↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
30/50

第30話 前の方は

 ベルナー様が持ってこられたのは、油紙で二重に包んだ束だった。


 包みを解くと、中から封筒が出てきた。宛名は、私になっている。


 差出人の名を見て、私は少し息を止めた。


 軍務府の、あの方だった。


  *


 封を切ると、一枚目に短い添え書きがあった。


 ——ご迷惑を承知で、内々にお送りします。三通、同封いたします。私の一存です。ご返事は不要。


 それだけだった。


 名は、書いていない。書けば、この方が私に物を送ったことが残る。残らないようにして、それでも送ってこられた。


 私は、その一枚を脇に置いた。


  *


 二枚目を出した。


 字を見た瞬間に、誰のものかがわかった。


 丁寧な字だ。丁寧すぎる、と言ったほうがいい。一字ずつ、間隔を測るようにして書いてある。急いで書いた字ではない。何度も書き直した字でもない。書くのに時間をかけた字だ。


 右の余白が、やけに広い。


 ——謹んでお伺い申し上げます。宮内の書面の取り回しにつきまして、いくつかご教示を賜りたく存じます。


 書き出しが、ずいぶん硬い。


 硬いのは、たぶん、こういう文面を写して覚えたからだ。どこかにあった見本を、そのまま使っていらっしゃる。


  *


 三枚目。


 ——毎朝、書状が届きます。多い日で四十通ほどでございます。これを、どなたにお渡しすればよろしいのでしょうか。


 私は、そこで一度、目を上げた。


 窓の外は明るい。雪は、この十日で少し薄くなった。


 目を戻した。


 ——渡す先を、宰相府にお尋ねいたしましたところ、こちらでお決めくださいとのご返事でございました。決めよと仰せられましても、何を基準に決めればよろしいのか、わかりかねます。


 わかりかねます、と書いてある。


 わからない、ではなく。


  *


 四枚目。


 ——返事を書くべきものと、そうでないものとの見分け方を、お教えいただけませんでしょうか。


 これは、ひとつしかない。


 日付だ。届いた日付と、書いてある期限を見る。期限のあるものが先で、ないものは後。それだけだ。


 書けば、三行で済む。


 ——このごろ、返事が遅いとお叱りをいただくことが増えました。遅いのは存じておりますが、どれを先にすればよいのかがわからず、届いた順に開いております。


 届いた順に開くのは、正しい。


 正しいのに、それでは間に合わない。届いた順と、急ぐ順は違う。違うことを、誰かが教えなければならなかった。


 誰も、教えていない。


  *


 四枚目の裏に、書きかけの行があった。


 消してある。線を引いて消してあるのではなく、上から塗りつぶしてある。塗りつぶし方が丁寧なので、下の字は読めない。


 読めないけれど、行の長さはわかる。十字ほどだ。


 十字ほど書いて、塗りつぶして、書き直さなかった。


 私は、その黒い帯を、しばらく指で撫でた。


 撫でたところで、何も出てこない。


  *


 五枚目に、こうあった。


 ——前の方は、どのようになさっていたのでしょうか。


 私は、その一行を読んで、動けなくなった。


 前の方。


 名前が、書いていない。


  *


 書けなかったのか、知らないのか。


 考えて、たぶん、書かないほうを選ばれたのだと思った。書けば、あの夜会の広間に戻ることになる。戻りたくない人が、名前を伏せる。


 伏せて、前の方、と書く。


 ——前の方は、いつも書類ばかり見ていらしたそうでございます。わたくしも、そのようにいたしております。ただ、見ておりましても、中身が入ってまいりません。


 私は、椅子の背に手をついた。


 いつも書類ばかり見ていらして。


 同じ言い方だ。去年の夏に、広間で聞いた。あのとき、この方は淡い水色のドレスを着ていらして、困ったように眉を下げて、それを仰った。


 同じ言い方で、いま、ご自分のことを書いていらっしゃる。


  *


 五枚目の下のほうに、もう一行あった。


 ——書類を見ておりますと、あの方のお顔を思い出します。


 私は、その一行を三度読んだ。


 三度読んでも、意味が取れなかった。


 取れないので、字面のとおりに受け取ることにした。この方は、書類を前にすると、私の顔を思い出す。


 なぜ思い出すのかは、書いていない。


  *


 六枚目が、最後だった。


 ——不躾なお願いを重ねまして、申し訳ございません。どなたにお伺いすればよろしいのかがわからず、思いつくところへ順にお出ししております。


 順に。


 この方は、同じ文面を、あちこちに出していらっしゃる。宰相府にも、財務府にも、たぶん軍務府にも。


 軍務府の方は、それを受け取って、私に送ってこられた。


 答えられる者が、府にいないからだ。


  *


 私は、六枚を揃えて、机に置いた。


 揃えてから、しばらく座っていた。


 ——不快だ。


 その言葉が、いちばん近かった。


 悲しくはない。気の毒だとも思わない。思おうとしたけれど、思えなかった。


 不快なのは、この方が、教われば分かると思っていらっしゃるからだ。


  *


 私は、六枚を裏返してから、もう一度表に返した。


 この方は、半年前まで、この束を見たことがなかったはずだ。


 男爵家の娘が、宮内の書状を扱う立場になる。ふつうなら、そこに至るまでに何年かかかる。侍女から入って、女官になって、上の者に付いて、少しずつ渡される。


 その順を、飛ばされた。


 飛ばしたのは、殿下だ。


 早いほうがいいと思われたのだと思う。実際、早い。手続きを踏まないほうが、いつでも早い。


 早く座らせて、教える者を用意しなかった。


 用意する発想がなかったのは、座るのが簡単な椅子だと思っていらしたからだ。


 地味で、退屈な事務仕事。


 あの言葉を、私はもう三度思い出している。


  *


 三行で済む問いが、六枚のうち二つある。


 残りの四つは、三行では済まない。


 どなたに渡すか、というのは、宮内のどこに何を扱う者がいるかを知らないと決められない。知るには、名簿と、実際に誰が動いているかの両方が要る。名簿は毎年変わり、実際は名簿どおりではない。


 私は、それを十一年かけて覚えた。


 覚えたことを紙に書いたことは、一度もない。書けば、誰が支えているかが知れる。知れると狙われる。狙われた瞬間に、支えは支えでなくなる。


 だから、書かなかった。


 書かなかったので、いま、教える手立てがない。


  *


 ——これは、わたくしの落ち度だ。


 そう思って、すぐに、それは違うと思い直した。


 落ち度なら、直せる。直せるものを落ち度と呼ぶ。


 これは、そうではない。


 十一年、隠すことで守ってきた。守るために隠して、隠したから残らなかった。残らなかったので、次の者に渡らない。


 守ることと、渡すことが、最初から両立していなかった。


 四百年、誰もそこを解いていない。


  *


 夕方、マルタが入ってきた。


「お嬢様。夕餉が」


「あとで」


「……お顔の色が」


「悪いの」


「いえ。……何を、ご覧になっていらっしゃいますか」


 私は、六枚を裏返した。


「王都からの、照会よ」


「どなたから」


 少し迷って、答えた。


「知らない方」


 嘘だ。


 嘘をついた理由は、はっきりしている。マルタに言えば、この子は腹を立てる。腹を立てられると、私はそれに乗ってしまう。


 乗ってしまうと、たぶん、私は返事を書かない。


  *


 その晩、私は六枚をもう一度並べた。


 並べて、答えの書ける問いに、心のなかで印をつけた。


 二つ。日付の見方と、急ぐ順の決め方。この二つなら、三行と、書式一枚で済む。


 残り四つは、書けない。


 書けないものを書けないままにしておくと、四十通が毎朝積まれつづける。三日で困る。七日で揉める。十四日で——


 私は、そこで数えるのをやめた。


 やめて、灯りを消した。


 消してから、暗いなかで、こう思った。


 ——あの方は、字が丁寧だ。


 六枚とも、最後の一行まで崩れていない。四十通を捌けずに、叱られて、それでも、この文面を丁寧に書いていらっしゃる。


 丁寧に書くというのは、たぶん、まだ諦めていないということだ。


 私は寝返りを打った。


 打ってから、それを認めたくない自分に気づいた。


 認めたくないのは、認めると、返事を書くことになるからだ。


読んでくださりありがとうございます!


・本作を★★★★★で評価

・ブックマーク


この二つで応援していただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。