第24話 三百年の真実
「……私は、人間だった」
ベルフォードの声は震えていた。
「黒霧の里の、ただの魔導士。妻と娘と……平凡に暮らしていた」
彼の瞳に、遠い光が宿った。
――妻の名は、リーラといった。
穏やかで優しい女だった。私が一日中、書斎で魔術書を読み耽っている時も……ただ温かい茶を淹れてくれた。
娘の名は、ミリア。
まだ十歳になったばかりの、明るく好奇心の塊のような子だった。私の杖を振り回しては、「お父さん、私も魔導士になるの」と笑っていた。
ベルフォードがふっと微笑んだ。
その微笑みは月の光のように、淡く温かかった。
「ミリアは器用な娘でな。特に、村の名品だった――煎餅を焼くのが上手だった」
「煎餅……」
「ああ。村の祭りには、いつも煎餅をたんまり焼いて――お父さんの分だよ、って私にもたくさん分けてくれた」
ベルフォードが目を潤ませた。
「……ある日。王国が、隣国との戦争に踏み切った」
「……」
「私は――徴兵された。黒霧のベルフォードという名は、王都にまで知れ渡っていた。王が、私を欲したのだ」
「……」
「私は戦場で勇敢に戦った。私の魔術は、幾万もの兵をなぎ倒した」
彼の声が一段と低くなる。
「戦争は勝利に終わり――私は英雄として、王から賞賛された。王は私に勲章を授け『お前は王国の宝だ』と言った」
ベルフォードが唇を噛んだ。
「だが――」
長い沈黙。
「……戦争が終わった頃、王とその取り巻きたちは私の力を恐れた」
「……」
「『銀霧のベルフォードを、このまま生かしておくのは危険だ』と。『王国の脅威になりかねぬ』と」
彼の瞳が、闇に染まった。
「ある夜――王は、私の村に軍を差し向けた。一万の兵を」
「……」
「私は村の外れの自分の塔で、研究に没頭していた。何も知らずに」
「……」
「気づいたのは、村が燃え始めてしばらく経ってからだった」
俺は息を呑んだ。
「……走った。村まで走った。だが、間に合わなかった」
ベルフォードの声が震えた。
「妻が――リーラが」
「……」
「私の家の前で……矢に貫かれて倒れていた」
彼の頬に、涙がぽたりと流れた。
「娘は――ミリアは、燃える家の中で――『お父さん、助けて』って、泣いていた」
「……」
「私は火の中に飛び込んだ。でも――」
長い沈黙。
風が彼の灰色の髪を揺らした。
「……間に合わなかった」
俺はぎゅっと目を閉じた。
「ミリアを抱き上げたとき。彼女の小さな手の中に。
……煎餅が、半分だけ、残っていた。
お父さんにお土産、と書いた紙に包まれて」
「……」
「ミリアは私を見て、最後にこう笑った――『お父さん、おかえり……』」
ベルフォードの肩が、震えた。
誰も、何も言えなかった。
アメリアの頬を、涙が伝っていた。
アイリーンは、口を両手で覆っていた。
アルテミスは、空を見上げて、唇を噛んでいた。
サラも、悲しそうに首を垂れていた。
俺の頬にも――涙がはらりと流れていた。
「……私は」
ベルフォードが、しわがれた声で続けた。
「王国を許せなかった。人間を許せなかった。彼らを皆、滅ぼしてやろうと誓った」
「……」
「自分の中の、すべての慈悲を捨てた。すべての優しさを捨てた。憎しみだけを燃料に自分を魔王に変えた」
「……」
「三百年。私は、ただ滅ぼすことだけを考えて生きてきた。
いや――『生きてきた』では、ない。
ただ、『存在し続けた』のだ。
愛するものが何もない、空っぽの体で――ただ、憎しみという燃料を絶やさぬように。それだけを、目的にして」
ベルフォードが、ようやく顔を上げた。
「だが――」
「……」
「お前たちを見ていて、思い出した」
彼の瞳が、わずかに光った。
「家族と過ごした、あの日々の温かさを。私はもう、戦う理由を見失っていた」
ベルフォードがふっと、力の抜けたように、笑った。
「私は……何のために、三百年、戦っていたのだろう。憎しみは、私の中で、もうとうの昔に燃え尽きていた。なのに、私はただ惰性で戦い続けていた。止め方を、忘れていたのだ」
俺はぐっと奥歯を噛んだ。
そして、彼の瞳をまっすぐ見て聞いた。
「……ベルフォードさん」
「……ああ」
「あんたの娘さんは。ミリアさんは」
「……」
「あんたに、復讐してほしかったと、思うか?」
ベルフォードの瞳が揺れた。長い、長い沈黙。
彼は首をゆっくりと、横に振った。
「……いや」
「……」
「あの子は、ただ――私と、もう一度煎餅を、一緒に食べたかっただけだろう」
俺は頷いた。
黙って頷くしかなかった。
風がふっと、吹いた。
空気がほんの少し、軽くなった気がした。




