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宵待保育園 真夜中の運動会  作者: もちむぎ


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第六章 そっち、駐車場!

# 第六章 そっち、駐車場!


 大きな赤い玉が、出発線へ運ばれてきた。


 いわおは、その前へ立った。


 小吉も隣へ並ぶ。


 二人とも、黙って見上げた。


「……前が見えない」


 小吉が言った。


「ぼくも」


 いわおが答える。


 玉は、二人の頭より高かった。


 悠斗は横へ回り、コースの先を指した。


「あそこに黄色い旗があるだろ。玉を転がして、旗を回って戻ってくる」


「旗、ない」


「玉の横から見ろ」


 小吉が顔を出す。


 いわおも反対側から顔を出した。


「あった」


「帰ってくるのは、この線だ。駐車場でも観覧席でもないからな」


 小吉は出発線を見下ろした。


「ここ」


「そう。二人で一緒に押すんだぞ」


「押せる」


 いわおが玉へ両手を当てた。


 少し力を入れる。


 赤い玉が、ぐっと前へ動いた。


「まだ始まってない!」


 悠斗が慌てて押し戻す。


 小吉も両手を当てた。


「ぼくも押せる」


「分かったから、今は押すな!」


 玉の向こうで、白銀先生が微笑んだ。


「頼もしいですね。ただ、力任せに押すだけでは勝てませんよ」


「分かってます」


 悠斗は答えた。


 分かってはいる。


 しかし、瑞雲の出発線を見ると、少し言い返したくなった。


 青い玉の後ろに、大入道の子とガシャ髑髏の子が立っている。


 大入道の子は、大きな頭を少し傾けて、旗の位置を確かめていた。


 ガシャ髑髏の子は、長い骨の腕で玉の上へ手を置いている。


 二人とも、玉の向こうがよく見えていた。


「あっちは上から見えるんですね」


「背の高さも、それぞれの持ち味ですから」


 白銀先生が答える。


 悠斗は赤い玉の後ろへ目を戻した。


 小吉といわおは、完全に隠れている。


「いるか?」


「いる」


「いるよ」


「よし。途中でも、たまに横から前を見ろよ」


「押してるときも?」


「押してるときこそだ」


     ◇


 観覧席では、小吉の母親がカメラを構えていた。


 玉の右側から、小さな手だけが見えている。


「小吉君、どちらですか?」


 めめの母親が尋ねた。


「右です。たぶん」


「右に出ているのは、うちの子の手ですね」


 いわおの父親が言った。


「あ、じゃあ左が小吉です」


 左から、白い髭が少し出た。


 母親は笑いながら、カメラを向け直した。


「去年は、人が大勢いるところへ連れていくだけで泣いていたんです」


 いわおの父親が、赤い玉を見た。


「うちも、大きな音がするとすぐ壁になってしまって」


「今日は、お友達と競技に出てるんですね」


 きゅうの母親が言った。


 小吉の母親はうなずいた。


 カメラを持つ手を、もう一度握り直す。


「いわお君、小吉、頑張って!」


 赤い玉の両側から、手が一本ずつ上がった。


「両手を離すな。転がるぞ」


 悠斗が言うと、二本の手はすぐに引っ込んだ。


     ◇


「よーい、始め!」


 笛が鳴った。


 いわおの肩が、一度だけ跳ねた。


 足へ重さが集まる。


 いわおは自分の足を見た。


「いわお?」


 小吉が呼ぶ。


「……大丈夫」


 いわおは玉へ手を置き直した。


「押すよ」


「うん」


 二人が押した。


 赤い玉が勢いよく転がった。


「速い!」


 きゅうが立ち上がる。


 玉の下から、短い足が二組見えていた。


 小吉の足が、忙しく動く。


 いわおの足も、その隣で地面を蹴っている。


 青い玉より、少し先へ出た。


「いいぞ、そのまま!」


 悠斗が声を上げた。


 赤い玉は、そのまま進んだ。


 まっすぐではなかった。


 少し右へ向く。


 さらに右へ曲がる。


 黄色い旗から離れ、運動場の端へ向かっていく。


「右へ行きすぎ! 左だ、左!」


 玉の後ろから、小吉の声がした。


「ぼくの左?」


「お前の左以外に何がある!」


 いわおの足が、一度止まった。


 小吉の足は止まらない。


 玉がさらに曲がる。


「そっち、駐車場ー!」


 悠斗が叫んだ。


 駐車場を区切る白いロープの手前には、競技係の職員が立っていた。


 その向こうで、小吉の母親が思わず手を振る。


「小吉、こっちじゃないよ!」


 玉の左側から、小さな手が出た。


 母親へ振り返す。


 玉は転がり続けた。


「返事しながら来るな!」


 悠斗はコースの外を走った。


「二人とも、一回止まれ!」


 小吉といわおが手を離す。


 玉だけが、少し先まで進んだ。


 二人は追いかけ、もう一度手を当てた。


 ようやく止まる。


 白いロープまでは、まだ距離があった。


 悠斗は肩で息をしながら、黄色い旗を指した。


「お前ら、何を見てた?」


「玉」


「赤い玉」


「それはもう分かっただろ。旗を見ろ!」


 二人が横から顔を出す。


 黄色い旗は、ずっと左にあった。


「遠くなった」


「お前らが遠ざかったんだよ!」


     ◇


 青い玉は、もう旗を回っていた。


 大入道の子が前を見て、ガシャ髑髏の子へ何かを伝えている。


 長い腕が玉の側面を押した。


 二人の足が揃い、青い玉が出発線へ戻っていく。


 小吉は、その背中を見た。


「負ける」


「まだ終わってない」


 悠斗が言う。


「もう戻ってる」


「お前らも、旗を回って戻る。途中で帰ったら、競技が終わらないだろ」


 小吉は玉へ向き直った。


 いわおが、小吉の顔を見る。


「ぼく、押しすぎた?」


「ぼくも押した」


「右へ行った」


「二人で行った」


 小吉は少し考えた。


「横から見る」


「ぼくも?」


「二人とも見たら、押せない」


 いわおは玉を見た。


 それから、小吉を見る。


「じゃあ、ぼくが押す」


「ぼくが見る」


 小吉は玉の左側へ回った。


 横からでも手が届くところへ、両手を置く。


 顔を外へ出すと、黄色い旗が見えた。


「こっち」


「どっち?」


「……少し左」


 いわおが押す。


 赤い玉がゆっくり動いた。


「行きすぎ。まっすぐ」


「まっすぐ」


 小吉も押す。


 今度は、同じ方向へ進んだ。


 悠斗はコースの外で足を止めた。


 観覧席から声がする。


「そう、そっちだよ!」


「旗まで、あと少し!」


 小吉の母親だけではなかった。


 めめの両親も、こはくの母親も、二人の名前を呼んでいた。


 大河の父親が両手を口へ当てる。


「いわお君! 小吉君! そのままだ!」


 いわおの肩がまた少し跳ねた。


 父親は慌てて、両手を下ろした。


「……そのまま」


 今度は小さく言った。


 隣のいわおの父親が、笑ってうなずいた。


     ◇


 瑞雲の旗が上がった。


 青い玉が先に線を越えたのだ。


 大入道の子とガシャ髑髏の子が、手を合わせる。


 乾いた音がして、ガシャ髑髏の指が一本外れた。


 大入道の子が拾い、慌てて渡した。


「あっちも忙しいな」


 悠斗がつぶやく。


 赤い玉は、まだ黄色い旗の手前だった。


「回るよ」


 小吉が言った。


「うん」


「ここは、ゆっくり」


 いわおが力を緩める。


 小吉が玉の横を押す。


 二人は何度も足の位置を変えながら、旗の周りを回った。


 赤い玉が帰り道へ向く。


「帰る!」


 小吉が顔を上げた。


「帰ってこい!」


 悠斗は出発線の横へ戻った。


 玉が進んでくる。


 少し曲がると、小吉が横を押した。


 押しすぎると、いわおが手を止めた。


 二人で確かめながら、赤い玉を運んでくる。


 さっきより遅い。


 けれど、駐車場へは向かわなかった。


「あと少し!」


 こはくが声をかけた。


 きゅうも、大河も立ち上がる。


 ことが前足を上げた。


「こっちぃ」


 めめは赤い玉を見つめ、両手をたたいた。


 玉が線を越えた。


「終わり! もう押すな!」


 悠斗が言う。


 二人の手が止まった。


 赤い玉も止まる。


 いわおと小吉が、同時にその場へ座り込んだ。


「遠かった」


「お前らが遠回りしたんだよ」


「駐車場、行かなかった」


「途中までは行ってたけどな」


 小吉は息を切らしながら、旗を振り返った。


「ちゃんと回った」


「ああ。二人で戻ってきた」


 悠斗が差し出した手を、二人は一本ずつつかんだ。


     ◇


 席へ戻ると、親たちが迎えてくれた。


「小吉君、途中から道を見てくれていたね」


 いわおの父親が言った。


「うん。いわおが押した」


「いわお君、旗のところでゆっくりにできたね」


 小吉の母親が言う。


「小吉君が、ゆっくりって言ったから」


 二人は顔を見合わせた。


 こはくの母親が水筒を渡す。


 きゅうの母親は、二人の汗を拭くタオルを持ってきた。


「笛が鳴っても、壁にならなかったね」


 めめの父親がいわおへ言った。


 いわおは自分の足を見た。


「ちょっと、なりそうだった」


「でも、押せた」


 小吉が隣で言う。


「うん」


 いわおが笑った。


 小吉の母親は、カメラの画面を二人へ見せた。


 赤い玉。


 その左から出た、小さな手。


「ぼく」


 小吉が指した。


「そう。お母さんへ手を振ってくれたところ」


「前、見えてなかった」


「それでも、お母さんは見つけたのね」


「そこからこっちへ来ようとしたけどな」


 悠斗が言うと、親たちが笑った。


 小吉も、少しだけ笑う。


 母親の膝へは上がらず、いわおの隣で水を飲んだ。


 悠斗はノートを開いた。


 いわお。笛で驚いたが、壁にならず競技を続けた。


 小吉。玉の横から進路を確認。いわおへ方向を伝えた。


 二人で旗を回り、出発線まで戻った。


 横へ丸をつける。


「先生」


 小吉が覗き込んだ。


「何だ」


「次は、まっすぐ行ける」


「最初から横を見るの、忘れるなよ」


「忘れない」


 いわおもうなずいた。


「次は、ぼくも旗を見る」


「じゃあ、小吉が押す番も作れ」


「うん」


 二人はもう一度、運動場の赤い玉を見た。


 悠斗もそちらを向いた。


 駐車場は、コースのずっと右にある。


「あそこは見なくていいからな」


 二人が、同時に顔を戻した。

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