第48話 四つ目の椅子
処遇が決まるのに、三日かかった。
三日目の朝、卓に四人が着いた。
三方の代表と、宰相府の方。
殿下は、卓から少し離れた椅子に座っていらした。
*
私は、卓の端に立っていた。
書くために立っている。書記の三人は、卓の後ろに並んでいる。三人とも、今日はそれぞれの綴りを開いていた。
読み上げるのは、宰相府の方だった。
*
「王太子殿下の廃嫡について」
紙を持つ手が、少し震えていらした。
「殿下は、王位継承の順位から外れる。爵位は残す。領地は返上。以後、宮内における一切の裁定に関与しない」
殿下は、動かれなかった。
「ただし」
宰相府の方が、続けられた。
「二百七件の再検分については、これに立ち会う義務を負う。誤りと判じられた二十六件、および揃わなかった四十二件について、一件ずつ、当事者の前で説明を行う」
*
殿下が、顔を上げられた。
「……六十八件を」
「はい」
「俺が」
「殿下が」
その方は、そう仰った。
「決めた者が、なぜそう決めたかを説明する。それが慣行になります。今度が、最初でございます」
*
殿下は、しばらく黙っておられた。
黙って、それから、こう仰った。
「廃嫡だけでは足りんと」
「足りませぬ」
「なぜだ」
「廃嫡いたしますと、殿下は終わりでございます」
宰相府の方は、そう仰った。
「終わった方に、説明はさせられません」
*
私は、その言葉を書き取った。
書き取りながら、この処遇を組んだのは誰だろうと考えた。
誰かが、殿下を終わらせないようにした。
終わらせないほうが、六十八件が片付く。片付くほうが、国のためだ。
国のために、この方をあと数年、椅子に座らせる。
残酷だとも、慈悲だとも言える。
*
「ヴィント男爵家の娘について」
宰相府の方が、次の紙をめくられた。
「連れてまいれ」
*
天幕から、あの方が出てこられた。
灰に近い色の衣を着ていらっしゃる。髪に、何も挿していない。
供の者が、卓のところまで連れてこられた。
連れてこられて、そこで止まった。
止まったところに、椅子がある。
*
四つ目の椅子だった。
三方が座り、ひとつだけ空いていた椅子。
四月に、私が置かせたものだ。
誰も座りません、と申し上げた。四百年、その席には人が座っておりました、と。
供の者が、その椅子を引いた。
あの方が、座られた。
*
私は、書く手を止めなかった。
止めなかったのは、止めるとあとで続きがわからなくなるからだ。
書きながら、卓の上を見た。
卓の上には、二百七件の紙が並んでいる。日付順に。
あの方の正面に、そのうちの三十枚ほどがある。
*
宰相府の方が、読み上げられた。
「婚姻は成立していない。婚約は、これを取り消す。以後、王家との縁組は認めない」
あの方は、卓を見ていらした。
「男爵家への帰還を命ずる。宮内に置いた私物は、後日まとめて送る」
その言い方に、聞き覚えがあった。
半年前、控えの間で、宰相府の書記官が私に仰ったのと同じ形だ。
書式が同じなので、当たり前だった。
*
「手続きは、明日」
読み上げが、終わった。
あの方は、まだ卓を見ていらした。
しばらくして、口を開かれた。
「あの」
*
声が、小さかった。
小さかったので、みなさま、聞き取れなかった。
もう一度、仰った。
「私は」
三方が、それぞれ顔を上げられた。
「私は、何を壊したのですか」
*
誰も、答えなかった。
軍の方も、財閥の方も、教会の司祭も、宰相府の方も。
みなさま、私のほうを見なかった。見ないようにしていらっしゃるのがわかった。
私は、ペンを置いた。
置いて、卓のあちら側を見た。
*
あの方が、こちらを見ていらした。
目が合った。
半年前、広間で目が合ったときとは、違う顔だった。あのときは、困ったように眉を下げていらした。
いまは、そういう顔ではない。
わからない、という顔だ。
本当に、わからないのだと思った。
*
答えられる。
三行で済む。
あなたが座った椅子は、書類を捌く椅子ではありませんでした。届いた書状を、日付と語と印で分けて、急ぐ順を決めて、決めたことが守られたかどうかを確かめる。それだけの椅子でした。それだけのことを、四百年、誰かがやっておりました。
言えば、通じる。
いま、この方は、たぶん、いちばんよく聞ける。
*
言わなかった。
言わなかったのは、意地ではない。
言えば、この方は納得する。納得すれば、片付く。片付いたものは、忘れられる。
忘れられては、困る。
この方は、あと何十年か、わからないままでいたほうがいい。わからないまま、あの三十通を思い出す。思い出すたびに、何かがあったと思う。
思っているうちは、次に座る誰かに、それを渡せる。
*
私は、頭を下げた。
下げて、顔を上げて、こう申し上げた。
「——婚約の取り消しと、実家への帰還が決まっております。手続きは明日でございます」
*
あの方は、私を見ていらした。
見て、それから、目を伏せられた。
伏せて、こう仰った。
「……はい」
それきり、何も仰らなかった。
供の者が、椅子を引いた。
立ち上がるとき、袖が卓の紙に触れて、三枚ほど落ちた。
あの方は、それを拾おうとして、屈まれた。
*
屈んだまま、しばらく動かれなかった。
拾った三枚を、両手で持っていらっしゃる。
持って、それを卓に戻そうとして、どこへ戻せばいいかがわからないらしかった。
日付順に並んでいる。
どこから落ちたかは、日付を見ればわかる。
わからないのだと思う。
*
私は、卓を回って、そちらへ行った。
行って、手を出した。
「お預かりいたします」
あの方は、三枚を渡された。
渡すとき、指が震えていた。
私は、その三枚の日付を見て、もとの位置に戻した。
戻して、頭を下げた。
あの方も、頭を下げられた。
*
連れていかれるのを、私は見ていた。
見ながら、胸のあたりが、少し痛んだ。
——憐れだ。
その言葉が、いちばん近かった。
半年、一度も思わなかったものだ。照会状を読んだときも、使者を取り次がなかったときも、思わなかった。思わないようにしていた。
いま、思った。
思ったのは、たぶん、もう終わったからだ。
*
その日の午後、最後の項が読み上げられた。
「オルデン公爵家について」
私は、卓の端で書いていた。
書きながら、聞いた。
「当主オルデン公は、療養中。家督相続の照会は、取り下げられている。代理を務めていた者は、これを辞した」
辞した。
叔父様が、ご自分でお辞めになった。
*
「東部二領は、ヴァレン商会の所有。これを変更しない。名跡は、当主の存命中、預かりとする」
それだけだった。
三行で終わった。
三行で終わるものを、私は半年、考えつづけていた。
*
私は、その三行を書き取った。
書き取って、いちばん下に、書いた者の名を入れた。
三人の書記の名と、それから、私の名。
書きながら、私はもう一度、実家のことを考えた。
叔父様は、辞められた。
辞めれば、あの家に当主がいなくなる。いなくなれば、名跡は預かりになる。預かりの家には、誰も何も求めない。
誰も何も求めない家は、静かだ。
三年、あの方が欲しかったのは、たぶん、それだった。
*
夕方、すべてが終わった。
三通の記録に、四人が署名した。宰相府の方も入れて、四人ぶん。三通とも。
十二の署名。
署名が終わってから、軍の方が私のところへ来られた。
「オルデン嬢」
「はい」
「ひとつ、申し上げてもよろしいか」
「はい」
その方は、少し言いよどまれた。
言いよどんでから、こう仰った。
「七年、書面だけで存じ上げておりました」
「はい」
「顔を見て、二度目でございます」
「……はい」
「ようやく、読みにくかった理由がわかりました」
*
「なぜでございますか」
「余計なことが書いていないのは、余計なことを書くと、あなたのものになってしまうからでございましょう」
私は、その方の顔を見た。
見て、答えられなかった。
答えられないので、頭を下げた。
その方も、頭を下げられた。
*
天幕が畳まれはじめた。
卓は、また残された。
次の合議は、八月の初め。三方が決めた。書記の三人が、その日付を書いて、三人で名を入れた。
私の名は、入っていない。
入れなくてよかった。
*
詰所へ戻る道で、マルタが並んで歩いた。
「お嬢様」
「なあに」
「終わりましたね」
「終わったわ」
「これから、どうなさいますか」
私は、少し考えた。
考えて、こう答えた。
「帰るわ」
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