↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/50

第10話 ひでえ女もいたもんだ

 その宿の食堂は、混んでいた。


 卓が四つしかなくて、相席になった。同じ卓に、王都から来たという商人が三人。荷を運ぶ途中で、東の市へ向かうのだという。


 ヤンは厩の様子を見に行っていて、まだ来ない。


 私は隅に座って、汁物をもらった。


 旅の女がひとりで卓についていると、たいてい何か言われる。この六日でわかったことのひとつだ。声をかけられたら、身内の葬儀で東へ、と答えることにしている。そう答えると、みな黙る。


 今日は、誰も声をかけてこなかった。


 三人とも、話に夢中だったからだ。


  *


 商人たちは、最初は荷の話をしていた。


 麻の相場が上がったとか、南の川が浅くなって舟が使えないとか。そういう話を聞くのは嫌いではない。書斎で読んでいた数字が、口から出てくると別のものに聞こえる。


 途中から、王都の話になった。


「そういや、聞いたか。夜会の話」


「婚約破棄のか」


「それもだが、そのあとだ」


 いちばん年かさの方が、椀を置いた。


「殿下が仰ったそうだ。今後、揉め事の裁定はご自分が下されると」


 卓が、少し静かになった。


「……それは、ずいぶん」


「お忙しいことになるな」


 誰かが笑った。


 その笑い方は、可笑しいから笑ったのではなかった。どう受け取ればいいかわからないときの笑い方だった。


「じゃあ何か。うちの荷が関所で揉めたら、殿下が出てこられるのか」


「そりゃないだろう。大きい話だけだ」


「大きい話ってのは、どこからだ」


 誰も答えなかった。


 私は汁物を飲んでいた。


 答えは、決まっている。どこからが大きい話かを決める書式がある。第九巻に載っている。額と、関わる家の数と、期間の三つで決まる。三つのうち二つが基準を超えたら、上へ回す。


 その書式を読んだ方が、いま王都にいらっしゃるかどうか。


 いらっしゃらない。


 私が最後だった。


  *


「まあ、いいことじゃないか」


 若い方が言った。


「殿下がご自分で決められるなら、話が早い。今までは、どこで誰が決めてるのかもわからなかったんだ」


「そりゃそうだ」


「三つに割れてて、どれに持ってっても他の二つが文句を言う。あれよりはましだろう」


 もっともだと思った。


 外から見れば、そうなる。三つに割れているのは事実で、割れているせいで遅いのも事実だ。ひとりが決めるほうが早いのも、間違っていない。


「去年の川の件、覚えてるか」


 年かさの方が言った。


「舟の通行の割り当てだろう。あれは三月かかったな」


「三月だ。三月待たされて、出てきた答えが、上りは軍、下りは教会で、荷が混じる分は折半だと」


「ややこしいったらない」


「だがまあ、あれ以来、揉めてないな」


「……そういや、揉めてないか」


 三人が、なんとなく黙った。


 私は汁物を飲んでいた。


 あれは、三月ではなく三月と九日かかった。九日ぶんは、三つに同じ文面を送って、三つとも同じ字で返してもらうための時間だ。同じ字で返させないと、後から片方が違うことを言い出す。


 早くはない。


 ただ、早く決まったことが守られるかどうかは、別の話だ。


 守られるかどうかを確かめる者がいるから、遅かった。遅いのは、確かめていたからだ。


 私は、そこまで考えて、汁物の椀を置いた。


 考えても仕方がない。もう、私の管轄ではない。


  *


「その婚約破棄の娘な」


 年かさの方が、思い出したように言った。


「腹いせに、公爵家の保証を全部外したらしいぞ」


「本当か」


「府の知り合いから聞いた。翌朝いちばんに窓口へ来て、書類を三枚出して帰ったと」


「ひでえ女もいたもんだ」


 私は、椀を持ち直した。


「捨てられたのが悔しいのはわかるがな。関係ない連中まで巻き込むこたぁない」


「なんて名だ」


「オルデンだよ。公爵家の」


「ああ、聞いたことがある。冷たい娘だってな。夜会でも誰とも口をきかんかったとか」


「そりゃ、ああいうことをするわけだ」


 三人が、それぞれ頷いた。


 悪意はない。事実として、そう見えている。


 実際、そのとおりに書いてある。捨てられた家が腹いせに手を引く——そう見えるように、私が書いた。


 書いたとおりに伝わっているのだから、これは成功だ。


 十一年、そうやってきた。人の口に上らないように、上ったとしても間違ったかたちで上るように。父様の教えは正しくて、私はそれをよく守った。


 守った結果が、いま目の前で汁物を飲みながら喋っている。


 汁物は、まだ温かかった。


  *


「しかし、そんな娘に保証を任せてたってのが、そもそもおかしくないか」


 若い方が言った。


「任せてたわけじゃないだろう。家の名義だ」


「じゃあ、なんで娘が窓口に行けるんだ」


 卓が、また少し静かになった。


「……そりゃ、代理だろう」


「代理でも、三枚まとめて通るか?」


「通ったんだから、通るんだろう」


 誰も答えを持っていなかった。


 私は椀を両手で持って、湯気を見ていた。


 いい問いだ、と思った。


 この方は、いちばん近いところまで来ていらっしゃる。もう半歩踏み込めば、たぶん見える。名義ではなく、人に付いていたのだと。


 誰も、その半歩を踏み出さなかった。


 話は、東の市の相場に戻っていった。


  *


 ヤンが入ってきたのは、そのすぐあとだった。


 私の隣に座って、汁物をもらって、それから、卓の話に加わった。


「なんの話だい」


「王都の話さ。婚約破棄の娘が」


「ああ、それか。聞いたよ」


 ヤンは椀に口をつけて、こう言った。


「ひでえもんだ」


 私は、隣で汁物を飲んでいた。


 ヤンは私の名を知らない。訊かれなかったので、名乗っていない。「お客さん」としか呼ばれたことがない。


 今日の昼、この人は三十年ぶんの通行料を取り返した。


 その人が、いま、私のことをひどい女だと言っている。


 どちらも本当のことだ。矛盾していない。片方だけが見えているだけで、見えていない側を見せていないのは、私だ。


「お客さんは、どう思う」


 ヤンが聞いてきた。


 私は少し考えて、答えた。


「……そうですね」


 自分の声が、思っていたよりも平らだった。


 十一年ぶんの躾は、まだ壊れていないらしい。


 三日前に一度だけ壊れかけたけれど、あれきりだ。書斎で、誰もいない部屋で、口を押さえたあのときだけ。


 壊れなくてよかった、と思った。


 思ってから、本当にそうだろうか、と思い直した。


 ここで名乗れば、たぶんヤンは謝る。悪いことを言ったと思って、それから、私に気を遣うようになる。関所の話も、もうしなくなるだろう。


 名乗らなければ、明日も同じように話ができる。


 だから名乗らない。


 ——本当に、それだけだろうか。


 汁物は、もう冷めていた。


  *


「そういやお客さん」


 ヤンが椀を置いて言った。


「明日はどのあたりまで行きなさる」


「決めておりません」


「決めてないのかい」


「はい」


「そりゃいい」


 ヤンは笑った。


「決めてないってのはな、悪くないもんだよ。俺は三十年、行き先を人に決められてきた。荷主が言うところへ行って、言われた日に着く。それだけだ」


「お疲れさまでございます」


「今日はよかった」


 ヤンは、上着の内側を軽く叩いた。控えの紙が入っているのだと思う。


「三十年で、初めて自分で決めたよ。求めるって決めた」


 私は椀を持ったまま、少しのあいだ動けなかった。


 この人は、たぶん、たいしたことを言ったつもりはない。


  *


 部屋に上がって、灯りを消した。


 窓が街道に面していた。


 寝つけなかったので、掛け金を外して少し開けた。夜の空気は冷たくて、遠くで犬が鳴いていた。


 しばらくして、街道に光の列が見えた。


 松明だ。


 列は、ゆっくりと東へ向かっている。馬の脚と、車輪の音。荷を引いている。夜通し歩くつもりらしい。


 夜に急ぐ荷は、二種類しかない。腐るものと、間に合わないもの。


 私は数えた。


 癖だった。


 ——夕方に見たのより、多い。


 街道脇の天幕が二百と少しだった。今夜の列は、三百に届くかもしれない。一日で百増えるというのは、集結ではなく、追加だ。追加が出るのは、最初の見積もりが足りなかったときだ。


 見積もりが足りなかったということは、相手が想定より払わないということだ。


 窓を閉めた。


 閉めてから、額を窓枠につけて、しばらくそうしていた。


 ——十四日。


 あと五日、ある。


 窓に額をつけたまま、私は五日を数えた。五日あれば、書式を揃えて、窓口へ行って、異議を申し立てられる。誰かが。


 寝台に戻って、目を閉じた。


 数えた数を頭から追い出そうとした。


 うまくいかなかった。


読んでくださりありがとうございます!


・本作を★★★★★で評価

・ブックマーク


この二つで応援していただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。