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宵待保育園 真夜中の運動会  作者: もちむぎ


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第二章 お知らせは先生の仕事

第二章 お知らせは先生の仕事


 金色の縁取りがある案内状は、職員室の机に置かれたままだった。


 その隣で、夜久園長が茶を飲んでいる。


 悠斗は園児たちの夕食を終え、空になった皿を運んできたところだった。


「園長、運動会のお知らせは?」


「そこにありますよ」


「それは向こうから来たやつでしょう。親御さんに渡す方です」


 夜久園長は湯飲みを置いた。


「まだ作っていません」


「え? 運動会ですよ? 親御さんにも知らせなきゃじゃないですか」


「参加するかどうかも含めて、相談を――」


「だから、その相談の紙です。仕事を休まなきゃ来られない人もいるでしょうし。早く渡した方がいいですよ」


 夜久園長が悠斗を見た。


「何ですか」


「いえ。もっと嫌がるかと思っていました」


「俺が?」


「いつもと違う場所で、子どもたちを見なければなりませんから」


「それは大変でしょうけど」


 悠斗は保育室の方を見た。


 小吉が長い積み木を並べ、きゅうがその横へキュウリを一本置いている。


「それは橋の上に置かない」


「渡るキュウリ」


「キュウリは歩かない」


 小吉の声が聞こえた。


 こはくは二人のそばで、めめに積み木の色を教えていた。


「あれだけ楽しみにしてるんだから、行けるなら行かせてやりたいじゃないですか」


 夜久園長は少し黙った。


 悠斗は職員室の椅子を引く。


「紙、借りますよ」


「どうぞ」


「園のパソコン、使っていいですか?」


「使い方が分かるのでしたら」


「ゲーム以外にも使えます」


「何も言っていませんよ」


「言いそうな顔でした」


 悠斗はパソコンを起動した。


 画面が明るくなるまでの間に、案内状を広げる。


 一番上に、主催する保育園の名前が書かれていた。


 瑞雲保育園。


「これ、何て読むんですか」


「ずいうんです」


「立派な名前だな」


「立派な園ですよ」


 また、少しだけ間があった。


 悠斗は園長の顔を見た。


「何かあったんですか、そこの園と」


「何か、と言うほどのことではありません」


「じゃあ、どうしてそんなに乗り気じゃないんですか」


 夜久園長は案内状へ目を落とした。


「高嶺園長は、子どもたちの力を伸ばすことに、とても熱心な方です」


「いいことじゃないですか」


「ええ。それは」


「それは?」


「伸びた分を、いつも誰かと比べたがるのが、少し」


 悠斗は手元のノートを見た。


 きゅうは十秒、水へ顔をつけた。


 めめは少し離れた場所から赤を選んだ。


 誰より速かった、と書いたことはない。


「運動会だから、勝ち負けはあるでしょう」


「そうですね」


「でも、負けたら何もできなかったことになるわけじゃない」


「高嶺園長にも、そうお伝えしたことがあります」


「何て?」


「勝つための努力を教えるのが、私たちの仕事でしょう、と」


 夜久園長は湯飲みを持ち上げた。


「どちらも先生ですからね」


 悠斗は案内状を裏返した。


 裏には、競技や持ち物についての細かな説明が並んでいる。


「高嶺園長って、何の妖なんですか」


「天狗です」


「ああ」


「ああ、とは?」


「何となく」


「女性ですよ」


「女の天狗もいるんですね」


「高嶺園長が聞いたら、羽団扇であおがれそうな発言ですね」


「涼しくなるなら助かります」


「庭の端まで飛ばされても?」


「謝ります」


 夜久園長が小さく笑った。


 悠斗は案内状の下にある名前を指さした。


「担当、白銀……」


「しろがね先生です。昨夜来た方ですよ」


「尻尾がたくさんある人?」


「九尾の狐です」


「九本」


 保育室にいるこはくは、二本をしまう練習をしている。


 あの男は、九本の尻尾を整然と並べて立っていた。


「あれだけあったら、しまうのも大変そうですね」


「白銀先生は、とてもお上手ですよ」


「こはくが見たら喜ぶかな」


 悠斗はキーボードへ手を置いた。


「とりあえず、お知らせを作ります。参加については親御さんの返事をもらってから。それでいいでしょう?」


 夜久園長はうなずいた。


「はい」


「園長にも確認してもらいますからね」


「もちろんです」


「俺に丸投げしないでくださいよ」


「頼もしい先生が来てくれましたから」


「褒めて押しつけるな!」


     ◇


 悠斗が最初の一枚を印刷すると、きゅうが職員室の入口から顔を出した。


「キュウリ券?」


「違う」


「持っていったらもらえる?」


「もらえない」


「じゃあ何?」


「運動会のお知らせ」


 きゅうはすぐに中へ入ってきた。


「お母さんに渡す?」


「そうだ」


「ぼくが渡す」


「園長に見てもらってからな」


 夜久園長が紙を受け取った。


 開催日。


 会場、瑞雲保育園。


 日没後に開会、午前三時に閉会予定。


 動きやすい服装、飲み物、タオル。


 保護者の観覧について。


 参加できるかどうかと、観覧の予定を書いてもらう欄も作った。


「分かりやすいですね」


「ゲームの募集要項より短いですから」


「ただ、ここは直しましょう」


 夜久園長が紙の下を指さした。


 持ち物欄に、一行だけ太い文字がある。


 ――キュウリは各自で管理してください。


「大事なことですよ」


「久太郎君だけのお知らせになっています」


「ぼく、管理する!」


 きゅうが胸を張った。


「人の分まで管理するなよ」


「一緒に持てるよ」


「預けると減るだろ」


「ちょっとだけ」


「没収するぞ」


 悠斗はその一行を消し、園児ごとの持ち物は別に相談する、と書き直した。


 紙の右下には、小さな絵を入れてある。


 走っている子どもと、旗。


 きゅうが覗き込んだ。


「この子、お皿ない」


「河童の絵じゃない」


「あった方がいい」


「勝手に描くな」


 止める前に、きゅうは鉛筆を持った。


 丸い頭の上へ皿を描き、背中へ甲羅を足す。


「ぼく」


「配る紙を自画像にするな」


 入口へ、こはくとめめもやって来た。


「こはくも描く」


「原本に描くな。裏にしろ」


「めめも」


「じゃあ、一枚別に出すから待て」


 結局、配布する紙とは別に、運動会の絵を描く紙が七枚必要になった。


 夜久園長は出来上がったお知らせを手に、もう一度読み返していた。


     ◇


 明け方、最初にお知らせを受け取ったのは、めめの母親だった。


「運動会ですか」


 黒い制服の胸元へ紙を近づける。


 めめも隣から覗き込んだ。


「瑞雲保育園へ行くの」


「そう。楽しみね」


「金色のお知らせが来た」


 母親は手元の紙を見た。


「これは白いけれど」


「こっちは俺が作ったので」


 悠斗が答える。


「予算の都合です」


「金色でなくても分かりますよ」


 母親は笑った。


 そこへ、きゅうの母親が迎えに来た。


「何のお知らせですか?」


「運動会ですって」


「まあ、みんなで?」


 きゅうが紙を差し出した。


「お母さん、これ」


「ありがとう」


「ぼく、十秒できるから」


「潜る競技とは限らないぞ」


 悠斗が言うと、めめの母親が顔を上げた。


「きゅうちゃん、十秒になったの?」


「うん!」


「すごいねえ。顔をつけられるようになったんだね」


 きゅうは得意そうに、自分の母親を見た。


 母親も笑っている。


「このところ、お風呂でも数えているんです。先に言ってねって、毎回頼んでいるんですけど」


「めめは、赤い積み木が少し遠くても分かりました」


 悠斗が言うと、きゅうの母親はめめの前へしゃがんだ。


「めめちゃんも、よかったね」


「でも、奥のは分からなかった」


「近くへ行ったら、分かったんでしょう?」


「オレンジだった」


「ちゃんと確かめたんだね」


 めめは赤い眼鏡へ触れ、少しだけ笑った。


 玄関が、いつもより賑やかだった。


 こはくの母親が来ると、こはくは尻尾をしまえた話をした。


 耳はまだ残っていると自分で付け加えたが、きゅうの母親も、めめの母親も喜んだ。


「二本とも?」


「二本とも!」


「こはくちゃん、練習してたものねえ」


 こはくは何度もうなずいた。


 大河の父親には、お知らせを渡すより先に、声が届いた。


「お父さん、運動会」


「運動会!」


 玄関の窓が震えた。


「お父さんは音量を下げてください」


 悠斗が言うと、父親は口元へ手を当てた。


「失礼。楽しみですな」


 その声も十分に大きかった。


 小吉の母親は日付を見て、少し考えた。


「仕事の交代を相談してみます」


「まだ先ですから。観覧は無理のない範囲でお願いします」


 悠斗が言うと、小吉は母親の服をつかんだ。


「来る?」


「行けるようにしてみるね」


「ぼく、走る」


「うん」


「大きい家も作れる」


「それは運動会でやるか分からないぞ」


 悠斗が口を挟む。


 いわおの父親が、小吉の紙の裏を見た。


 積み木の家を描いた絵がある。


「立派な家だなあ。小吉君が考えたのか?」


 小吉は母親の服を握ったまま、うなずいた。


「柱が二本ある」


「なるほど。丈夫そうだ」


 小吉の手が、少し緩んだ。


 いわおも隣で、自分の絵を広げた。


 紙の端に、大きな四角がある。


「ぼくは、ここで壁になる」


「誰も通れなくならないところ?」


 こはくの母親が尋ねる。


「うん。道は、こっち」


「自分で考えたのね」


 いわおが嬉しそうにうなずいた。


 ことの母親も輪へ加わり、お知らせを受け取った。


「ことちゃん、何を描いたの?」


 きゅうの母親が尋ねた。


 ことの紙には、丸が三つ並んでいる。


「いち、にぃ、さん」


「三つね」


「いっぱいじゃない」


「ちゃんと数えられたね」


 ことは満足そうに目を細めた。


 悠斗は下駄箱の横に立ち、その様子を見ていた。


 親たちは自分の子の話だけでなく、ほかの子の話にも耳を傾ける。


 きゅうが十秒できれば、みんなが喜ぶ。


 めめが色を確かめても、こはくが尻尾をしまっても、同じだった。


「楽しみですね、運動会」


 めめの母親が言った。


「みんな、どんなことをするのかしら」


「先生、教えてくださいね」


 きゅうの母親が悠斗を見る。


「詳しい競技は、確認してからお伝えします」


 悠斗は答えた。


 夜久園長は、その後ろで親たちへ穏やかに頭を下げていた。


     ◇


 全員を見送ったあと、悠斗は残ったお知らせを机へそろえた。


「皆さん、楽しみにしてましたね」


「そうですね」


 夜久園長が答える。


「園長は、まだ乗り気じゃないんですか」


「少しだけ」


「少しには見えませんけど」


 園長は金色の案内状を開いた。


 悠斗が作った白い紙を、その隣へ置く。


「皆さんの返事を待ちましょう」


「はい」


「参加するのであれば、瑞雲へ連絡します」


「競技も詳しく聞いてくださいよ。準備しないと」


 悠斗は自分のノートを鞄へ入れた。


「きゅうの水。めめの眼鏡。小吉の毛布。いつもの持ち物も要りますね」


「随分、忙しくなりますよ」


「運動会ですから」


 悠斗は当然のように言った。


 夜久園長が小さく息を吐いた。


 ため息にも、笑いにも聞こえた。


「競技と当日の流れは、先に白銀先生へ確認しておきます」


「お願いします。俺も持ち物をまとめておきますから」


「お知らせ作りに、持ち物の準備。忙しいですね」


「子どもを連れていくんだから、必要でしょう」


「はい。先生の仕事ですね」


 悠斗は鞄を肩へかけた。


「電話、忘れないでくださいよ」


「忘れません」


 玄関へ向かう途中で、悠斗は一度振り返った。


「白銀先生にも、よろしくって言っといてください」


「何か伝言ですか?」


「こはくが九本の尻尾を見たいそうです」


 夜久園長は、ようやく少し楽しそうに笑った。


「それは、きっと喜ばれますよ」


 窓の外は、もう明るかった。


 悠斗は自転車の鍵を取り出す。


 帰ったら深雪にも、運動会のことを話しておこう。


 そう思ってから、少しだけ嫌な予感がした。


 母親が来れば、幼い頃の話を始めるかもしれない。


 転んだ話。


 泣いた話。


 保育室へ雪を降らせすぎた話。


「……口止めも必要だな」


 悠斗は自転車へまたがった。


 運動会までに準備することが、また一つ増えた。

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