の女神に。私が、もう戦わぬと伝えてほしい」
「……」
俺は震える手で、それを受け取った。
指輪は、小さく、そしてずっしりと重かった。
三百年の、想いがすべて込められているような重さだった。
「あんたは――どうするんだ?」
俺は聞いた。
ベルフォードはふっと笑った。
「もう……休ませてくれ。三百年、戦いすぎた」
彼の体がゆっくりと、光に包まれ始めた。
淡い、優しい白い光。
彼の皺だらけの体が、月光のように、透き通っていく。
「お前は、いい勇者だ」
ベルフォードが、満足げに微笑んだ。
「ラノベ作家と、言ったか」
「……ええ、まあ」
俺は思わず、頬を緩めた。
「ふっ。私の話を書いてくれ」
「……」
「私と、リーラと、ミリアの話を。読みたい人が、きっとどこかにいる。たった一人でいい。私の物語を読んで、誰かを抱きしめたくなる――そんな人がいるのなら」
「……」
「私は、それで報われる」
俺は彼の消えゆく姿を見ながら、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。約束する」
「ふむ」
「絶対に書く。あんたの物語」
「ふっ……頼んだぞ、勇者」
ベルフォードの体がふわりと光の粒になった。
風に運ばれて、空へと登っていく。
最後に、彼は空のある一点を見上げた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……リーラ、ミリア。遅くなってすまない。今、帰る」
彼は光になり。
消えた。
◇◇◇◇
その瞬間。
黒霧の森を、三百年にわたって覆ってきた、灰色の霧が――ふわりと、晴れていった。
俺たちの、目の前で。
空が、青く戻っていく。
森に、陽光が差し込んでいく。
灰色だった木々の幹が、本来の茶色を取り戻していく。
そして、その幹の先に――ぽつぽつと、新しい新緑が芽吹き始めた。信じられない速さで、緑が戻っていく。まるで、三百年分の時間を一気に取り戻すかのように。
そして、その遠くでは――
ピィーッ。
鳥が、鳴いた。
三百年ぶりの、鳴き声だった。
「……」
「……」
俺たちは、無言でその光景を見ていた。
誰一人、言葉にできなかった。
ただ、頬を伝うものを止められなかった。
風が吹き、森の匂いが変わっていた。
もう、苔と土の湿った古い匂いじゃない。
若い、新緑の瑞々しい匂い。
アメリアがぽつりと、言った。
「……綺麗ね」
「ああ」
俺は頷いた。
「綺麗だ」
◇◇◇◇
そして、その時――。
ぱあぁぁぁんッ!
突然、アイリーンの全身から、光が、あふれ出した。
「うわっ!?」
「何ですのッ、これッ!?」
彼女の体が、淡い虹色の光に包まれている。その光は、彼女の周りに、ふわり、ふわりと、舞いながら、漂っている。
「……アイリーン様、あなた、もしかして……」
「あれっ!? あれあれっ!?」
アイリーンが、自分の両手を、見つめた。
「女神の力が、戻ってますわっ!」
「……ええっ!?」
全員が、驚いた。
「な、なぜ?」
俺は聞いた。
「……たぶん、ですが」
アイリーンが目を、輝かせた。
「ベルフォードさんを、『倒した』のではなく――『救った』ことで、女神様が、お喜びくださって――信仰心の純度が上がったんですわ!」
「マジか!」
「これで、私もようやく一人前の、女神のお使いになれましたわっ!」
アイリーンが、ぴょんぴょんと跳ねた。
「……ちなみに」
アメリアが半目で、聞いた。
「何が、できるようになったの?」
「えーと、ですね」
アイリーンが両手を、合わせた。
「……お湯を沸かす速度が、二倍に!」
しーん。
「……」
「……」
「……」
「クワッ……」
「地味ねぇぇぇ!」
アメリアが、ツッコミを、入れた。
「……いやでも、家事ははかどるな」
アルテミスが、フォローした。
「沸かす時間が半分になれば、燃料も半分ですわっ!」
アイリーンは必死でフォローする。
俺は思わず、ぷっと吹き出した。
そして、森に笑い声が響いた。
俺はベルフォードの言葉をかみしめる。彼の物語は、心を震わせるものになるだろう。「イマジナリー」本当の力――それは、物語を紡ぐためにあるのかもしれない。




