第45話 書記を三人
合議は、十日かかった。
初日に出た議題が、三十四件。
十日で決まったのが、十一件。
残りの二十三件は、決まらなかったと書いた。
*
最初の三日は、ひどかった。
三方とも、まず相手の落ち度を並べる。並べ終わるのに、半日かかる。並べ終わってから、ようやく本題に入る。
三日目の朝に、私は書き方を変えた。
卓の紙を、二つに分けた。
左に、決めること。
右に、相手の落ち度。
「右のほうは、あとでまとめてお書きになってください。順に伺います」
「……順に、とは」
「三方それぞれ、いくつあるかを先に伺います。数だけ」
*
軍が十九。財が二十三。教会が十一。
合わせて五十三。
「五十三件、承りました。これは別紙にいたします。別紙は、合議の記録には入れません」
「入れないのですか」
「入れますと、この十日が落ち度の数え合いになります」
私は、そう申し上げた。
「入れませんが、捨てもいたしません。別紙として残して、三方それぞれにお渡しします」
*
三日目の午後から、話が進みはじめた。
落ち度の数が決まると、人は落ち着く。あといくつ言えばいいかがわかるからだ。わからないうちは、言い足りない気がして、いつまでも言う。
これは、書斎で覚えた。
五日目に、最初の一件が決まった。
街道の通行の再開についてだ。軍が押さえている東の街道を、荷に限って開ける。開ける刻限と、通す台数を決めた。
三方が、順に「違わない」と仰った。
*
私は、その場で三通、同じ字で写した。
写して、卓に並べた。
三人が、順に署名された。
一通目に、三人ぶん。二通目にも、三人ぶん。三通目にも。
九つの署名。
書き終わって、財閥の方が仰った。
「……九回、名を書いたのは初めてでございます」
「疲れましたか」
「疲れました」
その方は、そう仰って、少し笑われた。
*
六日目に、雨が降った。
朝から降って、やまなかった。
私は、その日は終わりにいたしましょう、と申し上げた。三人とも、反対されなかった。
天幕に戻る途中で、教会の司祭が並んで歩かれた。
「オルデン嬢」
「はい」
「雨の日を、休みになさるのは、なぜでございますか」
「書けませんので」
「書けなくとも、話はできます」
「話だけいたしますと、書いていないことが決まります」
私は、そう申し上げた。
「書いていないことは、次の日には、三通りになっております」
*
八日目に、ラウル様が着かれた。
合議の途中だった。卓に向かっているとき、こちら側の関所のほうから、馬が三騎入ってきた。
私は、書いていた手を止めなかった。
止めなかったのは、書いている途中だったからだ。途中で止めると、あとで続きがわからなくなる。
書き終えて、顔を上げた。
*
卓から十歩ほどのところに、立っていらした。
旅装だった。外套に、街道の埃が残っている。
半年前、夜会の廊下で見たのと、同じ格好だった。
「……お待ちください」
私は、三方に申し上げた。
「一件、書き終えます」
三人とも、頷かれた。
*
読み上げて、三方に伺って、三通写して、署名をいただいた。
全部終わってから、私は卓を離れた。
離れて、十歩を歩いた。
歩きながら、何を申し上げるかを考えた。考えて、何も出てこなかった。
目の前まで来て、私は頭を下げた。
「……ご無事で」
「はい」
「王都を、お出になれたのですね」
「三日前に」
*
それきり、言葉が続かなかった。
続かないので、私は顔を上げた。
上げて、その方の顔を見た。
痩せていらした。目の下が黒い。半年前より、髪が伸びている。
見ているうちに、目のあたりが熱くなってきた。
熱くなったので、私は下を向いた。
*
「オルデン嬢」
「はい」
「顔色が」
「……悪うございますか」
「いいえ」
その方は、そう仰った。
「よろしいほうです」
*
その晩、詰所の外で、少し話した。
風が冷たかったので、二人とも外套を着たままだった。
王都のことを、順に伺った。
式は、始まって四半刻で止まった。軍が東門から入って、参列者が散った。その方は東の側にいらして、庭を抜けて、二日、王宮の外れの厩に隠れていらしたという。
「厩でございますか」
「馬がいると、暖かい」
*
「殿下は」
「宮にいらっしゃいます。動けません」
「ヴィント男爵家のご息女は」
その方は、少し間を置かれた。
「宮にいらっしゃいます。婚礼は成立しておりませんので、いまはまだ、男爵家の娘です」
「……まだ」
「はい。家格を整える手続きが、途中で止まっております」
*
途中で止まっている。
養女に入るところまでは進んで、入輿の前で止まった。
止まったものは、書式の上ではどちらでもない。男爵家の娘でもなく、王太子妃でもなく、その手前の何かだ。
書式にないところに、あの方は立っていらっしゃる。
私は、それを聞いて、少しのあいだ黙った。
*
「オルデン嬢」
「はい」
「三月三十日に、契約が切れました」
「……はい」
「知らせがなかったので、書面で確かめました」
私は、その言い方に、少し戸惑った。
「書面で、と申しますと」
「役所に伺いました。失効しております」
「はい」
「その日、あなたはどこにいらっしゃいましたか」
「街道の上でございます」
*
その方は、そこで、少しのあいだ何も仰らなかった。
風が、峠の草を鳴らしている。
「王家の使いが、追いついたと聞きました」
「はい」
「お受けになりませんでしたか」
「断りました」
「理由は」
「申し上げませんでした」
「私にも」
私は、顔を上げた。
上げて、その方の顔を見て、それから、こう申し上げた。
「……閣下には、申し上げます」
*
「合議が終わりましてから」
「なぜ、いまではないのですか」
「いま申し上げますと、明日の合議で、書く手が乱れますので」
その方が、少し笑われた。
声を出して笑われたのは、三度目だ。
「では、待ちます」
*
十日目に、合議が終わった。
決まったのが十一件。決まらなかったのが二十三件。落ち度の別紙が五十三件。
三通の記録は、三方が一通ずつ持って帰る。
持って帰る前に、三人が同じことを訊かれた。
「次は、いつにいたしましょう」
「みなさまでお決めください」
「では、決められません」
財閥の方が、そう仰った。
「三方で決めますと、決まりません。半年、それでやってまいりました」
*
私は、卓の上の紙を一枚取った。
白紙だ。
そこに、一行だけ書いた。
——次の合議は、この日から百十日後とする。場所は、同じ。
書いて、三方に読み上げた。
「違いませんか」
三人が、順に頷かれた。
「では、お書きください」
*
九つ目の署名が終わったところで、教会の司祭が仰った。
「オルデン嬢。百十日後には、いらっしゃらないのですな」
「おりません」
「書記が三人で、回りますか」
「回らない日もございましょう」
私は、そう申し上げた。
「回らなかった日も、書いてください」
*
三方が、それぞれの道へ帰っていかれた。
天幕が畳まれて、卓だけが残った。
卓は、壊すのが面倒なので、そのままにすることになった。次の合議で使う。
脚に噛ませた石も、そのままだ。
私は、その卓のところにしばらく立っていた。
*
「オルデン嬢」
ラウル様が、後ろに立っていらした。
「終わりましたか」
「終わりました」
「では、伺いましょうか」
私は、少し息を吸った。
吸って、それから、こう申し上げた。
「その前に、ひとつ、申し上げたいことがございます」
「どうぞ」
「王都から、報せが来ております」
*
昨日、こちら側の関所に、南から早馬が着いた。
王都の三派が、それぞれ王家に対して、同じ日に同じ文面を出した。
文面は、一行だ。
——王太子殿下が出された二百七件の裁定について、その正否を検めるための場を設けられたい。
三方が、同じ日に、同じ文面で。
合議の十日で、三方はそれを覚えた。
*
私は、その報せを持ってきた紙を、卓の上に置いた。
「検める場が、開かれます」
「いつ」
「まだ決まっておりません。ただ、開かれます」
「場所は」
「王都でございましょう」
私は、そこで首を振った。
「いいえ。……たぶん、ここでございます」
*
卓は、そのままにしてある。
誰の土地でもないところに、卓がひとつ。
三方が、そこで決めることを覚えた。
覚えた三方が、次に検めたいものは、王都にある。
王都にあるものを、誰の土地でもないところへ持ってくることになる。
持ってくるには、持ってこられる者が要る。
*
「オルデン嬢」
「はい」
「あなたは、それに立ち会うおつもりですか」
私は、卓の上の紙を見ていた。
見て、それから、正直に申し上げた。
「わかりません」
「わからない」
「呼ばれておりませんので」
*
ラウル様は、そこで少し黙られた。
黙って、それから、こう仰った。
「呼ばれたら、行かれますか」
私は、顔を上げた。
「……そのときに、決めます」
その方が、頷かれた。
「では、それでいいと思います」
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