第十章 できた話
# 第十章 できた話
「ここで、休憩を取ります」
白銀先生の声が、運動場へ響いた。
「お食事を済ませてください。最後の団体競技は、休憩のあとに行います」
その声を聞いた瞬間、きゅうが鞄へ向かった。
「早いな」
悠斗が言う。
「今度は、取らなくていいから」
「何を?」
「ご飯。吊られてない」
きゅうは弁当箱を持ち上げた。
自分のものだと確かめ、母親の隣へ座る。
親たちが敷いたシートには、いくつもの弁当が並び始めていた。
大きな重箱。
小さな丸い容器。
布で包んだおにぎり。
蓋が開くたび、子どもたちが顔を寄せた。
大河の父親の弁当は、膝へ載せると机のように見えた。
「でかいですね」
悠斗が言うと、父親は蓋を持ち上げた。
「二人分です!」
中には、大きなおにぎりが並んでいる。
その端に、小さなおにぎりが三つあった。
大河は小さい方を一つ取った。
「お父さんのも食べる?」
「食べない」
「そうか!」
父親は自分の分を持ち上げた。
大河のおにぎりが、さらに小さく見えた。
◇
悠斗も鞄から弁当を出した。
深雪が、出かける前に持たせたものだった。
蓋を開く。
白いご飯。
卵焼き。
唐揚げ。
いつもの弁当だった。
「先生、食べる?」
小吉が覗き込む。
「俺の弁当だからな」
「いつも食べない」
「今日は走ったから食う」
悠斗は卵焼きを口へ入れた。
その隣へ、こはくが座る。
「今日、先生が三人いた」
「俺は一人だ」
「私と、荷車の前の先生と、観覧席の先生」
「荷車の前と観覧席は、移動した俺だよ」
こはくは箸を止めた。
「じゃあ、二人」
「お前が化けてたときだけな」
小吉がこはくを見る。
「耳、なかった」
「尻尾も」
こはくの二本の尻尾が持ち上がる。
「今はある」
「今は私だから」
こはくは当然のように答え、弁当へ向き直った。
悠斗は唐揚げをつまみながら、その横顔を見た。
◇
「こはくちゃん、いつから両方消せるようになったの?」
きゅうの母親が尋ねた。
こはくの母親が首を横に振る。
「私も、今日初めて見たんです」
「まあ」
「家では、片方の耳だけ消して見せてくれたりしていたんですけど」
母親はこはくを見た。
「耳も尻尾もなかったから、本当に先生が二人に見えました」
「私も、どちらへ声をかければいいか迷いましたよ」
めめの父親が笑う。
こはくは食べながら、少し背筋を伸ばした。
「めめちゃんも、三つとも色が合っていましたね」
こはくの母親が言った。
めめの母親がうなずく。
「あんなに離れた場所へ、一人で行って確かめられると思っていなくて」
「最後の玉も、ちゃんと運んでいましたよ」
小吉の母親が加わった。
「終わったって言われても、まだ一つあるって」
めめが顔を上げる。
「青、残ってたから」
「うん。覚えていたね」
めめは弁当のミニトマトを見た。
少し近づける。
「これは赤」
「正解」
悠斗が答えるより先に、何人もの親がうなずいた。
めめは笑い、トマトを食べた。
◇
いわおの父親が、大河の父親へ顔を向けた。
「大河君の声は、ここまでよく聞こえましたね」
「はい!」
父親が答えた。
大河がおにぎりを持ったまま、肩を縮める。
父親は咳払いをした。
「……聞こえました」
今度は少し小さく言う。
「家でも、呼べば聞こえるんですが。あんなに人がいるところで、離れた先生を呼べるとは」
「呼んだら、本当に来てくれたものね」
ことの母親が言った。
大河がうなずく。
「すぐ来た」
「すぐすぎたけどな」
悠斗が言う。
夜久園長は少し離れたところで、弁当を広げていた。
普通に箸を持ち、普通に食べている。
さっき見たものを思い出すと、余計に変だった。
「園長、食べるのは普通なんですね」
「どう食べればいいんですか?」
「いや、そのままでいいです」
大河が小さく笑った。
父親は息子の顔を見てから、いわおへ目を向ける。
「いわお君も、最後まで押せたな!」
「うん」
「小吉君と一緒に、ちゃんと帰ってきた」
いわおは小吉を見た。
「小吉君が、旗を見たから」
「いわおが押したから」
小吉も答える。
親たちは二人を見て笑った。
「途中で相談していたのね」
「先生が止まれって言った」
小吉が悠斗を指す。
「止まらなかったら、駐車場で弁当を食うことになってたぞ」
「お母さん、いた」
「だから、そっちへ行くなって言ったんだよ」
小吉の母親が、口元を押さえて笑った。
小吉はその隣で、自分の弁当を食べ続けた。
◇
ことは母親に手伝ってもらいながら、柔らかい団子を食べていた。
「ことちゃんも、ぐるっと一周できたね」
めめの母親が言う。
ことが顔を上げる。
「あるいたぁ」
「うん。みんなの前で」
「さいご、んむぅ」
前足を口元へ寄せた。
悠斗は箸を止める。
「そこは、今度は止まらず帰ってこい」
「あしたはぁ」
「今も始めるな」
母親が、ことの口元へそっと手を添えた。
「お団子、もう一つあるよ」
ことの目が団子へ向く。
「たべるぅ」
悠斗は、ゆっくり箸を弁当へ戻した。
「休憩まで全力だな」
きゅうの母親が笑った。
「きゅうも、最後まで走りましたしね」
「キュウリなら勝ってた」
きゅうが、弁当を食べながら言った。
「はいはい。それはもう聞いた」
悠斗が答える。
親たちが笑う。
きゅうは何も気にせず、次のおかずを取った。
◇
悠斗は水筒を持ち、少し後ろへ座り直した。
子どもたちの向こうに、得点板が見えた。
瑞雲には、印が並んでいる。
宵待には、一つもない。
ここへ来る前は、一つくらい勝たせてやりたかった。
競技の組み合わせを見たときは、腹も立った。
今でも、旗の位置くらい近くていいだろうと思う。
けれど、誰も得点板を見ていなかった。
親たちは、今日見た子どもの話をしている。
自分の子の話だけではない。
こはくの耳が消えたこと。
めめが色を確かめたこと。
大河が先生を呼んだこと。
いわおと小吉が、途中でやり方を変えたこと。
ことが一周歩き、きゅうが最後まで走ったこと。
誰かが話すたび、ほかの親も身を乗り出した。
「あそこ、私も見ていました」
「あのとき、こんな顔をしていたんですよ」
カメラの画面が、一人から次の一人へ渡っていく。
子どもたちは、話に加わったり、隣の弁当を見たりしていた。
悠斗はノートを取り出した。
今日つけた丸を、順に見る。
どの丸にも、見ていた親がいる。
聞いていた子どもがいる。
「悠斗先生」
小吉が呼んだ。
「何だ?」
「食べないの?」
弁当箱には、ご飯が残っていた。
「食うよ」
悠斗はノートを閉じた。
ご飯を口へ入れる。
隣で、こはくがめめへ自分の写真を見せていた。
「これ、私」
「先生」
「先生になった私」
「ややこしいな」
悠斗が言うと、二人とも笑った。
◇
まだ食事をしている子どもたちのところへ、白銀先生が来た。
「最後の競技について、ご説明します」
子どもたちが顔を上げる。
運動場では、職員たちが大きな箱を運んでいた。
箱から、色のついた板や、大きな積み木が出てくる。
丸い部品。
三角の部品。
長い棒もあった。
「両園の園児全員で、家を作っていただきます」
「家?」
小吉が立ち上がった。
「指定の場所へ材料を運び、組み立てます。屋根と壁ができたら、最後に全員が中へ入ってください」
白銀先生が競技表を開く。
「七人全員が入れることを確認して、完成とします」
「大きい家」
小吉が言った。
いわおも材料を見ている。
「入口、いる」
「ええ。全員が出入りできる入口も必要です」
こはくが身を乗り出した。
「窓は?」
「作ってかまいません」
「丸いの、あるぅ」
ことが箱を指した。
めめは眼鏡を押し上げ、板へ顔を向ける。
「黄色、ある」
きゅうが立ち上がった。
「運ぶの?」
「そうです。材料は軽いものですが、一度に持ちきれなければ、何度でも取りに戻れます」
大河が、家を作る白い枠を見た。
「遠い」
材料置き場からは、少し離れている。
「開始の合図までは、材料に触れないでください。では、休憩のあとに」
白銀先生は競技表を閉じ、次の観覧席へ向かった。
小吉は材料の箱をしばらく見ていた。
母親が弁当箱を持ち上げる。
「小吉、おにぎりが残ってるよ」
小吉は自分の場所へ戻った。
両手でおにぎりを持ち、かじる。
「大きい家、作れる?」
きゅうが隣から聞いた。
小吉は口の中のご飯を飲み込んだ。
「作れる」
「ぼくも入る」
「みんな入るんだよ」
「先生は?」
きゅうが悠斗を見た。
「競技はお前ら七人だろ」
「先生、外?」
「外で見てる」
小吉は悠斗の脚を見た。
それから、弁当へ目を戻す。
「先生、長いから」
「さっきは横に広いって言ってたくせに」
小吉はおにぎりをかじり、聞こえないふりをした。
いわおが、母親たちの回していたカメラを覗き込んだ。
画面には、赤い玉が写っている。
その下から、二人分の足が出ていた。
「これ、ぼくの足」
「こっち、ぼく」
小吉もおにぎりを持ったまま顔を寄せる。
めめが近づいた。
「赤い玉」
「そう。めめちゃん、こっちにも写真があるよ」
こはくの母親が画面を切り替えた。
荷車が二台、並んでいる。
「耳、見ないで」
こはくがすぐに言った。
「写真でも駄目なのかよ」
悠斗が笑う。
大河も覗き込み、口元を緩めた。
ことは団子を食べ終え、母親の隣へ身体を寄せている。
親たちの話は、また今日の競技へ戻っていった。
あのとき、こうだった。
ここから見ていたら、こう見えた。
子どもが横から訂正すると、みんなで笑った。
悠斗の弁当には、唐揚げが一つ残っていた。
箸を伸ばす。
隣から、こはくが覗き込んだ。
「先生、最後の一個」
「俺が食べるぞ」
「分かってる」
悠斗は唐揚げを口へ入れた。
運動場では、家作りの材料が少しずつ並べられている。
観覧席では、空になった弁当箱が重ねられ始めた。
もう少しだけ、休憩は続いていた。




