第21話 もう一度、森へ
その日の夜、皆が眠りについた頃。
俺は、こっそりと小屋を抜け出した。
月明かりが薄く、森を照らしている。霧はまだ少しだけ残っていたが、夜のせいか、それとも何か変化があったのか――不思議と進むことができた。
俺はベルフォードに、会いに行こうと思っていた。
なぜか分からない。ただ、会わなければならない気がしていた。
彼が呟いたあの言葉。
「懐かしいな、これは」――。
森の中の開けた場所。月光の落ちる小さな空き地に、俺は辿り着いた。そして、思わず息を呑んだ。そこにベルフォードが立っていたのだ。俺を待っていたかのように。
「……来たか」
ベルフォードがぽつりと言った。
彼の表情は、昼間とはわずかに違っていた。
戦う気はまったく感じられない。
ただ月光に照らされて、静かにたたずんでいる。
「……あんたが、待ってる気がしたんだ」
俺は答えた。
「ふっ」
ベルフォードが、初めてほんの少しだけ笑った気がした。
しばらく沈黙が流れる――
森の奥で、フクロウがほうほうと鳴いていた。
やがて、ベルフォードがぽつりと口を開いた。
「……あの煎餅、懐かしかった」
「……」
「昔――私の娘がよく作ってくれた」
俺の心臓が跳ねた。
「娘、さん?」
「ああ。もう、三百年も前のことだ」
「……」
「彼女は……その煎餅を持って、村の祭りに行っていた」
月の光が、ベルフォードの皺の刻まれた頬を銀色に照らしていた。俺は思わず、ポケットからあの手紙を取り出す。
「……これ」
俺は震える手で、それを差し出した。
「ミストムーアのとある家に、残されていた手紙だ」
ベルフォードは、月光の下で手紙を受け取った。
長い、長い沈黙。
彼は文字を追っていた。
時間がゆっくりと、流れていく。
やがて、ベルフォードが、手紙をぎゅっと握りしめた。その指先は震えている。
「……」
言葉はなかった。彼は空を見上げた。
俺は何も言えなかった。
ただ、その横で同じように空を見上げていた。
長い、長い時間が過ぎる。
やがて、ベルフォードがぽつりと言った。
「……勇者よ」
「……」
「私を、倒しに来るのなら――明日の昼。塔の前に立つがいい。今度こそ、私はお前たちを――本気で殺すかもしれぬが」
「……」
「もしくは――もう、私のことなど、忘れて去るがいい。どちらでも、お前たちの好きにせよ」
俺はベルフォードを、まっすぐ見た。
「……行く。明日、塔の前に立つ」
「……ふむ」
「あんたに、聞きたいコトがある。だから――行く」
ベルフォードは、しばらく俺を見つめていた。
そして、ふっと目を伏せた。
「……分かった。待っていよう」
彼は手紙をそっと、俺に返した。
「……これは、お前が持っていろ」
「……」
「お前なら、これをちゃんと扱える気がする」
ベルフォードは踵を返し、灰色の霧の中へと消えていった。
◇◇◇◇
小屋に戻ると、皆まだ眠っていた。
俺は起こさないように、入り口にしゃがみ込んで、静かに空を見た。
が、すぐに後ろで声がした。
「……どこ行ってたの」
アメリアだった。
全員、起きていた。心配で眠れなかったのだろう。
「ベルフォードに会ってきた」
「ええっ!?」
「明日の昼、塔の前で戦う。約束した」
全員が、息を呑んだ。でも、誰も止めなかった。
アメリアが長剣を、傍らから引き寄せ――そして、丁寧に布で磨き始めた。
「……分かったわ。私も行く」
「アメリア……」
「両親に顔向けできないもの。逃げるのはね」
「私も行きますわ」
アイリーンが頷いた。
「女神様にもね。それに、これは私たちの戦いですもの」
「私も、行くぞ」
アルテミスが、自分の折れたツノを撫でた。
「私はもう、過去の魔王じゃない。仲間として戦う」
「クワッ!」
サラも力強く鳴いた。
俺は深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐いた。明日の昼。俺たちは四人と一羽で、東の魔王に挑む。




