第24話 三日こもっておいででした
マルタが着いたのは、その八日後だった。
城の門のところで馬車から降りて、私を見つけて、それから、荷を放り出して走ってきた。
放り出した荷を、御者の方が拾っていらした。
「お嬢様……!」
「マルタ。荷が」
「荷などどうでも」
どうでもよくはない。中身は着替えと、たぶん私宛のものだ。
私は御者の方に頭を下げて、荷を受け取った。受け取ってから、マルタの顔を見た。
痩せていた。
*
部屋に落ち着くまでに、半日かかった。
城の者が寝床を用意してくださって、食事を出してくださって、マルタはそのたびに恐縮して、そのたびに私のほうを見た。
この子は、私が困っていないかを確かめている。
三月前と同じだ。
「マルタ」
「はい」
「わたしは困っていないわ」
「……はい」
夕方になって、ようやく落ち着いた。
窓辺に椅子を出して、川を見せた。ハルムの川は、王都のより速い。マルタはしばらく黙って見ていた。
「音が、違いますね」
「そうね」
「王都の川は、もっと、こう」
言葉を探して、見つからなかったらしい。
「……重たい音でした」
*
聞くべきことを、私は順に並べていた。
父様のこと。屋敷のこと。叔父様のこと。それから、東の二領のこと。
順に並べたけれど、いちばん上から聞くのが怖くて、二番目から聞いた。
「屋敷は、どう」
「人が減りました」
「どのくらい」
「厨房が三人、外が四人。家令様は、まだいらっしゃいます」
「そう」
「お給金が、遅れております」
マルタは、そこで少し口ごもった。
「わたくしのぶんは、いただいてまいりました。お嬢様からの費えがございましたので、旦那様に返上して出てまいりました」
「返上」
「はい。いただかずに出るほうが、後々よろしいかと」
この子は、そういうことを考えるようになった。
三月で。
*
「父様は」
「お変わりありません」
私は、少し息を吐いた。
「本当に」
「本当でございます。お世話の者は替わりましたけれど、朝晩、窓を開けております。お部屋のことは、家令様が見ていらっしゃいます」
「そう」
「……ときどき、お手が動くようになったと」
私は、顔を上げた。
「動く」
「指が、少しだけ。お世話の者がそう申しております。わたくしは見ておりません」
見ていない話は、たいてい当てにならない。
当てにならないとわかっていて、私はそれを二度聞き返した。
*
それから、細かいことを聞いた。
厨房の下働きが替わったこと。庭木の手入れが止まっていること。私の部屋は、そのままにしてあること。
「そのまま」
「はい。誰も入っておりません」
「書斎は」
マルタが、少し口ごもった。
「……書斎は、閉めてございます」
「閉めて」
「鍵をかけて。旦那様が、そうなさいました」
束は、どうなったのだろう。
私が届いた順に揃え直した三つの束。あれは、あの朝、机の上にあった。
閉めた部屋のなかで、順番だけは崩れていない。
崩れていないまま、誰も読まない。
*
叔父様のことを聞いたのは、夜になってからだった。
灯りを落として、マルタが寝床に入ってから、私は椅子に座ったままでいた。
寝入る前に、その子のほうから言い出した。
「お嬢様」
「なあに」
「お手紙のことでございますが」
私は、椅子の背から身を起こした。
「わたし宛の、ではなくて」
「その前の。街道からお出しになった、旦那様宛の」
「……届いたの」
「届きました。わたくしが受け取りました」
*
マルタは、寝床のなかで天井を見ていた。
「あの日、旦那様は書斎に入られました」
私は、動けなくなった。
「三年、一度も入られたことがございませんでしたのに。あの日、お手紙を持って入られて、それきり」
「それきり」
「三日、こもっておいででした」
*
窓の外で、川の音がしていた。
速い音だ。王都のより浅い。
「……食事は」
「扉の前に置いておりました。半分は残っておりました」
「灯りは」
「夜通しついておりました」
私は、そこまで聞いて、それ以上訊けなくなった。
三日。
私が「三日いただければ、書き出せます」と申し上げて、書類の書き方か、と笑われた。そんなものは誰でもできる、と。
その方が、三日こもった。
書式は、一枚同封してある。四行の指示と、別紙が一枚。あれを読んで、商会へ持っていけばよかった。分割の申し入れは相手が必ず受ける。受けたほうが取り分が増えるからだ。
三日あれば、足りる。
足りるはずだった。
*
「マルタ。旦那様は、そのあと」
「四日目の朝に出てこられて、商会へ行かれました」
「行かれたの」
「はい。三度お行きになりました」
「三度」
「三度目からお戻りになったとき、書斎の灯りを、ご自分で消していかれました」
*
三日目の朝に出てこられた、とマルタは言った。
三日で、あの方はどこまで読まれたのだろう。
別紙の書式は、それほど難しくない。分割の申し入れは、条項が四つと、額の欄が三つ。書き方さえわかれば半刻で書ける。
わかるまでが、たぶん三日だった。
書式というのは、そういうものだ。慣れている者には半刻で、慣れていない者には三日かかる。三日かけて読んで、それでも一度も書いたことのない書式だから、どこかで手が止まる。
止まったときに、訊く相手がいない。
書斎には、誰もいない。
私が座っていた椅子だけが、ある。
*
東の二領は、商会に移った。
商況の束に、一行だけ書いてあった。
移ったということは、通らなかったということだ。
通らなかった理由は、書いていない。遅かったのかもしれない。書式が古かったのかもしれない。あるいは、商会がすでに別の手を打っていて、分割では収まらなくなっていたのかもしれない。
私にはわからない。
わかるのは、あの方が書斎に入られたということだけだ。
三年、扉のところまで来て、戻っていかれた方が。
*
「お嬢様」
「なあに」
「泣いていらっしゃいますか」
「いいえ」
嘘だった。
嘘だったけれど、灯りは落としてある。
「マルタ。もう寝なさい」
「……はい」
しばらくして、寝息が聞こえてきた。
私は椅子に座ったまま、川の音を聞いていた。
*
三日、こもられた。
その三日のあいだ、私は街道にいた。九日目か、十日目のあたりだ。峠の稜線が見えたころだと思う。
同じ三日を、私たちは別の場所で使った。
あの方は、書式と向き合っていらした。
私は、置き場所を探していた。
——訊いてくださればよかったのに。
そう思って、すぐに、それは違うと思い直した。
訊いてくださればよかったのは、こちらの言い分だ。あの方から見れば、三日で書き出せますと言った娘は、その三日を待たずに家を出ていった。
待たずに出ろと仰ったのは、あの方だけれど。
どちらも、正しい手順を踏んだ。
踏んだ結果として、四つの村の屋根が、三年早く困ることになった。
*
灯りをつけずに、私は卓の前に座った。
暗いので、書けない。
書けないので、頭のなかで書いた。
——旦那様へ。
そこから先が、出てこなかった。
ひと月ほど前と同じだった。あのときも、三行書くのに半刻かかった。
今度は、一行も出なかった。
*
翌朝、マルタが荷を開けた。
着替えのあいだから、包みが出てきた。布に包んで、紐で三重に縛ってある。
「これは」
「家令様から、お預かりいたしました」
開けると、外套の留め金がひとつ入っていた。
母様の形見の、四つ目だ。
私が二月前に、ヤンに渡したもの。
「……なぜ、これが」
「わたくしにも、わかりません。家令様は、道中で手に入れたとだけ」
道中。
王都と峠のあいだの、どこかだ。
ヤンは年に四度、あの道を走ると言っていた。宿帳に名を書いておく、と。
その方が、これを家令様に渡した。渡すためには、公爵家まで行かねばならない。街道から外れる。銭にもならない。
私は、留め金を手のひらに載せた。
軽い。
二月前、これは足りない銭の代わりだった。いまは、そうではない。
なんと呼べばいいのかが、わからなかった。
私は、それを机の引き出しに入れた。
入れてから、外套を出して、留め金を四つとも付け直した。
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