第31話 計画と土の神殿
ーーーー タカミザワの計画① ーーーー
五月中旬。
放課後の図書館。
窓の外では、柔らかな春風が木々を揺らし、夕暮れ前の陽光が床へ長い影を落としていた。
そんな穏やかな空間の中——。
タカミザワだけは、一人静かに机へ向かっていた。
机一面に広げられた紙束。
地図。
路線図。
宿泊費の計算。
食料の内訳。
そして、びっしりと書き込まれた数字。
「……旅費は、十分に貯まったな」
小さく呟く。
現在の所持金。
三十万エル。
四人で二十日間。
それが、タカミザワの導き出した理論上の最低ラインだった。
飛空挺は使わない。
移動は基本、陸路。
宿泊もホテルではなく、野営用テント。
食料品も最低限。
衣類も必要最小限に抑える。
水はスコールの水魔法で確保。
洗濯や衛生面は、簡易的な生活魔法で代用。
限界まで切り詰めた旅程。
だが——。
「問題は、そこじゃない」
タカミザワは椅子に深く腰を掛け、静かに額へ手を当てた。
ミロク。
本来ならば、ここにいたはずの存在。
しかし今、そのポジションにはユンがいる。
「……どうしたものか」
珍しく、思考が詰まる。
ミロク達なら問題は無かった。
ケイタロウも。
スコールも。
ミロクも。
家庭環境は比較的放任主義。
多少の外泊や遠出なら、なんとでも誤魔化せた。
だが——。
ユンは違う。
女の子だ。
親が簡単に、子ども達だけの長期旅行を許可するとは思えない。
まして行き先は砂漠地帯。
危険も多い。
「だからと言って、今更ミロクを連れ戻すのも都合が良過ぎる……」
タカミザワは小さく舌打ちした。
土の神殿攻略予定日は、夏休み。
現在は五月中旬。
残された時間は、あと二ヶ月しかない。
「……大人の力が必要かもしれないな」
その呟きには、自嘲が混じっていた。
“大人”。
タカミザワが最も信用していない存在。
魔法という概念すら一般化していないこの世界で、子ども達だけの砂漠遠征に協力する大人などいるのか。
否。
それは、夢物語に近い。
仮に幻術魔法で大人に変装したとしても、身分証が無ければ意味がない。
闇魔法による洗脳も危険だった。
精神干渉は成功率が低く、対象の人格を破壊する恐れがある。
そして——。
「転移魔法は論外だな」
タカミザワの脳裏に、一匹のマウスが過ぎる。
試作段階の転移術式。
転移成功率、三割未満。
成功しても、肉体構造が維持できない。
転移先で“粉末”になった実験体を思い出し、
タカミザワは静かに目を閉じた。
「いずれも、現実的ではない……か」
弱音。
それは、滅多に口にしない類の言葉だった。
静かな図書館。
紙をめくる音だけが響く。
その時だった。
机の端に積まれていたプリントが、
一枚だけヒラリと床へ落ちる。
「……ん?」
タカミザワは気怠そうに腰を屈め、
その紙を拾い上げた。
何気なく視線を落とす。
次の瞬間——。
丸メガネの奥の目が、僅かに見開かれた。
「……これは」
そこに書かれていたのは。
『夏季国内修学旅行 行き先アンケート』
一瞬の静寂。
そして、
タカミザワの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「……なるほど」
学校行事。
教師引率。
保護者承諾済み。
大人数移動。
合法的な長距離遠征。
全ての問題を、一度に解決できる。
「クク……」
小さく笑う。
今まで閉ざされていた道が、
一気に開けた感覚。
「使えるな……これは」
夕陽が、タカミザワの横顔を赤く照らす。
その目には、確かな確信が宿っていた。
土の神殿。
そこへ辿り着く計画は——。
タカミザワの想像よりも、
遥かに早く現実になろうとしていた。
ーーーー タカミザワの計画② ーーーー
数日後の夕方。
終礼前の教室は、珍しく騒がしかった。
「あそこ行きたい!」
「絶対、海のある場所がいいって!」
「いや、温泉旅館だろ普通!」
子ども達が机を囲みながら、
好き勝手に盛り上がっている。
話題は一つ。
——“二年生合同修学旅行”。
ミロク達の通う小学校では、二年生、四年生、
六年生の計三回、夏休みの前に修学旅行が行われる。
それは子ども達にとって、
数少ない特別なイベントだった。
そんな浮ついた空気の中、
一人だけ、静かに座っている少年がいた。
丸メガネ。
タカミザワだ。
「……珍しいな」
後ろから、ケイタロウが声を掛ける。
「てっきり、お前こういうの興味ないかと思ってた」
率直な感想だった。
合理主義。
感情より効率。
タカミザワは、そういう人間だ。
旅行や遊びに興味を示すタイプではない。
だが——。
「興味なんぞ無い」
タカミザワは即答する。
「だが、“利用価値”があるなら話は別だ」
丸メガネのレンズが、夕陽を反射して鈍く光る。
「……?」
ケイタロウは首を傾げる。
だが、教室の時計を見て慌てた。
「やべ、もう先生来るじゃん」
「じゃ、また後でな」
慌ただしく自分の席へ戻っていく。
それとほぼ同時に。
ガララッ——。
教室の扉が開いた。
「それでは、終礼を始めます」
シロガネ先生が教室へ入ってくる。
生徒達が一斉に席へ着いた。
日直の挨拶。
今日の出来事の報告。
明日の当番決め。
いつも通りの、何気ない終礼。
そして——。
「最後に、先生から修学旅行についてのお話があります」
その瞬間。
教室の空気が一気に沸き立つ。
待ちに待った発表。
シロガネ先生は一枚の紙を取り出した。
「先日回収したアンケートを集計した結果、修学旅行の行き先が決定しました」
アンケート。
親が希望する行き先を書き、
最終的に多数決で決まる仕組み。
宿泊日数や予算は学校側が調整する。
普通ならば——。
たった一人の意志で、
結果が変わる事などあり得ない。
だが、
タカミザワには“勝算”があった。
「五泊六日で——」
一瞬の間。
「行き先は、“モロク自治区”のリゾート地に決定しました」
——その瞬間だった。
「うおおおお!!」
「マジか!?」
「やったぁぁぁ!!」
教室中が歓声に包まれる。
モロク自治区。
フロンティア国でも有数の観光地。
海沿いの大型リゾート。
比較的治安も良く、修学旅行先としても人気が高い。
当然、子ども達が喜ばない訳がない。
そして——。
タカミザワにとっても。
五泊六日。
その猶予があれば、土の神殿攻略は十分可能。
完璧だった。
だが、その一方で——。
「えぇ〜!!」
「ミョルニル山脈の温泉旅館が良かったのに〜!」
不満の声も飛び交う。
ミョルニル山脈温泉旅館。
国内でも屈指の人気観光地。
本来ならば、そちらが選ばれていてもおかしくなかった。
——だが。
選ばれなかった。
なぜなら、
タカミザワが、“細工”をしたからだ。
プリント回収日。
千里眼で保管場所を把握し、
夜中、学校へ侵入。
そして——、
“修正魔法”で、アンケートの記述を書き換えた。
半数以上の票を。
“モロク自治区”へ。
それだけ。
たったそれだけで、
二年生全員の修学旅行先は決まった。
誰にも気付かれず。
誰にも疑われず。
「……計画通り」
タカミザワの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
教室中が歓喜に包まれる中。
ただ一人だけ、
別の意味で、この結果を喜んでいた。
そしてまた——、
タカミザワの計画が、一歩前へ進み始める。
ーーーー タカミザワの計画③ ーーーー
五月の風が、図書館の窓を静かに揺らしていた。
放課後。
西日が差し込む図書館は、どこか暖かく、それでいて少しだけ寂しい空気に包まれている。
その空間にいるのは、ミロクを除いた三人。
窓際ではスコールが、剣術の教本を片手に静かに頁を捲っている。
そして中央の席では、タカミザワが机に肘をつきながら、いつものように資料を広げていた。
「なぁ…」
沈黙を破ったのは、ケイタロウだった。
椅子にだらりと腰掛けたまま、じっとタカミザワを睨む。
「絶対、何かしただろ?」
疑いの眼差し。
だが、それは当然だった。
今回の修学旅行。
行き先が発表される前までは、圧倒的に人気だったのは“ミョルニル山脈温泉旅館”。
逆に、“モロク自治区リゾート”は去年の砂嵐災害の影響で、未だ復興途中。
普通に考えれば、修学旅行先として選ばれるはずがない。
だからこそ、違和感がある。
「ふん…」
タカミザワは鼻を鳴らす。
「俺が何をしたと?」
相変わらずの無表情。
だが、その口元だけが、僅かに歪んでいた。
ケイタロウは言葉に詰まる。
証拠がない。
タカミザワが裏で何かをした。
そんな気はしている。
だが、“した”と断言できる材料が何もない。
「……まぁいいけどさ」
ケイタロウは頭を掻きながら、視線を逸らす。
すると、タカミザワが静かに続けた。
「だが、結果オーライだろ?」
丸メガネの奥で、瞳が細まる。
「おかげで、土の神殿にも向かいやすくなった」
「それに、学校側も魔法教会側も、メンツが潰れない」
スコールが教本から顔を上げる。
タカミザワは淡々と説明を続けた。
「モロク自治区は、今も災害復興中だ」
「学校側は支援活動を行っているし、理事長——つまり俺の愚父も、魔法教会から復興支援金を出している」
「そんな状況で、生徒達が修学旅行に来る」
「復興支援のアピールとしては、これ以上ない材料になる」
政治。
世間体。
大人の都合。
子どもの修学旅行とは思えないほど、様々な思惑が絡んでいる。
「……そうかもだけど」
ケイタロウは納得しきれない顔で呟く。
そんな彼を見ながら、タカミザワはふと窓の外へ目を向けた。
夕日が、ガラス越しに赤く滲んでいる。
「モロクの海は綺麗だそうだ」
突然、話題が変わる。
「予定では、海やプールでの遊泳時間も多いらしい」
「港区では、新鮮な魚も毎日水揚げされているそうだ」
その瞬間。
ケイタロウの眉が、ぴくりと動いた。
海。
魚。
その単語だけで、分かりやすく反応してしまう。
「……マジ?」
「マジだ」
即答。
隣ではスコールも小さく頷いていた。
「悪くないな」
「だろう?」
タカミザワの口元が、僅かに吊り上がる。
ケイタロウは腕を組みながら唸る。
「海かぁ……」
「……確かに、それはちょっと楽しそうかもな」
ついに肯定した。
その反応を見て、タカミザワは静かに笑う。
全部。
最初から計算済み。
疑われようが、責められようが構わない。
目的に辿り着く為ならば、利用できるものは全て利用する。
それが、タカミザワという人間だった。
ーーーー 土の神殿攻略前 ーーーー
六月。
フロンティア国は、梅雨の季節を迎えていた。
修学旅行初日。
朝から降り続く雨が、校舎の窓を細かく叩いている。
そんな灰色の空の下、子ども達は送迎バスへと乗り込み、飛空挺乗り場へ向かっていた。
「眠ぃ〜……」
欠伸混じりにケイタロウが窓へ頭を預ける。
「まだ朝だぞ……」
その隣で、スコールも眠たそうに目を擦る。
ミロクはというと、窓に張り付きながら外を眺めていた。
いつもの街並み。
見慣れた景色。
それが少しずつ遠ざかっていく。
修学旅行。
その響きだけで、胸が高鳴っていた。
やがて飛空挺乗り場へ到着し、生徒達は列を作って搭乗していく。
巨大な飛空挺。
白銀色の船体は雨粒を弾き、鈍く光を反射していた。
「すげぇ……」
思わず、ミロクが声を漏らす。
何度か遠目で見た事はある。
だが、乗るのは初めてだった。
飛空挺がゆっくりと浮上する。
重低音。
微かな振動。
そして、窓の外の景色が徐々に小さくなっていく。
「おぉぉぉ……!」
子ども達の歓声。
やがて飛空挺は雨雲を突き抜けた。
その瞬間。
窓の外に、眩しい陽光が広がる。
灰色だった世界が、一気に青へ変わった。
「晴れてる……!」
ミロクが目を輝かせる。
さらに数時間。
東区から南へ。
退屈し始めた子ども達は、席を立って騒いだり、カードゲームを始めたりしていた。
ミロク達も例外ではない。
「うわっ、またババ引いた!」
「ミロク弱すぎだろ!」
「お前ら、声がでかい」
ケイタロウとスコールが笑い合い、ミロクがむくれる。
そんな時間を過ごしているうちに——。
ふと、窓の外の景色が変わった。
黄色。
そして、青。
どこまでも続く砂漠と海。
その二色だけが、世界を埋め尽くしていた。
「……すげぇ」
ケイタロウが呟く。
モロク自治区。
フロンティア国南部に位置するその土地は、本土よりも早く夏が訪れる。
空は高く。
海は青く。
砂漠の熱気が、飛空挺の窓越しにすら伝わってくるようだった。
そして——。
飛空挺が着陸する。
空港の外へ出た瞬間。
灼けるような陽射しが肌を刺した。
乾いた熱風が吹き抜け、砂の匂いを運んでくる。
「やっと着いたぜ〜!」
ケイタロウが大きく背伸びをし、
肺いっぱいに、熱い空気を吸い込む。
「日差しが強いな」
「遮光魔法の術式を構築しなければ」
タカミザワは日傘を差しながら、相変わらず冷静だった。
その視線の先には、復興途中の街並み。
建設中のビル。
走り回る作業車。
補修途中の道路。
災害の爪痕は、今も確かに残っている。
だが、それでも。
海沿いに並ぶ建物や南国風の街並みは、どこか華やかで、美しかった。
「なんか、ちょっとボロくね?」
「期待してたのに〜」
後ろでは、一部の生徒達が不満を漏らしている。
悪気はない。
ただ、子どもだからこその無邪気な本音。
その横を、観光客達が何事もないように通り過ぎていく。
しばらくすると、送迎バスが到着した。
「それでは皆さん、これから宿泊先へ向かいます」
シロガネ先生の声に、生徒達が次々とバスへ乗り込む。
もちろん、ミロク達も。
そして——数十分後。
バスが停車した先で、子ども達は言葉を失った。
目の前に建っていたのは、巨大なリゾートホテル。
三十階建て。
白を基調とした外壁に、ガラス張りの高層構造。
青空を反射して、まるで海そのもののように輝いている。
「え……」
「うそだろ……」
さっきまで文句を言っていた生徒達も、ぽかんと口を開けていた。
普通の修学旅行では、絶対に泊まれない。
それほどの高級ホテル。
だが今回は違う。
復興支援。
学校。
魔法教会。
様々な“大人の事情”が絡み合った結果、モロク自治区側から特別待遇が用意されたのだ。
「す……すげぇ」
「本当にここ泊まるのか?」
ケイタロウも、ミロクも呆然としている。
スコールに至っては、完全に固まっていた。
そんな中。
ただ一人だけ、冷静な少年がいる。
「土の神殿——」
タカミザワが静かに口を開く。
「本来の目的を忘れるなよ?」
丸メガネの奥の瞳が、三人を見据える。
「土の神殿の攻略が早く終われば、遊べるんだろ?」
ケイタロウがニヤリと笑う。
「だったら、さっさと片付けるか!」
「早くリゾート満喫したいしな」
スコールも珍しくやる気だった。
その横で、ミロクだけが少し不安そうに俯く。
「僕は……力になれるかな……?」
弱々しい声。
すると、タカミザワは即座に返した。
「大丈夫だ」
「それに今回は、“ユン”がいる」
余裕の表情。
前衛。
後衛。
補助。
戦力バランスは整っている。
「自由行動は三日分ある」
「今までの神殿攻略は、二日も掛からなかった」
タカミザワは丸メガネを押し上げる。
「今回は、余裕だ」
その言葉を聞き、ミロクの表情から少しだけ不安が消えた。
——余裕。
その単語だけが、脳裏に静かに残る。
だが。
その“余裕”が、本当に正しいものなのか。
この時の彼らは、まだ知らなかった。




