渇き
賑やか(?)な食事を終え、チエは例のソレを見据える。その厳しい視線に気付いたクリトはその先を追う。
そして、ソレが目に入った瞬間、警戒心が跳ね上がる。
「……それは?」
チエは無意識に視線を固定したまま、ソレを掴みあげる。
「この間の商談の結果さね。
ほら、受け取りな」
ぽい、と投げ渡されたそれを、クリトは片手で受け止める。見た目通り、意外なほどに軽かった
布をほどくと、中から現れたのは――
「……この古さだと、玻璃盃とか言うヤツか?」
装飾のない、くすんだガラスのような酌器。どこにでもありそうな、単純でありふれた形。だが妙に古めかしい。――そして、それ以上にやけに静かにそこに在る。
「これをあのケチな領主が?」
「そうさ。あのしつこい男からの“詫び”ってやつさね」
チエは自分のグラスに水を注ぎながら鼻で笑う。
「領主様ともなると、面子が第一だからねぇ」
「何したんだよ……」
「なぁに。ちょっとしたサプライズさ」
その”ちょっと”が怖いのだが、クリトは深く追及しない。
「この領地は、奥方のパトリシア様がいるからこその平穏だわ。
――あれはいい女だねぇ。ハゲは完全に手の平で転がされてるけど、気づいてないね」
「まじか……噂は聞いてたけど、ばあちゃんが褒めるほどか。」
チエは手をひらひらさせながら定位置の椅子に腰を下ろす。
「この世界はね、表に出るのは男でも、裏で回してるのは女さ。
覚えときな」
「身に染みてわかってるよ」
軽く受け流しつつ、クリトも自分のグラスに水を注ぐ。――妙に喉が渇いていた。
改めてその酌器を眺めた。
――やはり違和感が勝つ。古びているのに傷が少ない。そして何より、“静かすぎる”。
「……相棒」
腰に下げた剣に、小さく声をかける。
〈なに?〉
幼い声が、頭の中に直接響いた。
「これ、見てみろよ」
酌器を軽く掲げる。
〈……うん?〉
一瞬の沈黙。
〈あれ?
……なにも、聞こえない〉
クリトの眉がわずかに動いた。
「だよな?」
〈普通ならね、クリトにも聞こえなくても、僕にはどんな物でも”声”が聞こえるの。
なんと言っても僕は付喪神だもん。
だからね、どんなに新しくても、今日の記憶くらいはあるはずなのに……〉
そう言いながら、クリトの契約精霊は何度か呼びかける。
〈おーい?聞こえてる?〉
――反応は、ない。完全な沈黙。
クリトは器を指で弾く。乾いた音が冷たく室内に響くだけ。
〈生物と違って寝ているって事もないはずだし。“存在してる”なら、無反応な訳ないのに〉
「ふーん……」
クリトは棚から酒瓶を取り出し、酌器に注ぐ。
とくとく、と液体が満ちていく。――ただ、それだけ。変化は何もない。
当たり前のその姿に、しかし違和感のみが募っていく。
「……おいおい」
思わずクリトの口角が上がる。
「これ、当たりなんじゃね?」
〈……えっと、かなり変〉
クリトはゆっくりと息を吐き、鼓動だけが早くなる。
「魔術式は無し。だが、魔力も通らない……封印具か?――それとも別の何か、か?」
言葉を途中で切る。――面白い。久しぶりに、そう思えた。
「まぁ、今はいいか」
クリトは酌器をテーブルに置いた。妙な存在感を放つそれは、こちらを見ているかの様だった。
「ばあちゃん、これ調べるの明日でいいだろ」
「好きにしな。あたしはもう寝るよ」
チエは立ち上がり、軽く伸びをする。
「面白いことがあったら教えな。退屈は嫌いなんでね」
「了解」
しばらくして、屋敷は静寂に包まれた。ランプの火が、ゆらゆらと揺れる。
クリトは酌器を見つめている。なぜか、目を離してはいけない気がしていた。
「……なぁ」
〈うん〉
「やっぱ変だよな、これ」
〈うん〉
短い肯定。そして――
〈ちょっと、怖いかも〉
珍しく弱気な声だった。
夜半過ぎ、クリトは酌器を手元に置いたまま横になった。目を閉じても意識の隅にあの酌器がちらつく。
妙な感覚が消えない。見られているような、透明なはずの内側に、何かがいるような――。
やがて、微睡みの中。ふと、底に”線”が浮かんだ気がした。
それがすべての始まりになるとは、このときのクリトはまだ知らなかった。
――――
翌朝。爽やかなはずの朝の光が、薄汚れた窓から差し込む。今朝は妙に気怠るく、喉が渇いていた。
水差しに手を伸ばしつつクリトは目を開けた瞬間、視線のようなものを感じる。
テーブルの上――あの酌器。
「……夢じゃ、ないよな」
ゆっくりと起き上がり、腰に愛剣を下げる。
昨夜と何も変わらない。ただの古びた器。だが、確かに”何か”がいる。
〈クリト〉
相棒の声は、いつもより低かった。
〈それ、やっぱりおかしいよ。こんなの、ありえない〉
「わかってる」
クリトは酌器に手をかざし、改めて魔力を流し込む。
だが――やはり反応はない。
否。
「……反射がない、いや、もっとこう……?」
確かに、流したはずの魔力が”消えている”。
〈吸われてる……?〉
「余波もなし、術式もなし、痕跡もなしで?」
魔力を行使すると必ず”跡”が残る。残せるから術式の骨格を通して世界へ影響を与えられる。
だがこれは違う。“反応が無い”のではなく、“消えている”。
クリトは、流す魔力を一瞬だけ増大させる。そして小さく舌打ちする。
「ばあちゃん起こすか」
――その判断は、早かった。
クリトは、透明なはずの酌器の中に、何かが潜んでいるような気がしてならなかった。




