沈黙する器と、赧い線
あまりに巨大。
だが、大きさそのものより、その存在を本能が拒絶する。
複数の頭を持つソレは、鎖に縛られ、鎖は一振りの太刀で封じられていた。
その姿に畏れを感じ、チエは言葉を溢してしまう。
――この場では、この存在の前では、ソレは音以上の意味を持っていた。
――否、持たせてしまった
「っ!!」
チエは肩で息をしながら、夢から飛び起きた。
よく覚えてはいない。だが、夢見が最悪だったことは確かだ。
ベッドから腕を伸ばし、水差しからコップへ注ぐ。
……どうも、胸の奥に言いようのないザラつきが残っている。
思えば、アレが手元に来てからのような気もする。
険しい顔で布につつまれたそれを睨む。
「帰ったぜ、チエばあちゃん」
ドアの音に続いて、快活な声が聞こえてきた。
「おや。おかえり、クリト。無事でよかったよ。」
先程の思いに蓋をし、チエはベッドから安堵した顔を彼にむける。
「あそこまで準備ができてんだ。攻略くらい楽勝だ。それより、飯だ。腹減った。」
そう言って、クリトは厨房へ向かう。
「いつもすまないねぇ」
「“そいつは言わない約束でしょ?“だっけか?」
クリトは苦笑いをしながら手際よく調理を進めていく。
ここは、クリトとチエの拠点。孫のようにも見えるが血はつながっていない。
孤児だったクリトを引き取ったチエは、“万能の魔女”と謳われる凄腕の魔術師だ。
チエは、クリトの才能に出会い、そして育てた。クリトは剣の天才であり、また非常に稀有な精霊と契約を結んでいたからだ。
その天才剣士ことクリトは料理をささっと仕上げると、チエが横たわるベッド脇に椅子を寄せる。
「今日は海鮮にしたぜ。ばあちゃんも好きだろ?」
「クリトも料理の腕を上げたねぇ。これならいつでも一人立ちできるねえ。」
「当たり前だろ?俺はすでにギルドではBランク、この領地の英雄だぜ?」
「……そうだったね。いままでいろんな子を育ててきたけど、お前だけはいつまでも親離れできないねぇ。おかげで、私もついつい甘えちゃっているよ。」
「……」
クリトは訝しげに視線を料理から、チエへ移す。
「ねぇ、クリト。
実は、お前にもまだ話していないことがある。」
「……どうした、藪から棒に。」
そう切り出したチエは、指輪型の魔道具から、一つの蓋の無い棺を取り出した。
「……ばあちゃん、“これ”は?」
「……そう。ヒトじゃない。
ホムンクルス。
――あたしの、罪と罰さ。
クリト。済まない。あたしの財産も、知識も、秘密も、なにもかもをお前が好きにしていい。
だから、この娘の……。
――処分してくれないかい?まぁ、要するに、あたしと一緒に葬って欲しいのさ。」
チエは、もう手の届かない時間を思い出すかの様に、ゆっくりと語り出した。
「娘に会いたい気持ちを抑えきれなかったのさ。
だから……娘を作った。
――それが禁忌だと、やってはいけなかったと、作ってから思い知ったよ。」
クリトは黙って話を聞いていた。
いままで、ずっと育ててもらった。
魔道具の手解きもしてもらった。
冒険の心得も教えてもらった。
師匠であり、恩人であり、家族だった。
――だから、我慢しなかった。
「うるせーぞ!婆ア!冷めるだろうが!」
「おま、この、えぇ?この流れはしんみりと話を聞くとこだろぉが!」
「俺は!腹が!減ってるんだ!
それに、婆アのそれは粥だぞ?冷めると、半端なく不味いだろうが!」
「このクソガキ!少しは老い先短い、か弱い老婆を労われ!」
「黒死蟷螂を一撃で燃やし尽くす婆アの何処がか弱いんだ!?」
「あたしは病人だそ?!労われ!」
「その焼けた黒死蟷螂の肉なんか食うからだろうが!
医者が引いてだろうが!『えぇ……アレを、食べた?』って、普通は死ぬぞ?何腹壊したくらいで収まってくれたんだこの人外が!」
「あたしが人外なら一緒に食ってたお前もだろうが!」
「俺なんて!人体実験に呼ばれそうになったろうが!」
賑やか(?)な食事を終え、チエは例のソレを見据える。その厳しい視線に気付いたクリトはその先を追う。
そして、ソレが目に入った瞬間、警戒心が跳ね上がる。
「……それは?」
チエは無意識に視線を固定したまま、ソレを掴みあげる。
「この間の商談の結果さね。
ほら、受け取りな」
ぽい、と投げ渡されたそれを、クリトは片手で受け止める。見た目通り、意外なほどに軽かった
布をほどくと、中から現れたのは――
「……この古さだと、玻璃盃とか言うヤツか?」
装飾のない、くすんだガラスの様な酌器。どこにでもありそうな、単純でありふれた形。だが妙に古めかしい。――そして、それ以上にやけに静かにそこに在る。
「これをあのケチな領主が?」
「そうさ。あのしつこい男からの”詫び”ってやつさね」
チエは自分のグラスに水を注ぎながら鼻で笑う。
「領主様ともなると、面子が第一だからねぇ」
「何したんだよ……」
「なぁに。ちょっとしたサプライズさ」
その”ちょっと”が怖いのだが、クリトは深く追及しない。
「この領地は、奥方のパトリシア様がいるからこその平穏だわ。
――あれはいい女だねぇ。ハゲは完全に手の平で転がされてるけど、気づいてないね」
「まじか……噂は聞いてたけど、ばあちゃんが褒めるほどか。」
チエは手をひらひらさせながら定位置の椅子に腰を下ろす。
「この世界はね、表に出るのは男でも、裏で回してるのは女さ。
覚えときな」
「身に染みてわかってるよ」
軽く受け流しつつ、クリトも自分のグラスに水を注ぐ。――妙に喉が渇いていた。
改めてその酌器を眺めた。
――やはり違和感が勝つ。古びているのに傷が少ない。そして何より、“静かすぎる”。
「……相棒」
腰に下げた剣に、小さく声をかける。
〈なに?〉
幼い声が、頭の中に直接響いた。
「これ、見てみろよ」
酌器を軽く掲げる。
〈……うん?〉
一瞬の沈黙。
〈あれ?
……なにも、聞こえない〉
クリトの眉がわずかに動いた。
「だよな?」
〈普通ならね、クリトにも聞こえなくても、僕にはどんな物でも”声”が聞こえるの。
なんと言っても僕は付喪神だもん。
だからね、どんなに新しくても、今日の記憶くらいはあるはずなのに……〉
そう言いながら、クリトの契約精霊は何度か呼びかける。
〈おーい?聞こえてる?〉
――反応は、ない。完全な沈黙。
クリトは器を指で弾く。乾いた音が冷たく室内に響くだけ。
〈生物と違って寝ているって事もないはずだし。“存在してる”なら、無反応な訳ないのに。〉
「ふーん……」
クリトは棚から酒瓶を取り出し、酌器に注ぐ。
とくとく、と液体が満ちていく。――ただ、それだけ。変化は何もない。
当たり前のその姿に、しかし違和感のみが募っていく。
「……おいおい」
思わずクリトの口角が上がる。
「これ、当たりなんじゃね?」
〈……えっと、かなり変〉
クリトはゆっくりと息を吐き、鼓動だけが早くなる。
「魔術式は無し。だが、魔力も通らない……封印具か?――それとも別の何か、か?」
言葉を途中で切る。――面白い。久しぶりに、そう思えた。
「まぁ、今はいいか」
クリトは酌器をテーブルに置いた。妙な存在感を放つそれは、こちらを見ているかの様だった。
「ばあちゃん、これ調べるの明日でいいだろ」
「好きにしな。あたしはもう寝るよ」
チエは立ち上がり、軽く伸びをする。
「面白い話があったら教えな。退屈は嫌いなんでね」
「了解」
しばらくして、屋敷は静寂に包まれた。ランプの火が、ゆらゆらと揺れる。
クリトは酌器を見つめている。なぜか、目を離してはいけない気がしていた。
「……なぁ」
〈うん〉
「やっぱ変だよな、これ」
〈うん〉
短い肯定。そして――
〈ちょっと、怖いかも〉
珍しく弱気な声だった。
その夜。クリトは酌器を手元に置いたまま横になった。目を閉じても意識は浅い。
妙な感覚が消えない。見られているような、透明なはずの内側に、何かがいるような――。
やがて、微睡みの中。ふと、底に”線”が浮かんだ気がした。
それがすべての始まりになるとは、このときのクリトはまだ知らなかった。
翌朝。爽やかなはずの朝の光が、薄汚れた窓から差し込む。今朝は、妙に気怠るい。
クリトは目を開けた瞬間、視線を感じる。
テーブルの上――あの酌器。
「……夢じゃ、ないよな」
ゆっくりと起き上がり、近づく。
昨夜と何も変わらない。ただの古びた器。だが、確かに”何か”がいる。
〈クリト〉
相棒の声は、いつもより低かった。
〈それ、やっぱりおかしいよ。こんなの、ありえない〉
「わかってる」
クリトは酌器に手をかざし、再び魔力を流し込む。
だが――やはり反応はない。
否。
「……反射がない、いや、もっとこう…?」
確かに、流したはずの魔力が”消えている”。
〈吸われてる……?〉
「余波もなし、術式もなし、痕跡もなしで?」
魔力を行使すると必ず”跡”が残る。残せるから術式の骨格を通して世界へ影響を与えられる。
だがこれは違う。“反応が無い”のではなく、“消えている”。
クリトは、流す魔力を一瞬だけ増大させる。そして小さく舌打ちする。
「ばあちゃん起こすか」
――その判断は、早かった。
「ほぉ」
チエは酌器を撫でながら目を細めた。
「なるほどねぇ」
「わかるのか?」
「さて、ね」
その口元は昨日のクリトそっくりに笑っている。
「あのハゲにしては、いいもの出したじゃないか。」
チエは椅子に腰を下ろし、酌器を軽く叩く。コン、と乾いた音。
「魔術式すら見えない、感じない、残らない。これは”隠してる”んじゃない。“成立してない”んだよ」
「成立してない?」
「本来あるはずの工程が、最初から存在してない。
……つまり、“魔術じゃない”」
クリトは眉をひそめる。
「じゃあなんだよ」
「さぁてね」
チエは肩をすくめた。
「ただ一つ言えるのは――“こいつは世界のルール、理からズレてる”ってことさね。」
その言葉に、わずかに空気が張り詰める。
〈……それって、まずいやつ?〉
「最悪で最高に面白いじゃないか」
チエはニヤリと笑った。
「で、魔力は?」
チエの問いにクリトは肩をすくめる。
「吸われた。ごっそり」
「量は?」
「……測ってない」
「はぁ……。バカだねぇ」
軽く頭を小突かれる。
「こういうのは”どれだけ食うか”が大事なんだよ。性質が見えるからね」
そう言うと、チエは指を鳴らす。
空間に、幾何学模様の魔法陣が展開された。幾重にも重なり、ゆっくりと回転する。
クリトは思わず息を呑む。
「……相変わらず、えっぐいな」
「ただ魔力をブーストさせているだけさね」
チエはなんでもない事の様にクリトに言う。
そして――
「いくよ」
膨大な魔力が、一気に酌器へ流し込まれる。
瞬間。空気が、空間が歪んだ。
クリトは思わず一歩下がる。
「……は?」
魔力が、飲まれていく。
ただ消えるのではない。“魔力という存在ごと削られている”ような不気味な感覚。
チエの魔法陣が、わずかに軋む。
「ほぉ……」
それでもチエは笑っていた。
「いいねぇ。これは”底”があるタイプか」
「底?」
「無限に吸うわけじゃない。
――どこかで”満ちる”」
その瞬間だった。
酌器の底から――赧い線が立ち上がる。
「……出たね」
チエの声が、わずかに低くなり、クリトが息を飲む。
線は、ゆっくりと空間を侵食するかのように伸びていく。
既に器の内側ではない。“中にある空間”が膨張している。
〈なに、これ……〉
相棒の声が震える。
クリトは目を細め、自身の本能が最大級の警報を発している事を自覚する。
「……裂け目か?」
線が、わずかに”開いた”。
その瞬間、ゾクリと背筋が凍る。
覗いてはいけない何かを見てしまったような、何かに見つけられてしまったような感覚。
チエが、魔力の供給を止める。
ピタリ、と線の動きが止まった。
数秒の静寂。
やがて、線はすっと消えた。
何事もなかったかのように。
「……はぁ」
チエが息を吐く。
「確定だね」
「何がだよ」
ずれてもいない眼鏡を直し、チエはクリトに向き合う。
「これは”入れ物”じゃない。“入口”だ」
クリトが無意識に喉を鳴らす。
「どこへのだよ?」
チエは、にやりと笑った。
「さぁてね。地獄か、神の庭か、それとも――」
わざと間を置く。
「“伝説の残骸”か」
その言葉に、相棒が小さく息を呑む。
〈……やめてよ、そういうの〉
「いいじゃないか。ワクワクするだろ?」
チエは立ち上がりドアへ向かう。
「さて、準備するよ」
「準備?」
「決まってるだろ」
チエは振り返り、楽しそうに言った。
「“中身”を見に行くんだよ」
その目は、完全に魔女のそれだった。
だが、準備は行われなかった。なぜなら直後に酌器が爆ぜ、赧い裂け目が立ち上がったのだから。
赧い線は、静かにそこにあった。それは、まるで世界に刻まれた傷のようだった。
「……来るよ!」
チエの声が、わずかに低くなる。
次の瞬間。線が開いた。
音はなかった。ただ、空間が”ずれた”。
「っ、ばあちゃん!」
「腹くくりな!」
飛び下がろうと、だが、遅い。溶けるように、二人の身体は裂け目へと吸い込まれる。
〈クリト!〉
相棒の声が遠くなる。
気づけば――そこにいた。
真っ暗だった。光がないのではない。“意味がない”暗闇。足場はないはずなのに、立っている感覚だけがある。
隣にチエがいる。少し離れた場所に、砕ける前のあの酌器。
「……なんだい、ここは」
チエが呟く。その声に、わずかな”迷い”が混じっていた。
クリトの喉が鳴る。
「ばあちゃんでも、わからねぇのかよ」
「わからんね」
今度は即答だった。
唐突にひび割れる音がした。反射的に視線を向ける。音源は酌器だ。細い亀裂が走り、次の瞬間には内側に潰れ、砕け、溶ける。
そこから現れたのは――影。巨大な、何か。
「……おい」
クリトの声がかすれる。影が、形を持つ。うねる胴体。鱗。ぬらりとした質感。そして――首。
一つ。二つ。三つ。四つ。まだ増える。五つ。六つ。七つ。八つ。
クリトは言葉を失った。
「……蛇、か……?」
だが、それは”蛇”という言葉で収まる存在ではなかった。
あまりに巨大。だが、大きさそのものより、その存在を本能が拒絶する。
複数の頭を持つソレは、鎖に縛られ、鎖は一振りの太刀で封じられていた。
その姿に畏れを感じ、チエは言葉を溢してしまう。
「……八岐大蛇」
――この場では、この存在の前では、ソレは音以上の意味を持っていた。
――否、持たせてしまった。
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