↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
38/50

第38話 屋根の北側だけ

 書状が届いたのは、三月の十日だった。


 王都からではなく、峠の宿場からだ。閣下の一行は、婚礼の四日前に王都へ入る手筈になっている。宿場で一泊なさったときに出されたのだと思う。


 封を開けると、四枚あった。


  *


 一枚目から三枚目までは、領務だった。


 北の橋の欄干の修繕について、費えの上限を示すもの。南の三家からの申し出について、返事を保留するようにという指示。それから、東の石切場の採石量を、今年は減らすようにという指示。


 三枚目を、私は二度読んだ。


 減らす理由は、書いていない。


 書いていないけれど、たぶん、掲示のせいだ。三十年前の日付のことが領内に回った。回った直後に増やせば、居直ったように見える。減らせば、そう見えない。


 こういう手当てを、この方は速い。


  *


 四枚目は、短かった。


 三行しかない。


 ——南は雨でした。峠は乾いていました。王都は、まだ見ておりません。


 それだけだ。


 それだけなのに、私は三度読んだ。


 三度目に、いちばん下に、もう一行あることに気づいた。字が小さくて、余白の下のほうに寄せてある。


 ——雪は、もうなくなりましたか。


  *


 私は、その一行をしばらく見ていた。


 見てから、窓を開けた。


 三月の十日で、風はまだ冷たい。城の中庭は乾いている。街道も乾いている。市の道も、橋も、どこにも雪はない。


 北の棟の屋根だけ、まだ少し白い。


 日が当たらないところは、遅れて溶ける。


  *


 返事を書いた。


 領務の三枚には、それぞれ返した。欄干の費えは上限で足りる。南への返事は保留する。採石量は二割減で組み直した。組み直した表を添えた。


 四枚目に、何と返すかで、手が止まった。


  *


 止まったのは、書くことがないからではない。


 書くことは、決まっている。屋根の北側にまだ残っている。それだけだ。事実だから、書けばいい。


 書けばいいのに、書けない。


 書けないのは、それを書いたあとに何を書くかが決まらないからだ。


 三行で終わらせれば、こちらは事実を返しただけになる。


 四行目を書けば、事実ではないものを書くことになる。


  *


 四行目に、何を書きたいのか。


 私は、ペンを置いて、考えた。


 考えたけれど、言葉が出てこない。


 出てこないので、いつもどおりにした。紙を一枚出して、線を三本引いた。


 左に、わかること。


 真ん中に、わからないこと。


 右に、決めなければならないこと。


  *


 左に、書いた。


 ——契約は三月三十日に切れる。切れれば立場がない。立場がなければ、この城にいられない。


 ——第七条がある。いつでも出ていける。三十日を待つ必要はない。


 ——閣下は四月に戻られる。入れ違いになる。


 三行とも、書面に書いてあることだ。


 真ん中に、書いた。


 ——なぜ、四行目が書けないのか。


 右に、書いた。


 ——出るか、出ないか。


 これは、二十日前に一度書いた。書いて、そのままにしてある。


  *


 私は、右の欄をしばらく見ていた。


 出るか、出ないか。


 出るしかない、と思っていた。立場がなくなるのだから、いられない。それは左の欄に書いてある。書いてあることは、正しい。


 正しいのに、二度とも、二択で書いた。


 二択で書くというのは、両方が選べるということだ。


 ——いられないのに、いる。


 そんな選び方が、あるだろうか。


  *


 あるかどうかを考えて、私はひとつ思い出した。


 第七条だ。


 いつでも、いかなる理由によっても、解除できる。


 あれは、出ていくための条項だ。出ていく側に、何の義務も負わせない。


 負わせないということは、残ることにも、何の義務がないということだ。


 義務がないのに残るのは、選んだということになる。


 ——だから、書いたのか。


 私は、そこで手を止めた。


 止めて、指を組んだ。組んだ指に力が入って、また、ゆるめた。


  *


 いられないのに、いる。


 その形を、私は書面のなかで一度だけ見たことがある。


 二百年ほど前の裁定だ。ある村が、二つの領のあいだに挟まれて、どちらにも属さなくなった。属さないので、税を納める先がない。納めないので、どちらの領も守らない。


 その村は、三十年そのままだった。


 三十年たって、ようやく取り決めができた。取り決めの一行目に、こう書いてある。


 ——当該村落は、いずれにも属さず、両者これを守るものとする。


 属さないまま、守られる。


 書式としては、めちゃくちゃだ。属していないものを守る義務は、どこからも出てこない。


 それでも、三十年もった。


 もったのは、守っていた人がいたからだ。


 義務がないのに守るのは、選んだということになる。


  *


 あの方は、あれを「私のためです」と仰った。


 行き場がないから受けたのだと思われるのが厭だ、と。取り決めは、両方が断れるときにだけ成り立つ、と。


 断れるようにしておいて、それから。


 それから、どうなることを望んでいらしたのか。


 訊いていない。


 訊いていないので、わからない。


 わからないけれど、いま、私にはひとつだけわかることがある。


  *


 私は、立ち上がった。


 部屋を出て、階下へ降りて、ベルナー様を探した。


 厨房の脇で見つかった。


「オルデン様。いかがなさいました」


「棚を、お願いしたいのです」


「棚」


「あと二列。いえ、三列」


 ベルナー様が、少し驚かれた。


「三列でございますか」


「はい。南の綴りの照合が、あとひと月では終わりません。侍従だった方の分もございますし、これから届くものもございます」


「……これから」


「はい」


  *


 ベルナー様は、しばらく私の顔を見ていらした。


「オルデン様。棚は、注文いたしますと、届くのに二十日ほどかかります」


「存じております」


「今日お頼みになりますと、届くのは、三月の末でございます」


「はい」


「三月三十日を、過ぎるかもしれません」


 私は、頷いた。


「過ぎると思います」


  *


 ベルナー様は、何も仰らなかった。


 仰らないまま、しばらく厨房の壁を見ていらした。


 それから、こう仰った。


「三列で、よろしゅうございますか」


「三列で」


「かしこまりました」


  *


 部屋に戻って、私は四枚目の返事を書いた。


 三行で済ませた。


 ——屋根の北側に、まだ少し残っております。日の当たらないところは、遅れて溶けるようでございます。あとひと月ほどで、なくなると思います。


 書いてから、四行目を書いた。


 四行目は、一行だ。


 ——棚を、三列注文いたしました。届くのは、月の末でございます。


  *


 書いてから、封をした。


 封をして、卓に置いて、それから、椅子に座った。


 座って、自分がいましたことを、頭のなかでもう一度なぞった。


 私は、三月三十日以降に届くものを注文した。


 注文したものは、届く。届いたときに、受け取る者が要る。


 誰も要らないとは、誰も仰っていない。


 私が要ると決めた。


  *


 窓の外が、暗くなっていた。


 灯りをつけずに、私はしばらくそのままでいた。


 こわい、と思っていたのが、二十日前だ。


 いまも、こわい。


 こわいのは、たぶん、これから先のことがひとつも書式になっていないからだ。契約が切れたあと、私がどういう立場で、どこに住んで、何をして、誰から給金をいただくのか。


 何ひとつ、決まっていない。


 決まっていないものの上に、立とうとしている。


 十一年、こんなことをしたことがない。


  *


 膝の上で、手を組んだ。


 組んだまま、私は小さな声で言ってみた。


「……残ります」


 誰も聞いていない。


 誰にも申し上げていない。あの方にも、マルタにも、ベルナー様にも。棚を三列頼んだだけだ。


 それでも、声に出すと、決まったことになった。


 私は灯りをつけた。


 つけてから、目のあたりが熱いことに気づいた。


 三度目だ。


 一度目は馬車のなかで、二度目は照会状を読んだ夕方で、今度が三度目。


 三度とも、理由が違う。


 今度のは、いちばん、わからなかった。


読んでくださりありがとうございます!


・本作を★★★★★で評価

・ブックマーク


この二つで応援していただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。