第46話 呼ばれた
呼ばれたのは、六月の初めだった。
書状は、三通同時に届いた。軍から、財から、教会から。同じ日に、同じ文面で。
文面は、短い。
——王太子殿下が出された二百七件の裁定について、その正否を検める場を、七月一日より峠にて開く。立ち会いを請う。
三方の名が、それぞれの紙に並んでいる。
*
私は、その三通を並べて、しばらく見ていた。
同じ日に、同じ文面で。
教えた覚えはない。ただ、十日、目の前でやってみせた。
やってみせたことは、残るらしい。
*
「お受けになりますか」
ベルナー様が、そう伺われた。
「受けます」
「即答でございますな」
「はい」
私は、三通を封に戻した。
「呼ばれましたので」
*
六月のハルムは、あたたかい。
三月の末に届いた三列のうち、二列が埋まっていた。届いて、組み立てられて、空のまま置いてあった三列だ。
二月で埋まったのは、王都から人が越えてきたからだ。越えてきた方々に、書けるものは書いていただいた。名前と、出た日と、見たことを。
書いたものが、二列になった。
その二列に、私は「六月までの分」と札をつけた。
次の札を、いつつけるかは決めていない。
*
峠へは、六月の二十四日に発った。
馬に乗った。今度はマルタも連れていった。
「屋根が」
「関所の詰所に泊まるわ。前もそうしたの」
「では、まいります」
その子は、鞄をひとつ持っていた。
中身を訊いたら、紙と、ペンと、インクだと言われた。
*
道中、マルタが一度だけ訊いてきた。
「お嬢様。今度は、何をなさるのですか」
「立ち会うの」
「前も、そう仰いました」
「同じよ」
「同じでございますか」
私は、少し考えた。
「……前は、決めることに立ち会ったの。今度は、決めたことを検めることに立ち会うわ」
「違いますか」
「違うわ」
その子は、しばらく黙って馬に揺られていた。
それから、こう言った。
「決めるより、検めるほうが、恨まれますね」
「そうね」
「よろしいのですか」
「よくないわ」
私は、そう答えた。
「よくないけれど、誰かが立ち会わないと、検めたことになりません」
*
七月一日、峠。
卓は、そのままだった。
脚に噛ませた石も、そのままだ。二か月半、雨に打たれて、天板の反りがひどくなっている。
椅子が四つ。
誰も座らない椅子が、まだひとつある。
*
天幕は、五つになっていた。
軍、財、教会に加えて、王家がひとつ。それから、書記のためのものがひとつ。
書記は、三人いた。
三方から、ひとりずつ。前回、私が申し上げたとおりだ。
三人とも、若い。いちばん若い方は、たぶん二十歳になっていない。
*
「オルデン嬢」
軍の方が、来られた。
「四月から、二度やってみました」
「合議を」
「いえ。書記の突き合わせをでございます。文面を作って、三人に写させて、突き合わせる」
「いかがでした」
「三度に一度は、違います」
その方は、そう仰った。
「違ったところは、書いて残しております」
*
私は、書記の三人のところへ行った。
三人とも、立ち上がって頭を下げた。
「座っていてください」
「はい」
いちばん若い方の手元を見た。
控えの綴りがある。開いてみていいかと伺って、見せていただいた。
字は、まだ揃っていない。
揃っていないけれど、いちばん下に、名前が入っていた。
三人ぶん。
*
「これは、どなたが決めたのですか」
「わたくしどもでございます」
真ん中の方が、そう仰った。
「三人で書きますと、誰が書いたかわからなくなります。それで、三人とも名を入れることにいたしました」
「揉めませんでしたか」
「揉めました」
その方は、少し笑われた。
「揉めましたので、揉めたと書いて、それにも三人で名を入れました」
*
私は、その綴りを返した。
返して、頭を下げた。
「ありがとうございます」
三人が、面食らった顔をされた。
「……なぜ、礼を仰るのですか」
私は、答えられなかった。
答えられないので、もう一度頭を下げた。
*
その日の午後、王家の一行が着いた。
馬車が三台。供が二十人ほど。旗は出ていない。
最初の馬車から降りてこられたのは、宰相府の方だった。夜会の控えの間で、覚書を閉じて、それで終わりにされた方だ。
二台目から、二人。
三台目から、ひとり。
*
三台目から降りてこられたのが、王太子殿下だった。
半年ぶりに見た。
痩せていらっしゃる。それ以上に、姿勢が変わっていた。あの晩、広間の真ん中で、この方は背をまっすぐにして立っていらした。
いまは、少し丸い。
*
私は、離れたところに立っていた。
殿下は、こちらをご覧にならなかった。
ご覧にならないまま、天幕へ入っていかれた。
二台目から降りた二人のうち、ひとりが女の方だった。
*
淡い色の衣を着ていらした。
半年前とは違う色だ。あのときは水色で、今度は灰に近い。
髪に、何も挿していない。
その方は、私を見た。
目が合った。
*
合ってから、私は頭を下げた。
下げたのは、たぶん、癖だ。
顔を上げると、あの方も頭を下げていらした。
下げて、それから、目を伏せて、天幕へ入っていかれた。
何も仰らなかった。
*
夕方、宰相府の方が、詰所へ来られた。
「オルデン嬢」
「はい」
「明日からの進め方について、ご相談を」
「わたくしは、立ち会うだけでございます」
「存じております。ただ、二百七件を、どう並べるかで揉れておりまして」
*
私は、その方に椅子を勧めた。
「並べ方は、三つございます」
「三つ」
「日付順。件の大きさ順。それから、関わる家の数の順」
「どれがよろしいですか」
「日付順でございます」
「なぜ」
「並べ替えると、並べ替えた者の意図が入りますので」
*
宰相府の方は、書きつけを取られた。
取りながら、こう仰った。
「オルデン嬢。あなたがお出しになった二枚は、いまも使っております」
「はい」
「出どころは問わずと書いてございましたので、問わずに使っております」
「それで結構でございます」
「……問うてもよろしいですか」
私は、少し考えた。
「いいえ」
その方は、頷かれた。
「では、問いません」
*
その晩、詰所の隅で、マルタが紙を広げていた。
「なにを書いているの」
「明日からのぶんの、日付の欄でございます」
覗くと、罫が引いてあった。日付、議題、三方の発言、決まったこと、決まらなかったこと。
私が四月に作ったのと、同じ形だ。
「覚えていたの」
「見ておりましたので」
その子は、そう言った。
「五年、書斎の外から見ておりました。今度は、中で見ております」
*
私は、その罫をしばらく見ていた。
見て、それから、こう申し上げた。
「マルタ。いちばん下に、欄をもうひとつ作ってちょうだい」
「なんの欄でございますか」
「書いた者の名」
その子は、罫を一本足した。
足してから、こちらを見た。
「お嬢様のお名前も、入るのでしょうか」
私は、答えるまでに少しかかった。
「……入るわ」
*
言ってから、それが十一年で初めてだと気づいた。
書斎では、一度も入れなかった。
入れれば狙われると教わった。狙われた瞬間に、支えは支えでなくなると。
いま、私は支えではない。
支えでない者は、名を入れても、誰も困らない。
*
明日、二百七件が卓に載る。
載せて、日付順に並べて、一件ずつ検める。
検めるのに、何日かかるかはわからない。
わからないので、明日、数えてみることにした。
*
眠る前に、卓のことを思い出した。
二か月半、雨に打たれて、天板が反っていた。
あれを組んだのは、四月に着いた三方の誰かだ。屋根をどこの天幕から出すかで揉めて、結局、屋根はなしになった。
揉めた三方が、次の合議のために卓を残していった。
残したのは、また使うと思ったからだ。
思ったのは、たぶん、あの十日のどこかでだ。どこでかは、書いていない。書いていないので、わからない。
わからないことは、右の欄に書く。
書いてから、私は灯りを消した。
読んでくださりありがとうございます!
・本作を★★★★★で評価
・ブックマーク
この二つで応援していただけると、とても励みになります。




