第23話 決戦、黒霧の塔
昼。約束の時間。
黒霧の塔は森の奥、ぽっかりと開けた場所にひっそりと佇んでいた。
アルテミスの「漆黒の塔」のような、威圧的な巨大さはない。せいぜい五階建てくらいの、古い灰色の石の塔。でも、その塔は――明らかに空気が違った。三百年、ただここに佇み続けてきた、孤独の塔。
その入り口の前で、ベルフォードが静かに立っていた。黒い外套を風になびかせて。手には、ひびの入った杖。灰色の髪がわずかに揺れていた。
「……来たか」
ベルフォードの、低い声。
「ああ」
俺は答えた。
四人と一羽は、横一列に並んだ。
「では――始めようか」
ベルフォードが杖をゆっくりと、持ち上げた。
◇◇◇◇
最初の一撃は、アメリアだった。
「行くわよぉぉぉッ!」
彼女が地を蹴った。昨日とは、明らかに空気が違っていた。覚悟を決めた剣士の踏み込み。長剣が、銀の閃光を引いた。
「一段ッ!」
ガキィインッ!
ベルフォードの杖と、アメリアの剣が激突する。
昨日のように、剣が震える。が――。
「二段ッ!」
返す刀で、即座に、第二撃。
「三段ッ!」
そして、三撃目。
その三撃目を――ベルフォードは、わずかに後ろに退いて、避けた。
俺は息を呑んだ。
ベルフォードが退いた。
昨日は微動だにしなかった彼が、今日は退いた。
「ほう、肝が据わってきたな、剣士よ」
ベルフォードがふっと口元を緩めた。
「だが、私にはまだ届かぬ」
彼の杖が舞った。
黒い波動が、アメリアを襲う。
が――。
「火炎連弾、改!」
左から、アルテミスの火球の連射。
昨日とは、明らかに密度が違う。火球がベルフォードの波動と、空中でぶつかり相殺する。
「ほう、お前も本気か」
ベルフォードの外套の、裾がわずかに焦げる。
彼の頬に、初めて汗の粒が浮かんだ。
「……来たな、本気で」
俺はその光景を見ながら、心の中で考えていた。
今、必要なのは何だ。
昨日、ベルフォードが唯一感情を揺らした瞬間。
あれが鍵だ。
俺は必死で心の中で、それを思い描いた。
ごま入り。堅焼き。さっき、霧の中でベルフォードが見つめた、あの大きさ。あの形。
いや――もう一回り、大きく。
あの娘が抱えていたであろう煎餅と、同じくらいの温度と感触で。
「イマジナリースキル! いでよ――巨大な煎餅ッッ!!」
ぼんと空中に現れたのは――
巨大な煎餅!
ごま入り、堅焼き。表面に、香ばしい焼き目。
甘い、しょうゆの香り。
ふわりと、その香りが戦場に立ち込めた。
ベルフォードが――。
ぴくりと止まった。
彼の動きが、本当に止まったのだ。
昨日と同じ。「懐かしいな、これは」と呟いた、あの一瞬。でも、今日は――昨日よりも、ずっと長く止まっていた。
彼の瞳が揺れた。
大きく揺れた。
「……これは……これは、なんだ……」
ベルフォードがぽつりと、呟いた。
「お前は……なぜ、これを知っている……」
「……」
その瞬間。
「今だぁぁぁッ!」
アメリアが地を蹴った。
「一段ッ!」
ベルフォードの杖は、まだ煎餅の方を向いていた。
「二段ッ!」
彼がようやく反応した。が、遅い。
「三段ッッッ!!」
アメリアの剣の、三撃目が――ついに、ベルフォードの外套を切り裂いた!
ザザザザザザザザザッ!
彼の体に、初めて傷が刻まれる。黒い血が、ぽたりと地面に落ちた。
「ぐおっ……!」
ベルフォードが片膝をついた。杖を地面に突き立てて、辛うじて体を支えていた。俺たちは剣を構えたまま、ベルフォードに近づいていく。
でも――。
誰一人、止めを刺せなかった。
彼が片膝のまま、笑っていたからだ。
今日、初めて。
ちゃんと笑った笑顔で。
「……お前たち」
ベルフォードが顔を、上げた。
「なぜ、煎餅を?」
俺は息を、整えながら、答えた。
「あんたが昨日、『懐かしい』って言ったから」
ベルフォードの表情が、くしゃっと歪んだ。それは悲しみとも喜びとも、どちらともつかない複雑な表情だった。
「……勇者よ」
「ああ」
「……話を聞いてくれるか」
俺は剣を降ろした。
仲間たちも、武器を構えたまま――しかしゆっくりと降ろした。
「ああ。聞かせてくれ。あんたの話を」
黒霧の塔の前で。
灰色の霧が、わずかに薄くなっていた。
風が、わずかに湿った匂いを運んできた。
ベルフォードは目を閉じて……ぽつりと語り始めた。三百年前の話を。




