迷信
「それでね、ここからは落ち着いて聞いてほしいんだけど……あのときに笙悟が捜していた幽霊がね、今、私の担当するクラスにいるの」
そう高原が言って、祓川はすぐに理解ができなかった。
「あっ。私ね、いま小学校で教師をやってるの」
高原は慌ててそう付け加えたが、祓川が疑問に思ったのはそこではなかった。
「幽霊が、何だって?」
およそ現実的ではない話を、高原は語った。
昔、狭野が捜していたという幽霊の少女。彼女は一年に一度、夏祭りの夜になると狭野の前に現れて、未来の予言をするという。
「私のクラスに転校してきた女の子がね、その幽霊の姿にそっくりなの。それに名前も同じで。ただの偶然だとは思えないのよ。……こういう不思議なお話って、あなたの神社に祀られている神様の、言い伝えの中にもあるんでしょう? だから、何か関係があるんじゃないかと思って——」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
あまりにも話が飛躍しすぎていて、祓川は困惑した。
「確かに、部分的に似たような言い伝えはある。神様が未来の災いを予言したり、この世の者以外の姿で人々の前に現れたり、そういった話は確かにある。けれどそれは……あくまでも迷信だ」
当たり前のことを、祓川は高原に言って聞かせた。
神職の自分が言うのも何だが、神様というのは人間の信心の上に成り立つものであり、人々の生活に物理的に干渉してくるような存在ではない。
「君だってわかっているはずだろう。もともと君は、幽霊や神様なんていう存在は信じない方だったはずだ。なのになぜ、そんなものを必死になって調べているんだ?」
この世に存在するはずのない不確かなものを追い求めるなんて、彼女らしくない。
高原もそれを自覚しているのか、祓川の反応を否定せず、どこか迷っているような表情で視線を落とした。
だが、彼女がここまで必死になる理由なんて一つしかないことを、祓川は知っている。
「狭野のためか?」
祓川が聞くと、高原は再び顔を上げた。
「狭野のためだから、そんなにも必死なのか? ……君は今も、狭野のことが好きなんだろう」
指摘された途端に、わかりやすく高原の表情が強張った。きっと、今この場が昼のように明るければ、彼女の頬は真っ赤に染まっているのが見えただろう。
「……ば、バレちゃってるのね」
言い逃れはできないと察したのか、彼女は観念するように苦笑した。
子どもの頃からわかっていた。
彼女の心はいつだって、狭野のことばかり求めていた。
けっして振り向こうとはしない彼のことを、ずっと。
だから、
「……いい加減に、諦めたらどうなんだ?」
「え?」
祓川はついに痺れを切らして、言った。
「君だって、薄々わかっているんじゃないのか。子どもの頃からずっと想いを寄せていた相手が、大人になった今でさえ振り向いてくれないんだ。なら、この先もきっとその関係は変わらない。これ以上追い求めたところで、君が不幸になるだけだ」
残酷な言葉だった。
きっと、高原の心をこれ以上に傷つけるものはないだろう。
そしてこの言葉は同時に、祓川自身にも突き刺さるものでもあった。
どれだけ恋焦がれても振り向いてもらえない人間の気持ちは、彼自身も痛いほどに知っていた。
だからこそ、彼女がこれ以上傷つくところを見たくはなかったのだ。
高原はしばらく呆然としたように祓川を見つめていたが、やがてくしゃりと顔を歪ませたかと思うと、その瞳からぽろぽろと涙を流し始めた。
また、泣かせてしまった。
もしかすると、さっきまで泣いていたのも狭野がらみのことなのかもしれない。
ひどく悲しげな顔をする彼女の心は、相当追い詰められているようだった。
先程の、今にも川に飛び込んでしまいそうだった雰囲気を思い出すと、このまま放っておくのは危険な気がする。
「……すまない。泣かせたかったわけじゃないんだ。俺はただ」
「いいの。全部、わかってるから。……それに」
高原は小さく嗚咽を繰り返しながら、その合間合間で、か細い声を絞り出す。
「私は……悲しくて泣いているんじゃないの。ただ、自分のことが、怖くて」
「怖い?」
彼女の口から意外な言葉が漏れ、その先を聞き逃さまいと、祓川は耳を澄ませる。
「私ね、さっき……最低なことを、考えちゃった」
彼女が言うには、今日の昼間、彼女は例の幽霊とそっくりな少女とたまたま顔を合わせたという。
少女は狭野のことを慕っていて、その子もまた高原と同じように、狭野のために調べ物をしていたらしい。
「すごく可愛い子で、健気で、純粋で……。笙悟が一目惚れしちゃったのも、無理はないなあって思ったの。私なんかじゃ、絶対に勝てっこない。だから、あの子のことを、私は……——この子さえいなければ良かったのにって、思っちゃった……」
罪悪感に苛まれ、懺悔する高原の声を、祓川は静かに聞いていた。
「私って、ひどい女でしょう? あの子には、何の罪もないのに……。八つ当たりみたいなことして、本当に最低な女。だから私は、自分のことが嫌になって、怖くなって……」
「それで、こんな場所で泣いていたのか」
高原がなぜ、この場所を選んだのかはわからない。
祓川との約束があったから、そのために神社のそばを選んだのかもしれない。
けれど祓川には、彼女がここを選んだのは、あの川に身を投げようとしていたからではないかという疑念が拭えなかった。
目の前で静かに泣き続ける彼女を抱きしめることもできず、祓川はただやるせない気持ちに打ちひしがれていた。
なぜ、彼女がこんなにも辛い思いをしなければならないのだろう。
(高原。君を苦しめているのは、むしろ……)
脳裏で、もう一人の幼馴染の顔が浮かぶ。
狭野笙悟。
子どもの頃からずっと、高原の隣には彼がいた。
(狭野がいなければ、君は……もっと自由に生きられたんじゃないのか)
氷のように冷たい感情が、祓川の胸を支配する。
(狭野さえいなくなれば、君はもっと……)
その思考に至ったとき。
祓川は己の中に、冷酷無情な鬼を見た気がした。




