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第34話 三十年前の日付

 脇に寄せた六つのうち、四つは片付いた。


 四つとも、桁の写し間違いだった。写した者が疲れていたのだと思う。四つのうち三つが、同じ年の同じ月に集まっている。その月に、南で何かがあった。何があったかは、綴りに書いていない。


 書いていないことは、追えない。


 私は四つに「写し違い」と書いた紙を挟んで、下の段に移した。


 残りは、二つだ。


  *


 二つとも、日付の食い違いだった。


 ひとつ目は、三十一年前の、石切場の使用の取り決め。城の控えでは四月三日、南の綴りでは四月十七日になっている。


 ふたつ目は、二十九年前の、川の堰の高さについての裁定。城が九月十日、南が九月二十六日。


 どちらも、二週間ほど後ろにずれている。


 同じ方向にずれているのが、気になった。


  *


 写し間違いなら、ずれる向きは揃わない。


 揃うのは、意図があるときだ。


 私はマルタに言って、三十年前後の綴りを全部出してもらった。城の控えと、南の綴りを、年ごとに突き合わせる。


 二日かかった。


 二日目の夕方に、三つ目が出た。


  *


 三十年前の、七月。


 城の控えでは、七月八日に「東の石切場の権利、当家へ帰属」とある。


 南の綴りでは、同じ件が七月二十二日になっている。


 やはり二週間、後ろだ。


 三件とも、城の日付のほうが早い。


  *


 早いほうが、有利だ。


 こういう帰属の争いは、先に登録したほうが勝つ。同じ年に二つの主張が並んだとき、日付が早いほうが通る。


 城の控えは、南の綴りより二週間早い。


 二週間早ければ、たいていの争いは城が勝つ。


  *


 私は、その晩、机の前で長いこと座っていた。


 考えていたのは、三つのことだ。


 ひとつ。書き換えたのは、城か、南か。


 南が後ろにずらす理由はない。ずらせば自分が負ける。だから、書き換えたのは城だ。


 ふたつ。いつ書き換えたか。


 三件とも、三十年前後に集まっている。集まっているということは、そのころに一度、まとめて手を入れたということだ。


 みっつ。誰が。


  *


 書き換えの手口を、私は三度見たことがある。


 全部、王都の記録のなかでだ。四百年ぶんもあれば、そういうものが混ざる。混ざっているのを見つけるのは難しくない。難しいのは、そのあとだ。


 三度とも、父様は同じことをなさった。


 書き換えがあった旨を紙に書いて、原本の次の頁に綴じる。原本は直さない。直すと、直した者がまた疑われるからだ。


 ——リディア。書き換えは、消してはいけない。


 そう仰った。


 ——消すと、消したことがわからなくなる。書き足しなさい。


 あのとき私は十四で、意味がよくわからなかった。わからないまま、三度とも横で見ていた。


 三度目のとき、父様の書かれた紙に、名前が入っていた。


 いま思えば、あれが父様の名を見た唯一の書面だった。


  *


 三十年前に、この城で書面を扱っていたのは誰か。


 ベルナー様に伺った。


「三十年前でございますか」


「はい」


「わたくしは、まだ厩におりました。書面は、先代の書記官が」


「そのお方は」


「二十年前に亡くなっております」


 ベルナー様は、少し間を置かれた。


「オルデン様。何かございましたか」


  *


 私は、正直に申し上げた。


「日付が、三件、書き換えられております」


 ベルナー様の顔から、表情が消えた。


「……どちらの」


「城のほうでございます」


「城が」


「はい。三件とも、二週間ほど早くしてございます。早いほうが、帰属の争いで通りますので」


 ベルナー様は、しばらく動かれなかった。


 それから、椅子に座られた。


「三件とも、東の石切場に関わっておりますか」


「二件は。もう一件は、川の堰でございます」


「……堰も、石切場の水でございます」


  *


 東の石切場は、いまも城の直轄だという。


 領の石の八割が、そこから出る。北の橋の荷も、市の敷石も、城壁の修繕も、全部あそこの石だ。


 三十年前に、その帰属が決まった。


 決まったときに、日付が二週間早かった。


「ベルナー様。この石切場は、争われたのですか」


「争いました。南の三家と」


「結果は」


「城が取りました」


 ベルナー様は、そこで額に手を当てられた。


「日付で、取りました」


  *


 部屋に戻って、私は三件の写しを並べた。


 並べて、しばらく見ていた。


 これを公にすると、どうなるか。


 三十年前の帰属が覆るわけではない。三十年経っている。時効に類する定めが、この領にもあるはずだ。覆らないなら、実害はない。


 実害はないけれど、傷はつく。


 城が、日付を書き換えて南から石切場を取った。その事実が残る。残れば、南は「城はそういうことをする家だ」と言えるようになる。


 言えるようになると、次に城が何を決めても、南は「また日付か」と言う。


  *


 三十年前は、閣下がお生まれになる少し前だ。


 書き換えたのは、先代の書記官。命じたのは、たぶん、先代の領主。


 ラウル様の父君だ。


 私は、その方のことを何も知らない。ベルナー様に一度伺ったことがあるけれど、「厳しい方でございました」としか仰らなかった。


 厳しい方が、三十年前に石切場を取った。


 取ったおかげで、いまこの領の石の八割が城から出る。北の橋の敷石も、市の道も、城壁も、全部そこの石だ。


 私が毎日渡っている橋も。


  *


 黙っていることは、できる。


 三件の紙を、下の段に入れて、写し違いと書いておけばいい。誰も確かめない。私が確かめなければ、たぶん、あと三十年は誰も気づかない。


 気づかないほうが、この領のためだ。


 ——本当にそうか。


 私は、その問いを右の欄に書いた。


 書いてから、答えは知っていると思った。


  *


 冬のはじめに、私は自分の裁定を訂正した。


 間違えた理由まで書いた。ベルナー様は「この領には例がございません」と仰った。静かに直すのが、この領のやり方だと。


 あのとき私は、静かに直すと直したことが残らない、と申し上げた。


 残らないと、次に同じ間違いが起きる。


 同じことだ。


 三十年前の書き換えを黙っていれば、書き換えが「起きなかったこと」になる。起きなかったことは、防げない。


 防げなければ、また起きる。


  *


 問題は、いつ出すかだった。


 いま出すと、閣下がいらっしゃる。


 いらっしゃるところで出せば、閣下がお決めになる。お決めになれば、それは領主の判断だ。領主が父君の代の非を認めた、という形になる。


 悪い形ではない。


 悪い形ではないけれど、閣下に負わせることになる。


 負わせないためには、いらっしゃらないときに出す。


 いらっしゃらないときに出せば、勝手に出したことになる。勝手に出した者は、あとで責められる。


 責められる者が、いる形のほうがいい。


  *


 私は、三件の写しを封に入れた。


 入れて、封をせずに、抽斗に置いた。


 閣下は、月末に発たれる。


 あと、十日ほどある。


 十日のあいだに気が変わったら、封をせずに出すこともできる。


 変わらなければ、出したあとで、私はここにいない。


  *


 その晩、マルタが茶を持ってきた。


「お嬢様。今日は、遅うございますね」


「もう寝るわ」


「はい」


 その子は、盆を置いて、それから、机の上の紙を見た。


 三件の写しは、抽斗に入れてある。机の上にあるのは、右の欄を書いた紙だけだ。


「お嬢様。これは、なんとお読みするのでしょう」


 私は、その紙を裏返した。


「わからないことよ」


「わからないこと」


「そう。わかることは左に、わからないことは右に書くの」


 マルタは、少し首を傾げた。


「右のほうが、いつも長うございますね」


「そうね」


「では、左を増やすお仕事なのでございますか」


 私は、その子の顔を見た。


 見て、少し笑った。


「……違うわ」


「違いますか」


「右を増やすお仕事なの」


 言ってから、自分で驚いた。


 そう思っていたことに、いま気づいた。


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