109話 孤独の記憶と精霊の導き
リーゼンバーグ家が涙ながらに抱き合う姿を見届けながら、カイルの胸には熱い感動とともに、冷えた刃のような感傷が突き刺さっていた。
カイル・ローゼンベルクは、長く天涯孤独の身であった。
かつて王家を蝕んだ呪いの余波を受け、両親を早くに亡くし、祖父母も既にこの世にはいない。そして、彼の記憶の奥底に澱のように沈んでいる、最も痛切な記憶――。
彼にはかつて、共にこの北の地を駆けた双子の妹と弟がいた。しかし、十数年前の魔物氾濫の折、混乱の中で行方不明となり、以来、生死すら分からぬまま歳月だけが過ぎ去っていたのである。
「……アリー。君たちが羨ましいな」
ふいに漏れた独り言を隠すように、カイルは一同を促した。
本来ならば、城の心臓部である真の執務室へ他者を招き入れることなど、辺境伯としてあってはならない。
しかし、アリアを娶って数年。二人の子供にも恵まれ、リーゼンバーグの一族とはすでに分かちがたい家族としての絆を築いている。
加えて、強力な魔力を宿す彼らが城に集まったことで、城の深層を流れる水脈が、アリアの魔力と共鳴して激しく脈打ち始めていた。
この水脈の昂ぶりを鎮め、家族を真に迎える場所はここしかない。
カイルは北の守護者としての本能、そして何より愛する妻の家族を信じ、あえて禁忌を解いた。
「立ち話もなんだ。執務室にある井戸へ案内しよう。あそこは、この領地で最も魔力が安定した場所だ。家族となった君たちならば、水脈も歓迎するだろう」
一行を連れ、カイルが執務室の奥、魔力の井戸へと足を踏み入れたその時であった。
井戸から溢れ出す濃密な魔力が、かつてないほど激しく波打ち、黄金色の火花を散らした。
「……? 水脈が、共鳴している?」
カイルが驚愕し、井戸の縁に手を触れた瞬間、井戸の底から眩い光とともに、見たこともないほど高位の精霊たちが姿を現した。
精霊たちの加護を一身に受け、光の渦の中からゆっくりと歩み寄ってきたのは、この世のものとは思えぬほど清浄な気配を纏った二人の男女であった。
「兄様……。ようやく、この声が届く距離まできてくれたのですね」
鈴を転がすような声で囁いたのは、全身に精霊の祝福を纏った女性であった。その傍らには、妖精王の加護を受けた精悍な顔立ちの青年が立っている。
カイルは息を呑んだ。
男性の瞳は、自分と同じ峻烈な意志を宿した黒曜石。女性の顔立ちは、亡き母アンジェリカの面影を色濃く残している。
「お前たち……テオ、そしてルナなのか……?」
それは、行方不明となっていたカイルの弟と妹であった。
二人の語るところによれば、あの魔物氾濫の日、幼かった彼らは精霊王と妖精王にその資質を見出され、人跡未踏の聖域の森へと連れ去られたのだという。
人としての理を離れ、精霊たちの寵児として守られ育てられてきた二人は、カイルが無色の聖女であるアリアと結ばれ、水脈の淀みが晴れた今、ようやくこの井戸を介して現世へと戻ることが叶ったのである。
「生きて……生きていてくれたのか」
鋼の理知を誇ったカイルの頬を、熱い涙が伝い落ちた。
アリアがそっとカイルの背に手を置き、その喜びを分かち合う。
数年前にアリアと出会い、子供たちを授かり、そして今日リーゼンバーグ家の再会を見守っていたカイルが、図らずも自分自身の最後の欠片を取り戻した瞬間であった。
エルヴァンや現当主ゼノもまた、この奇跡的な邂逅に目を見開いた。
漆黒の髪のリーゼンバーグ家と、精霊の光を纏ったローゼンベルク家。
二つの一族が、魔力の井戸という城の心臓部で完全に溶け合い、手を取り合う。
「兄様、もう私たちはどこへも行きません。この北の地を、兄様とアリア義姉様と共に守り抜くために帰ってきたのですから」
妹ルナの言葉に、カイルは力強く頷いた。
かつて天涯孤独だった辺境伯は、今、愛する妻と子供たちだけでなく、失われたはずの弟妹さえも手に入れた。
無色の聖女、秩序、さらに精霊の守護。
アルカディアス王国の北方は、名実ともに強固な、愛と魔力の絆によって結ばれたのである。




