第47話 守られたものが、十一件
検めるのに、十七日かかった。
二百七件を、日付順に並べて、一件ずつ読む。読んで、三方が順に「正しいか、誤りか、判じかねるか」を仰る。三方の言い分が揃えば、そう書く。揃わなければ、揃わなかったと書く。
十七日で、二百七件が終わった。
*
結果は、こうだった。
正しい、と三方が揃ったもの。百三十九件。
誤り、と三方が揃ったもの。二十六件。
揃わなかったもの。四十二件。
*
百三十九件。
私は、その数を三度数え直した。
三度とも、同じだった。
*
殿下は、天幕の外の椅子に座っていらした。
十七日、毎日そこにいらした。一度も口をお開きにならなかった。仰ってはいけないことになっていた。検める側が話すと、検分にならないからだ。
数が読み上げられたとき、その方が顔を上げられた。
*
「百三十九」
殿下が、初めて口を開かれた。
「三分の二だ」
「はい」
軍の方が、そう答えられた。
「わたくしどもは、その数字を、正直に申し上げて予想しておりませんでした」
「では、どう思っていた」
「半分は誤りかと」
*
殿下は、椅子から立ち上がられた。
立ち上がって、卓のほうへ歩いてこられた。
「では、なぜだ」
その声が、少し大きくなった。
「三分の二が正しかったのなら、なぜ国が傾いた。誤りは二十六件だ。二十六件で国は傾かん」
誰も、答えなかった。
*
私は、卓の端に立っていた。
立って、書いた紙を揃えていた。
揃えながら、答えを知っていた。
知っていたけれど、申し上げなかった。申し上げるのは、私の役ではない。私は立ち会っているだけだ。
*
しばらく、誰も何も言わなかった。
やがて、軍の方が立ち上がられた。
七年、私の書面を読んでいらした方だ。
「殿下。ひとつ、数え直しをお願いしてもよろしいでしょうか」
「なんだ」
「正しかった百三十九件のうち、実際に守られたものが、何件あるかを」
*
殿下が、その方を見られた。
「守られたかどうかを、なぜ数える」
「正しさと、効きめは、別のものでございますので」
「同じだろう。正しい裁定は、通る」
「通りません」
軍の方は、はっきりそう仰った。
「正しい裁定が通るのは、通らなかったときに困る者がいる場合でございます。困る者がいないか、困っても言えないかであれば、正しくても通りません」
殿下は、しばらく黙っておられた。
「……では、俺が出した紙は」
「正しい紙でございます」
「正しい紙が、通っていないと」
「はい」
*
二日かかった。
守られたかどうかは、裁定の紙を見てもわからない。その後どうなったかを、当事者に照らさなければならない。
三方が、それぞれ手元の記録を出された。
照らした。
*
結果は、こうだった。
百三十九件のうち、守られたもの。十一件。
*
「……十一」
殿下が、そう仰った。
「十一件だ」
「はい」
「百三十九件のうち」
「はい」
殿下は、卓に手をつかれた。
「なぜだ」
*
軍の方が、答えられた。
「守られたかどうかを、確かめる者がおりませんでしたので」
「確かめる」
「はい。裁定は出ます。出た裁定を、双方が受け取ります。受け取ってから、片方が守らない。守らないことを、もう片方が申し立てる。申し立てを検める者が要ります」
「府にいるだろう」
「おりました」
その方は、そう仰った。
「昨年の秋までは」
*
殿下は、しばらく黙っていらした。
黙って、それから、こう仰った。
「俺は、決めた」
「はい」
「二百七件、全部決めた。三分の二は正しかった」
「正しゅうございました」
「では、俺は何を間違えた」
*
軍の方が、卓を回って、殿下の正面に立たれた。
「殿下。恐れながら」
「言え」
「決めることと、決まったことが守られるかを確かめることとは、別の仕事でございます」
*
「……別」
「別でございます。決めるのは、殿下がなさいました。確かめるほうを、どなたもなさいませんでした」
「なぜ誰もやらん」
「やっていた者を、お捨てになりましたので」
*
殿下が、こちらを見られた。
半年ぶりに、目が合った。
その方は、私を見て、それから、また軍の方を見られた。
「……あれが、それをやっていたのか」
「やっておりました」
「聞いていない」
「はい」
軍の方は、そう仰った。
「殿下は、あの方が何をしていたか、一度もご覧になりませんでした」
*
言葉が、そこで切れた。
風が、峠の草を鳴らしている。
軍の方は、続けられた。
「ご覧にならなかったので、何を失ったのかも、おわかりにならない」
*
殿下は、動かれなかった。
しばらくして、こちらを向かれた。
向いて、口を開かれた。
「オルデン」
私は、頭を下げた。
「はい」
「お前が、保証を外したのだろう」
*
卓のまわりが、静かになった。
三方の代表が、それぞれ動かなかった。財閥の方が、何か仰ろうとして、やめられた。
私は、頭を上げた。
「外しました」
「外したから、こうなった」
「外しました」
*
「では、お前のせいだ」
殿下は、そう仰った。
「お前が外さなければ、軍は困らなかった。商会も動かなかった。俺は、こんなことにはなっていない」
私は、その言葉を、最後まで聞いた。
聞いて、それから、こう申し上げた。
*
「十四日ございました」
殿下が、眉を寄せられた。
「なんだと」
「異議の申し立てには、十四日かかります。わたくしが窓口に立ちましてから十四日のあいだ、あれは止められました」
「……止める」
「はい。どなたかが気づいて、書式を揃えて、窓口へ持っていけばよろしゅうございました。書式は三枚でございます。わたくしが書けたのですから、どなたでも書けます」
*
私は、そこで一度、言葉を切った。
切って、続けた。
「窓口は、毎朝開いておりました」
*
殿下は、何も仰らなかった。
仰らないまま、卓の上を見ていらした。
卓の上には、二百七件の紙が並んでいる。日付順に、いちばん古いものが左に。
いちばん左の紙の日付は、昨年の秋だ。
あの十四日の、少しあとになる。
*
「誰も、来なかったと」
「まいりませんでした」
「一人も」
「一人も」
私は、そう申し上げた。
「ですので、わたくしは、外したままにいたしました」
*
勝ち誇っては、いない。
そのつもりは、ない。
ただ、事実を三つ並べただけだ。十四日あった。書式は三枚だった。誰も来なかった。
三つとも、書けば書面になる。
書面になるものは、私が言っても、誰が言っても、同じだ。
*
殿下は、椅子に戻られた。
戻って、座られて、それきり動かれなかった。
私は、卓の紙を揃えた。
揃えて、今日のぶんを書いた。日付、議題、三方の発言、決まったこと、決まらなかったこと。
いちばん下に、書いた者の名。
三人の書記の名と、それから、私の名を書いた。
*
書いてから、少し手が止まった。
十一年、一度も書かなかったものだ。
書いてみると、四文字だった。
思っていたより、短い。
*
その日の夕方、財閥の方が、詰所の外で私に声をかけられた。
「オルデン嬢」
「はい」
「十一件でございましたな」
「はい」
「わたくしどもは、その十一件のうち、四件で得をしております」
その方は、そう仰った。
「守られた十一件のうち、四件が、うちに有利な裁定でございました。守られたのは、うちが押したからでございます」
*
私は、その方の顔を見た。
「……なぜ、それを仰るのですか」
「明日、それが出ますので」
その方は、少し笑われた。
「出る前に、自分で申し上げておこうかと」
「なぜでございますか」
「あなたが、そうなさるからでございます」
*
その方が去ったあと、私は詰所の壁にもたれて、しばらく立っていた。
明日は、十八日目だ。
二百七件は終わった。
終わったので、明日から、処遇の話になる。
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