狭野先生
聞き覚えのある声だった。
恐る恐る振り返ってみると、すぐ後ろに、一人の男性が立っていた。
痩せた身体に、落ち着いた色のシャツとパンツ。二十代半ばほどに見えるその顔は、声から予想した通り、隣のクラスの担任教師のものだった。
名前は確か、『狭野』といったはず。
「あ……え……。なんで、狭野先生がこんな所に……?」
嫌な汗を流しながら霧島が聞くと、
「この場所は、僕のお気に入りなんだ。仕事が終わった後はよく、ここで休憩してから帰るようにしてる。それより、キミこそどうしてこんな所に? 体調が悪いっていうのは嘘だったのかな」
無表情のまま、抑揚のない声で指摘されて、霧島は返事に詰まった。
この教師はいつも表情が乏しく、見た目からは感情が読み取れない。怒っているのか、はたまた相手に興味がないのか、わからない。
けれど、ズル休みをしたという事実は明らかに見破られていたので、
「ごめんなさい!」
すかさず頭を下げると、
「なんで謝るの?」
と、予想外の言葉が返ってきた。
「へ……?」
きょとん、としたまま霧島が再び顔を上げると、
「体調が悪くなかったのなら、良かったじゃないか。学校を休んだのは、行きたくなかったからでしょ。キミが謝る必要なんてないよ」
「お、怒らないの……?」
うん、と狭野は無表情のまま頷くと、土手の斜面をゆっくりと下りてくる。そうして霧島の隣に立つと、向かいの川岸を見つめて静かに言った。
「キミはここに転校してきてから、クラスで少し浮いているようだね。学校に行きたくないのは、それが理由?」
あまりにも直球な質問に、霧島は面食らった。
クラスで浮いているだなんて、本人ですら目を背けたくなるような事実を、この教師は容赦なく突きつけてくる。
しかも、彼は隣のクラスの担任なのだ。
なのにまるで当たり前のようにこちらの現状を把握している——ということはつまり、この話はすでに教室の枠を越えて、学校中の誰もが知っている共通認識なのかもしれない。
そう思うと、途端に恥ずかしさが込み上げてくる。学校中の全ての人間が、こちらに指を差してゲラゲラと笑っているような気がした。
あまりの屈辱に、思わず涙が溢れそうになる。
「……先生も、私のことを笑うの……?」
寸でのところで涙を堪えながら、震える声で尋ねると、
「笑う? どうして」
「だって、クラスのみんなが私のことを笑ってるから……。私を仲間はずれにして、みんなで笑うの」
「笑ってるのは、四人だけでしょ」
「え……?」
狭野は眉一つ動かさず、相変わらずの無表情のまま続ける。
「キミのクラスで、一番派手な女子グループ。彼女たちだけだよ、キミを笑ってるのは。それ以外の子たちはみんな、その場の雰囲気に呑まれて遠巻きに眺めているだけさ。キミを故意に傷つけようとか、仲間はずれにしようなんて考えているわけじゃない。きっかけさえあれば、キミと仲良くなりたいと思っているはずだよ」
「そ、そうなの……? でも……」
たとえそれが本当だったとしても、笑われていることに変わりはないし、クラスで孤立している事実も変わらない。
「今のままじゃ、誰も私に近づけないってことだよね? だったら私は、これからもずっと一人ぼっちのままってこと……だよね」
「そうかもしれないね」
「だったらやっぱり……私は学校には行けない」
「どうして?」
「どうしてって……。だって、ずっと笑われ続けるってことでしょ?」
「そんなの気にしなければいいじゃないか」
まるで何でもないことのように言われて、霧島は耳を疑った。




