プロローグ
バサバサバサと、鳥の群れが飛び立つ。遅れて何本もの木が薙ぎ倒される音が響く。
「まいったね。思ったよりでかいな」
そう嘯くと、クリトは剣を鞘から抜く。黒く艶やかな異形を見上げながら口の端を上げる。
「まぁ、問題ない。
行くか、相棒」
〈うん!〉
剣に薄くオーラを纏わせ、ダラりと脱力する。相手は、黒死蟷螂。この群れの王と思われる、威風堂々とした巨大だ。
昆虫特有の無機質な瞳がクリトを見下ろす。威嚇するかの様に持ち上げられた腕には鋭い刃がびっしりと生えている。その鋭い腕が振るわれる度に、不可視の斬撃がクリトを襲う。それを殺気のみを頼りに避けながら、一歩一歩と近づいて行く。クリトの不敵な眼光は、その巨体を獲物と定めて揺るがない。
凶暴なだけなはずの化け物は、しかし気圧されたかのように後足を僅かに下げた。――直後、クリトは姿が掻き消えたかのように加速し、その頸節に刃を突き立てた。
偶然にもその瞬間に、ドォンと右側から唐突な熱波がクリト達を襲う。だがクリトは冷静に剣筋を描き切る。
絶命した巨大を疑うかのように残心するクリトに、木々の奥から声が届く。
「遅いよ、クリト。日が暮れちまうさね」
「そこまで時間かけてないだろ?」
ムスっとしながら振り向く先には、まだ燻る炎を背にした小柄の老女。クリトの師でもあるチエは普段“赤いの”と呼んでいる、独特すぎる形状の引き金のついた短杖で肩を叩きながらニヤついている。――しかし、指はトリガーにかけたまま、滾る殺気を隠そうともしない。
クリトは嘆息をつきながら、剣を下段に構える。直後足元に魔法陣が構築された。その姿は竜巻に包まれそうになるも、剣を振り抜くと足元の魔法陣は両断され、魔術は霧散した。しかし既にそこにクリトの姿は無く、チエが目を向けている先にクリトはいた。複数の魔術陣を構築している最後の一体の硬質なはずの胴体を斜めに両断し、長く息を吐く。
「遅え」
クリトが骸を見下ろしながら、残心を解く。
「ほんとさね。トロすぎておまえごと焼き払うとこだったよ。
精進しな、クリト」
チエは“赤いの”を送還し、やれやれと腰に手を当てる。
あたりは黒死蟷螂の焼ける匂いと薙ぎ倒され木を除けば、また静謐な森に戻りつつある。
それらを見渡したチエは、渇きを癒すため水筒に口を付ける。そして、ふと表情を変えた。
クリトは、その悪戯心に満ちた顔をみて、ロクな事にはならないと確信し、空を仰いだ。
……早く帰って飯食いたい。
――――
翌日。
チエは自室でまた同じ夢をみていた。
あまりに巨大。
だが、大きさそのものより、その存在を本能が拒絶する。
複数の頭を持つソレは、鎖に縛られ、鎖は一振りの太刀で封じられていた。
その姿に畏れを感じ、チエは言葉を溢してしまう。
――この場では、この存在の前では、ソレは音以上の意味を持っていた。
――否、持たせてしまった・・・・・・・・
「っ!!」
チエは肩で息をしながら、夢から飛び起きた。
よく覚えてはいない。だが、夢見が最悪だったことは確かだ。
ベッドから腕を伸ばし、水差しからコップへ注ぐ。
外を見ると、薄暗くなった空に残る不吉なほどに赤い雲。昼過ぎから少し横になるだけのつもりだったのだが、随分眠っていたらしい。
……どうも、胸の奥に言いようのないザラつきが残っている。
思えば、アレが手元に来てからのような気もする。
険しい顔で布につつまれたそれを睨む。
コップを煽り、喉の渇きを満たしていると、表から見知った気配が漂ってきた。
「帰ったぜ、チエばあちゃん」
ドアの音に続いて、快活な声が聞こえてきた。
「おや。おかえり、クリト。無事でよかったよ」
先程の思いに蓋をし、チエはベッドから安堵した顔を彼にむける。
「皮肉かそれ?
それより、飯だ。腹減った」
そう言って、クリトは厨房へ向かう。
「いつもすまないねぇ」
「“そいつは言わない約束でしょ?”だっけか?」
クリトは苦笑いをしながら手際よく調理を進めていく。
ここは、クリトとチエの拠点。孫のようにも見えるが血はつながっていない。
孤児だったクリトを引き取ったチエは、“万能の魔女”と謳われる凄腕の魔術師だ。
チエは、クリトの才能に出会い、そして育てた。クリトは剣の天才であり、また非常に稀有な精霊と契約を結んでいたからだ。
その天才剣士ことクリトは料理をささっと仕上げると、チエが横たわるベッド脇に椅子を寄せる。
「今日は海鮮にしたぜ。ばあちゃんも好きだろ?」
「クリトも料理の腕を上げたねぇ。これならいつでも一人立ちできるねえ」
「当たり前だろ?俺はすでにギルドではBランク、この領地の英雄だぜ?」
「……そうだったね。いままでいろんな子を育ててきたけど、お前だけはいつまでも親離れできないねぇ。おかげで、私もついつい甘えちゃっているよ。」
「……」
クリトは訝しげに視線を料理から、チエへ移す。
「ねぇ、クリト。
実は、お前にもまだ話していないことがある」
「……どうした、藪から棒に」
そう切り出したチエは、指輪型の魔道具から、一つの蓋の無い棺を取り出した。
「……ばあちゃん、“これ”は?」
「……そう。ヒトじゃない。
人造人間。
――あたしの、罪と罰さ。
クリト。済まない。あたしの財産も、知識も、秘密も、なにもかもをお前が好きにしていい。
だから、この娘の……。
――処分してくれないかい?まぁ、要するに、あたしと一緒に葬って欲しいのさ」
チエは、もう手の届かない時間を思い出すかの様に、ゆっくりと語り出した。それは、初めて聞くチエの過去だった。
「置いて来ちまった娘に、会いたい気持ちを抑えきれなかったのさ。
だから……娘を作った。
――それが禁忌だと、やってはいけなかったと、作ってから思い知ったよ」
クリトは黙って話を聞いていた。
いままで、ずっと育ててもらった。
魔道具の手解きもしてもらった。
冒険の心得も教えてもらった。
師匠であり、恩人であり、家族だった。
――だから、我慢しなかった。
「うるっせーぞ!婆ア!冷めるだろうが!」
「おま、この……えぇ?この流れはしんみりと話を聞くとこだろぉが!」
「俺は!腹が!減ってるんだ!
それに、婆アのそれは粥だぞ?冷めると、半端なく不味いだろうが!」
「このクソガキ!少しは老い先短い、か弱い老婆を労われ!」
「黒死蟷螂の群れを一撃で燃やし尽くす婆アの何処がか弱いんだ!?」
「あたしは病人だそ?!労われ!」
「その焼けた黒死蟷螂の肉なんか食うからだろうが!
医者が引いてただろうが!『えぇ……アレを、食べた?』って、普通は死ぬぞ?何腹壊したくらいで収まってくれたんだこの人外が!」
「あたしが人外なら一緒に食ってたお前もだろうが!」
「だから俺なんて!人体実験に呼ばれそうになったんだろうが!」
そんなシリアスになり切れない二人を、それは渇いたかのように見下ろしていた。




